ザ・ビフォア・アドベンチャー 『夢を諦めないで』
「私はバカだからさ、高卒だし、こんな仕事しかできないけど、マークは良いじゃない。頭も良いし、大学も出てるし、夢がいっぱいあって。私もキャリアウーマンみたいな感じで、バリバリ働いてみたかったな。バリっとスーツを着てさ。カッコいいよね、ああいう女の人って。私じゃ絶対なれないからさ、すごく憧れなんだよね。だから、マークには夢を諦めないでほしいな。私と違って夢を叶える力があるんだから。いろいろ難しいこと、いっぱいあると思うけど、きっと大丈夫」
彼女のその言葉が今でも印象に残っている。自信を失いかけて燻っていたあの頃のボクにとっては、とても励みになる言葉だった。
最初の出会いは、確か夏の真っ昼間の14時頃だったと思う。ドアの鈴が鳴ったので一階に降りてみると、やけに綺麗で洗練された感じの女の子が店の入り口に立っていた。派手なドレスや香水で、彼女が何の仕事をしている人なのかはすぐに分かった。ずいぶんと大人びたように見えるけれど、歳はまだ二十歳前後といったところなのだろう。彼女が開けたドアから舞い込んだ風によってカーテンが波打っている。今日は日差しが強く、ボクの写真事務所には溢れるほどの光が降り注いでいた。思わずそのまぶしさにボクは目を細めた。でも、本当に目を細めたかったのは、もっと別のことだったのかもしれない。夏の陽光に包まれた彼女は、可憐そのものだった。
「宣材写真って撮れますか?」
彼女の第一声だった。その言葉で少しぼーっとしていた意識が元に戻る。
「もちろん、大抵の写真なら何でも」
「宣材として使いたいので、納得のいくものが撮れるまで撮れたりしますか?」
大抵の写真店では2カットか3カットで数千円から数万円というのが相場で、カメラマンが一方的に撮り、撮影された複数枚から依頼者が選び取るパターンが多い。流れ作業で撮影しているカメラマンは、こういうお客さんを面倒がる人も多い。だけどボクは、こうしたこだわりを持つ人にほど寄り添いたいと思う。もちろん、効率が悪くなるから損得で考えれば、損をする。採算は合わないかもしれない。けれど、それでもいいんだ。だからボクの写真店はいつまでも小さいのかもしれないけど。つくづく自分は経営者には向いていない性格だと思いながら、この仕事を続けている。
「何度でも撮り直せるよ。何枚か撮るごとにPCの画面を見せるから、それを見てもらいながら一緒にイメージに沿った写真づくりをしようか」
「よろしくお願いします」
彼女はそう言って軽く会釈した。
ボクはライティングを組み終えた後、彼女に反射率18%のグレーカードを持ってもらった状態で一枚撮影した。このカードを画面のどこかに入れた状態でRAW撮影しておくと、あとから正確な露出やホワイトバランスを再現できる。マニュアルでホワイトバランスを探り当てる時間がない時も役立つテクニックのひとつだ。次に白レフを彼女の左サイドに配置し、クリップオン式のマシンガンストロボのフラッシュを飛ばす。そして、同期しているもう一つのストロボも背後から発光する。スタジオの天井照明、クリーム色がかった壁紙、中庭の緑、カーテンの色など、撮影場所は色かぶりのオンパレードだが、グレーカードで後から修正が可能なため、ボクは気にせずシャッターを切っていく。それにしても、頼りがいのあるマシンガンストロボだ。ボクはこのメーカーのストロボに最も信頼を置いている。秒間10枚以上の高速連写にもついてくるこの耐久力。ボクがこのストロボを愛用する理由は、この圧倒的なスタミナにある。
複数枚撮るごとに彼女にPCの画面を見せて、撮りたいイメージを探っていく。そんなふうにして一枚一枚撮影し、納得のいくものを選んでもらっていった。どうやら写真は全て気に入ってもらえたようで安堵した。そんなふうにして無事に撮影は終了した。
その日はそんな感じで終わったのだが、後日、彼女がまた来店した。どうやら、この前撮影した写真が好評だったようで、そのお礼と機会があればまた撮影をお願いしたいとのことだった。カメラマンにとってこれほど喜ばしく、ありがたい話はない。自分の写真で誰かを幸せにできたのだから。それから、彼女はボクの撮影事務所に定期的に遊びに来たり、撮影の依頼で訪れるようになった。
ある時、彼女がボクの写真事務所に遊びに来た時、特に思い詰めたような感じでもなく、さらっと言った言葉が印象に残っている。
「ねえ、何だか突然怖くなることってない?理由はよく分からないけれど、この先どうなるのかなとか、そんな不安で」
「あるよ、しょっちゅうね」
同感だった。これからのことになんて、何の約束も保証もない。こんなその日暮らしがいつまで続けられるんだろう。ボクはこの先どうなるのか。ジグソーパズルが揃った時のような完璧な答えが欲しかった。出口のないトンネルに入り込んでしまい、本当はもう二度と抜け出せないのだけれど、それでもどこかに光があると希望を捨てきれず彷徨う焦燥感。そんなものをいつも感じている。
