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高校卒業まで
実家の富山で家族4人で暮らしておりました。

大学入学を機会に実家を離れ
それ以後は両親とは年に数回会う程度でしたが
その度にいろんな話をしてきたように思います。

5年ほど前、父親に癌が発生しました。

小細胞肺癌。

やっかいなやつです。

それでも病気を治すために治療に取り組み
京都へ家族旅行にも行けるようになってました。

意外と大丈夫なのかな
ラッキーな方の数字引いたのかなと
思ってましたが
その後転移を繰り返し
2022年の1月20日亡くなりました。

その2日ぐらい前には入院先の病室から
テレビ電話して話していたんですけどね...

「週末こっちは天気いいぞ」って

確かにいい天気でしたけど
亡くなった姿に会いに行くとは
思ってもみませんでした。

寡黙で厳しい父親でしたが
やりたいことを全部やらせてくれる人でした。

ただ、不出来な息子だったもので
ほんと沢山怒られました。

言われ続けたことは今後生きていく際に
忘れないようにしようと思ってますが

実はまだちゃんと実感してないというか、、、

今も
富山に向かうサンダーバードに乗ってるのですが

ひょっこり迎えに来てくれてるんじゃないかと
そう思ってしまうのです。

身近な人

特に

親という絶対的な近親者の「死」に直面したとき

「死」という現実と
向き合わないといけないココロの整理と同時に

色々な手続きが待っていました。

幸い、学生時代に学んだことや
行政書士補助者時代の経験

それに加えて父親の話を聞いていたり

母親の手元にメモが遺されていたことで

手続的なことに
困ることはありませんでしたが



ひとつひとつ片付けていく過程で

果たして父親の想いとはどうだったのだろう

自分がいなくなった後の世界に対して
なにを考えていたのだろう

ということなどが
ぼんやりと頭を掠めていきました。


なにぶん
もう本人の意思を確認する術がない。

今やっていることは
本当に父親が望んでいたことなのだろうか

父親であればどうしていただろうか

これは本当に「正解」なのだろうか...。

こういったことは
自分ごとに置き換えたときにも
感じる感情なのではないかと
考えるようになりました。

自分が過ごした
もしくはまさに今過ごしている
人生の「答え」を考えること。



自分が最後のときを迎えるとき

いや

普通に意思を残せる状態であれば
まだマシかもしれない。

天災や事故など
思いもよらない最期を
迎えることになってしまうことも
あるかもしれない。

『最期を迎えるに備えて
 入念な準備が必要なのではないだろうか』

そのためには

『どのように生きるのか』に
チカラを入れて
生きていかなければならないのではないか。


父親との話や
遺されたメモからは
「生きる想い」
「生きてやるぞ」という気持ちしか
感じることができなかった。


『生きる想いをカタチにする』ために『生きる』

『どのように生きるのか』という
『生きかた』を見定め
自分の人生の「答え」を用意する。

父親が最後に
『気付き』をプレゼントしてくれたようです。

このようなことを「きっかけ」として
僕のアタマのなかに

「新しい『終活』としての【️創活】」

生まれることになります。


最期に...
67年というあんまり長くない人生でしたが
結構波乱に満ちた人生だったのかな。

まだまだやりたいこともあったと思いますが
またいつか会ったときに
大好きだった酒とタバコやりながら楽しみたいね。


感謝の想いとお疲れ様の慰労の意味を込めて。




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