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徒然なるままに生きたいなぁ

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うつになってから人生振り返ってみた。 日々感じたり、思ったことや昔話を綴っていきます。 たまに関係ないことも語ってます。
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2023年1月の記事一覧

小話:施政方針演説

小話:施政方針演説

通常国会が開催され、岸田総理の施政方針演説の中で「リスキリング」という単語が出てしました。

前後の文脈でいろいろと世間をお騒がせしているようだが、そもそもリスキングそのものが浸透していない中で施策として特出ししたところで国民に理解を得ることは難しい。

この件に関わらず、防衛費にかかる増税、少子高齢化対策も具体性に欠ける点が多い、多すぎる。

具体的な中身が見えないからなんだろう。

年度末に向

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小話:事実は小説より奇なり

小話:事実は小説より奇なり

はてはて
人生とはどこでご縁があるか、わからないものである。

昨日の夜は食事会で、初対面の人と仕事とはまったく関係ない知人がお互いの知り合いであったという偶然があった。

ドラマや小説ではよくある話ではあるが、私自身このような体験は初めてである。

事実は小説より奇なりとはよく言ったものである。
キツネにつままれたかのような感覚を持った夜でした。

小話:千秋楽

小話:千秋楽

大相撲初場所も千秋楽を迎えました。

十両の朝乃山関が圧巻の十両優勝

幕内は千秋楽まで優勝争いが続く、飽きのこない見どころ満載な場所だったのではないかと感じました。

横綱不在の群雄割拠の中で十分盛り上がったことは、若手の台頭もあるのでしょう。

一人大関の貴景勝関、3回目の優勝おめでとうございます。

次は綱取り。
期待しています。

小話:メンクリ受診

小話:メンクリ受診

今日は月一回の心療内科の受診でした。

時期もあってか、待合室は混み合っていました。

メンタルダウンを起こしやすい季節なんだろうなあと思いながら、ルーティンの診察

薬局でいつものヤクを受け取り、帰宅

ちょうど一年前にはダウンしていたことを考えるとだいぶ調子は良さそう。

油断大敵、ボチボチやります。

小話:大相撲初場所中日

小話:大相撲初場所中日

大好きな大相撲も早、中日を迎えました。

横綱照ノ富士関の休場はあるものの実力をつけてきた若手力士の台頭もあり、なかなか見どころの多い取り組みが多い。

相撲ファンとしては嬉しい限りです。

それにしても、正代関が6敗目・・・戻り大関の可能性もなくなりました。

貴景勝関の一人大関の意地

残りの取り組みも期待できるはず

小話:久しぶりの雨

小話:久しぶりの雨

ようやく東京も雨が降りました。

齢を重ねるごとに肌の乾燥が気になるオッサンには恵みの雨です。

今日は循環器内科と歯科の病院受診デー

歯科は今日で終わったので一安心

心臓は発作が年末年始に出たので次回は心エコーを受けることとなりました。

健康第一

ボチボチやりますわ。

小話:成人式

小話:成人式

成人式を2回迎えて数年たった中年オッサンです。

成人式の記憶がないなあと思い出せず、ニュースを見ていました。

それも当然

だって参加していないんだもの。

高卒から自衛隊に入って、成人式の案内は当時からしたら縁もゆかりもない自治体のもの。

制服しか正装がなかったということもあり、メンドくさかったんで当直に立候補して入っていました。

成人年齢は変われど、社会人に変わりなし。

皆さん、おめ

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小話:正しさとは

小話:正しさとは

正しさのなのもとに
人は争う
人は迷う

この言葉、実に重いと齢を重ねる度に思うところが多々あります。

そもそも「正しさ」と信じていることはただの独りよがりなのでは、エゴなのではないかとふとした瞬間に考えてしまうことが増えた。

その根幹には、他人を理解することはそもそも不可能であるからだ。

自分の考える「正しさ」が他人にとって正しくないことも当然ありうることなのである。

この問題は、私にと

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勝手に語る日本の未来への責任

勝手に語る日本の未来への責任

新年からnoteをサボっていました。

子どもと遊んだり、家のことをしていたりと時間が過ぎてしまい今日、ご心配のコメントをいただきました。

誠に申し訳ありません。

年末年始のニュース特番を見ていたときにいろいろと考えさせられたことをツラツラ書き連ねます。

私の息子は5歳の幼稚園年中さんです。

年末に飛び出した防衛力強化に伴う増税の話

確かに北東アジア情勢は不安定であり、北朝鮮のミサイル発

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小話:磯崎新さん

小話:磯崎新さん

私が二級建築士の取得を目指して勉強していたときに茨城県に在住していた。

もともと土木が専門の私が建築の世界に触れ、意識して目にした建築物は水戸芸術館であった。

当時は建築家というものを全く意識していなかったが水戸芸術館で磯崎氏の作品を目にして建築に対する可能性を感じた。

時は流れ、人はいつか死を迎える。

少しでも世の中に貢献できる仕事をしたいと改めて決意した。たとえカタチにならなくても。

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