#わたしのこと
"何者か"になりたくて苦しいけど、たぶん、未来から見たら愛おしいのだろう。
家に「Emilia(エミリア)」という名を持つ、テディベアがいる。サラサラと滑らかな美しい光沢のある毛並みに、反射した光を内包するつぶらな黒い瞳。ほんのり口角を上げた口元で、いつもじっと、そこにいる彼女は、日々変わらず"愛らしい"という癒やしをもたらしてくれる。
「Emilia(エミリア)」という名を持って生まれた彼女は、表参道にあるSteiff青山店に並べられ、わたしという人間に見初められた。
「友だちと遊ぶのが面倒くさい症候群」の要因を考えてみる
友だちと遊ぶのは、好きだ。けれど、面倒くさい。
予定を立てるまでは良いけれど、いざ遊ぶ前日になると「面倒くさいなぁ……」と思ってしまう。もちろん当日の朝も「面倒くさいなぁ……」と思っている。
べつに、その友だちのことが嫌いなわけでも、苦手なわけでも、一緒にいてつまらないわけでもない。「楽しかった!」と帰ってくることだって、しばしばある。
それにも関わらず、あまりにも「面倒くさい症候群」を発症
魔法にかけられたい大人のディズニーランド
大型バスから一歩出て、足を地に着けた瞬間、ぴりぴりとした不思議な感覚が身を包む。
緊張のような、ワクワクのような、夢の世界ならではの刺激が足先から頭のてっぺんまでスッと通り抜けて、わたしは思わず息を吐いた。
一歩踏み入れた瞬間、今日が楽しい1日になることを確信させてくれる。
"魔法にかかる"とは、まさに、このことだ。
今年で40周年を迎えるという人生の大先輩であり、幼少期の頃から幾度もお世話
ポンコツな人なんていない。環境が合っているのか、合っていないのか、それだけ。
ポンコツとは、どこかに少し欠陥があったり劣化してしまったりして、調子が悪いことを表す言葉だ。
わたしは「またポンコツなことをしちゃったな」と落ち込み、涙することがよくある。
元より感受性が高く、涙腺が緩いタイプの人間なので、刺激が一定ラインを越えるとすぐに涙が噴水のように湧き上がってくるのだ。
昨夜は洗濯機をまわすつもりで洗剤を投入していたのに、電源ボタンを入れるのをすっかり忘れてしまった。