見出し画像

芸術都市マントヴァはユダヤ人コミュニティを隔離したくなかった (EX NOVOオンライン講座から)

以前、古楽アンサンブル EX NOVO が企画するオンライン講義シリーズ、vo.3 『モンテヴェルディ《オルフェーオ》~様々な角度から概観する~』 を受講した感想などを、備忘を兼ねてnoteに記しました。講座のメインは、世界初のオペラ作品『オルフェーオ』についてなのですが、3時限目の、当時のマントヴァの様子がとても興味深く、私のメモ書きはそのことに終始していました……。
講師は音楽学の萩原里香先生。
↓↓↓

講義の中で私が最も興味深く感じたのは、16世紀頃のイタリア、マントヴァとユダヤ人コミュニティの関係。
当時、教皇から既にユダヤ人コミュニティ隔離のお触れが出ていたにもかかわらず、マントヴァ公ゴンザーガはギリギリまでそれをしなかった。
その理由は、人権とか人道という観点からというよりも、そうすることがマントヴァとして非常に恩恵のあることだったから、というほうが実情だし正確なんだろうなと思った。

商業に長けていたユダヤ人コミュニティは税収の源であっただけでなく、舞台芸術の都としての発展を望むマントヴァは、ユダヤ人の「市民義務」として宮廷での芸術分野の企画運営を任せ、彼らは義務を果たすうちに実際に才能をおおいに発揮させた。特に舞踊分野では高い役職を与えられてもいて、表立って活躍していたよう。

世界で初めて「劇団」を作ったのもユダヤ人たち。当時の劇団とは、喜劇を上演する役者集団のことなのだが、面白いのは、マントヴァ市民の書簡が残されていて、そこには、

「誰もが、貴族も労働者も、こぞって劇を楽しみ、一日中劇場に入り浸っている」

これは権力の側(教皇)にしてみると、おもしろくなかったでしょうね。なにしろ、権力者の最大目的でもある、人々を分断させて統制すること、それが機能しない場に、劇場がなってしまったのだから。

偉大な作曲家モンテヴェルディが、オペラという音楽形態を開発したのも、「演劇と同じものが音楽でできないか」というマントヴァ公たちの一念からだったというから、演劇の出現が当時の人々に与えたインパクトは相当なものだったろうと想像できる。

そのオペラに関しても、宮廷関係者の書簡が残されていて、

「とにかく皆が興奮しています。何しろ、誰も見たことのないものが作られているのですから。」

まさにマントヴァ最高の時。

やがて、、、

やっぱり教皇の圧力が勝りユダヤコミュニティは隔離され、

更なる活躍の場を求めて教皇側に傾いていたモンテヴェルディが去り、

マントヴァのゴンザーガ家は激しい跡目争いに突入して、

マントヴァは歴史の表舞台から消える(だいぶ端折った 笑)。

芸術が政治に「利用」されてしまうことは多々あれど、これだけ全面的に芸術を推した例は珍しいのではないか。そこに出現した場は、人種や階級という見せかけの「差」をやすやすと呑み込む、果てしないエネルギーがあったに違いない。

、、、とはいえ。
物事はバランスが大事なのだ。全ての物事にはメリットとデメリットがあり、デメリットを引き受けるからメリットを享受できるのであり、、、
デメリットを引き受けて惜しくない程の豊かなメリットを、我々が認識できているか。
そういうことなのだと思う。

古楽アンサンブル EX NOVO

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?