「マークでもそうなんだ。楽観的に見えたけど。何だか人生楽しそうって感じで生きてるから、羨ましいと思ってた」
「そんなふうに映ってたのは意外だったな。ボクも結構、これでも大変なんだぜ」
「私もさ、いつまでこんな仕事続けられるんだろう……」
「先のことなんて考えたって仕方ないよ。なるようになる。それに身を任せるしかない。でも、夢はある。叶うかは分からないけれど。ボクは大発見がしたい。古代文明の謎を解き明かして世間を騒がせたい」
「その夢、絶対に諦めちゃダメだよ。何があっても」
「キミに夢はないの?」
「ないよ。だから夢がある人が羨ましいの。なりたいものがない。ただ惰性で生きてる自分が嫌い」
「綺麗だし、みんなからモテるだろうに。悩みなんてないって思ってた。それこそ、人生楽しそうだなって」
「全然」
「そうだったんだ」
「私はバカだからさ、高卒だし、こんな仕事しかできないけど、マークは良いじゃない。頭も良いし、大学も出てるし、夢がいっぱいあって。私もキャリアウーマンみたいな感じで、バリバリ働いてみたかったな。バリっとスーツを着てさ。カッコいいよね、ああいう女の人って。私じゃ絶対なれないからさ、すごく憧れなんだよね。だから、マークには夢を諦めないでほしいな。私と違って夢を叶える力があるんだから。いろいろ難しいこと、いっぱいあると思うけど、きっと大丈夫」
「……」
「急に黙らないでよ」
「いや、励みになるよ。とっても。このまま人生終われないって思った」
「絶対に良い巡り合わせがあるよ」
応援してくれる誰かがいる。それだけで幸せなことなんだ。見てくれている人がいる。それだけで感謝なんだ。ボクは夢を叶えなくてはいけない。必ず、絶対、何があっても。そうしてボクはまた、仕事が終わると自分の研究に寝る間を惜しんで没頭した。たとえ東の風が吹こうとも、ボクの夢は終わらない。どんなに惨めだって、どんなにバカにされたっていい。ボクがボクであるために夢を見続ける。そう、自分に言い聞かせた。
To be cointinued...
【キャラクター紹介】
マーク
古代オリエント文明を探究する冒険家。考古学研究を志し、いつか自分も歴史に名を残す大発見をすることを夢見ている。写真屋を生業にしている。
風秋(ふうき)
マークの写真事務所に現れたお客さん。東京での芸能活動を目指し上京。アイドルやモデルになることを目指している。生活のため、普段は夜の街で働いている。
【マークの大冒険 時系列順】
「ザ ・ビフォア・アドベンチャー」
考古学研究を志すも現実は厳しく、街の小さな写真屋で燻っていたマーク。だが、ある日訪れたお客さんとの出会いで、夢を諦めないことの大切さを再確認する。
「古代エジプト編」
マークがエジプトの遺跡を冒険し、天空神ホルスに出会うまでの物語。神秘の器ウジャトを手にし、新たな冒険が幕を上げた。
「アンティークコインマニアックス コインで辿る古代オリエント史」
古代のコインを求めてマークが小アジア、ギリシア、シチリア、シリア、エジプト、ローマ本土、ローマ属領の7つのエリアを巡る。ギリシア世界はアルカイック期からヘレニズム期まで、ローマ世界は共和政期から帝政期のユリウス・クラウディウス朝からネルウァ・アントニヌス朝までを旅する。古代地中海世界は広大だ。
「アンティークコインマニアックス パート2 崩れゆくローマ帝国」
古代コインを求めてマークがローマ帝国のセウェルス朝時代を旅する。全ての道はローマに通ず。ボクらの心もローマに通ずる。
「アンティークコインマニアックス パート3 ローマ帝国の崩壊」
古代コインを求めてマークがローマ帝国の軍人皇帝時代からテオドシウス朝までを旅する。ローマ帝国は偉大にして、永遠なり。そんな帝国に見え始めた一筋の影り。
「東風 動き出す歯車」
マークが上崎女学院の早川瞳と出会う物語。アレクサンドロス大王の肖像を描いた古代エジプトの一枚のコインをきっかけに二人は結びつけられた。
「古代ローマ編」
マークが瞳と共に古代ローマの共和政末期を巡る物語。カエサル、アントニウス 、オクタウィアヌス 、ブルートゥス、カッシウス……。ローマの名だたる英雄たちと旅をする。
最後の選択 ブルートゥスの決意
ブルートゥスとカッシウスの追跡
ブルートゥスとカッシウスの反撃
「オリエンタル・ウインド」
マークが自分たちの世界が究極の理想を体現した夢見る精神世界だったことを知る物語。たとえこの世界が偽りだったとしても、ボクらの冒険は終わらない。
Shelk 詩瑠久🦋
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