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音楽に関する記事
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「…もしもそんな音楽があるとしたら、それがバッハなんじゃないかな。」

「…もしもそんな音楽があるとしたら、それがバッハなんじゃないかな。」

あるライブが終演して、まったりしていたら、ミュージシャンの一人が「今度バッハやるから聞きに来て」とフライヤーをお客さん達に見せていた。まだ全然弾けてない、と言いながら 笑。そんなに難曲ですかと聞くと、ほんとに難曲だ、と 笑。

バッハに挑戦したいミュージシャンは多いと思うし、私個人的には、和音をとても大切にする(…と私には感じられた)その人がバッハに行き着くのは当然のような気がしていて、苦戦だと言

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「音楽の素晴らしさを、あなたは見たのかもしれません。」

「音楽の素晴らしさを、あなたは見たのかもしれません。」

あるライブに行った時のことです。

私は、上手側の後ろの方に座っていました。
いつがったか、この辺りがいちばんピアノがよく聞こえるのだ、と誰かが言ったのを耳にして以来、馬鹿のひとつ覚えの様に私はいつもここに陣取るのでした。本当によく聞こえるかどうかはさておき、実際座ってみると落ち着く場所なのです。

やがてステージではアンコールの最後の曲が流れ始め、客席は最高にリラックスして、ゆったりと揺れていま

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アーティストとは誰なのか?

アーティストとは誰なのか?

この世界というものは常に移り変わってゆきます。これまでもそうだったし、これからもそうです。

しかし私たちは、日常の雑事に追われて、或いは日常が平々凡々とし過ぎる (と思い込んでいる) ために、世界が変化している事になかなか気づきませんが、本当は、この瞬間も移ろっていく最中なのです。
そして後になって、過ぎ去ってみてからようやく振り返って、「時代」という概念を尺度にしたりしながら、この世界が既に変

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ミュージシャンたちの意識だけの会話「次は助けないよ!」

ライブハウスに全国ツアー中のコンボを聞きに行った時のことです。

ライヴは勿論それはそれはかっこよかったのですが、終わるとみんなワラワラと客席に座って一緒にお酒を飲み始めて。こういうのよくありますよね。
目の前にいるベーシストがしきりにピアニストを褒めていて、「彼は素晴らしい才能。でも彼の曲は難解で……」。
そのピアニストが作った曲というのは、変拍子満載で素人の私の耳にも演奏が大変だろうなと思えま

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芸術都市マントヴァはユダヤ人コミュニティを隔離したくなかった  (EX NOVOオンライン講座から)

芸術都市マントヴァはユダヤ人コミュニティを隔離したくなかった (EX NOVOオンライン講座から)

以前、古楽アンサンブル EX NOVO が企画するオンライン講義シリーズ、vo.3 『モンテヴェルディ《オルフェーオ》~様々な角度から概観する~』 を受講した感想などを、備忘を兼ねてnoteに記しました。講座のメインは、世界初のオペラ作品『オルフェーオ』についてなのですが、3時限目の、当時のマントヴァの様子がとても興味深く、私のメモ書きはそのことに終始していました……。
講師は音楽学の萩原里香先生

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『浜辺の歌』は成田為三の告白だった。

『浜辺の歌』は成田為三の告白だった。

2006年7月16日付読売新聞朝刊に、『浜辺の歌』に関する記事が載りました。概要はこうです。

……

音楽学校時代の成田為三と同窓で、ピアノ専攻の矢田部正子さんの元に郵送されてきたのは、「いとしの正子へ捧ぐ」と記された楽譜でした。当時正子さんは、すでに結婚が決まっており、事情を伝え楽譜を送り返したのだそうです。それが、浜辺の歌でした。

関係者がみな亡くなった今ならばと、正子さんのご養子で声楽家

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アーティストは「必要不可欠な」存在ということを、オーディエンスが体験的に実感していくために。

アーティストは「必要不可欠な」存在ということを、オーディエンスが体験的に実感していくために。

コロナ禍による行動制限や支援について、エッセンシャルワーカーの定義について様々に語られる中で、

「アーティストは必要不可欠であるだけでなく生命維持に必要」

ということを、私たちは確認しあいました。
しかし私たち聴衆・鑑賞者が、この事を一時の共感や理屈だけのものとして過ごしてしまわずに、自分事の体感として持っているか、ということについて、一つの体験を記しておきたいと思います。

ある時、「バーン

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岐路に立つパイプオルガン

岐路に立つパイプオルガン

パイプオルガンの起源を辿っていくと、なんと紀元前、ギリシャ時代にまで遡ることができるのだそうです。「ヒュドラウリス」といって、水圧を利用して空気を送る、かなり大がかりなものだったようです。
以前、地元のホール、アトリオン音楽ホールが主催するレクチャーに参加した時、パイプオルガンの歴史を解説してくださっていて、その壮大な歴史を知りました。

初期の姿は、現在私たちが目にするような美しい装飾の楽器から

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“Nigra sum”は東北の3月

“Nigra sum”は東北の3月

震災から数年間、3月になると言いようのない重苦しさを感じていました。

あの日、ここ秋田は奇跡的にも大きな被害がなかったのですが、毎年3月になると、追悼、というのとはちょっと違う、重い空気が漂いました。楽しいことをするのも、楽しいことを言うのも憚られるような、罪悪感。きっと日本中がそうだったのでしょう。

そんな中で、ある時、モンテヴェルディ「聖母マリアの夕べの祈り」の“Nigra sum(私は黒

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