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生身の人間から感じる「恐怖」

みなさん、こんばんは。綺羅です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


今朝から、高温注意メールが、何度も届いている状態です。

私は今日、外には出ていないのですが、相当熱いのだと思います。

特に今年の夏は、マスク必須で熱が体に籠りやすい状態でしょうから、少しでも違和感を感じたら無理せずに積極的に休憩を取っていきたいですね。


さて、私は「涼」を求めて、YouTubeやAmazon Primeで、ホラー映画を検索し、BGM代わりに流しているのですが、そこからふと思ったことがありました。

幽霊や妖怪、悪魔よりも、生きている人間が、一番「怖い」

と、思ったのです。

ですが、そう思っても、

私は、人を信じます。


😈

私が幼い頃、この時期になると「ほんとにあった怖い話」とか、怖い系の動画が編集されたバラエティー番組が放送されていました。

今では、地上波で放映するのには、放送倫理に引っかかるとか、視聴者さんからの苦情が多くなったのかもしれないですね。

ホラー系の番組自体が放映回数が極端に減っているので、何とも言えないのですが、今年もまたどこかで放映されるのでしょうか?


私自身は「怖いけれど見てみたい」という気持ちがあったため、画面越しで目を手で覆いながらも、テレビを見ていました。

最初は、単なる好奇心だけで見ていたのですが、「いじめ」や「仲間はずれ」を自身で経験したこともあり、段々と自分の中で感じていたことが大きくなっていきました。

生身の人間の方が、よっぽど怖い・・・。

と、感じるようになり、「恐怖」と「好奇心」の対象だった幽霊や妖怪、悪魔のことを、今までの見方から変えてみたのです。


「得体が知れない」という点において、幽霊や妖怪、悪魔は「恐怖」の対象になり得ると考えています。

人型で出て来ることや、人になりすまして出て来ることもあると聞くのですが、生きている人間の「生々しさ」よりも「清々しい」と、感じてしまうのです。

人によって「綺羅は一体何を考えているんだ・・・」と、思われるかもしれないですが、幽霊や妖怪、悪魔は「自分の望みをはっきり伝えるな・・・」と感じました。

言い渋ったり、遠回しな表現をすることなく、自分の望んだことを、「こうしたい!」「ああしたい!」という信念(?)を持って、動いているように思えたのです。

自分の成したい望みに対して、誠実に行動し、自分で動いて手に入れようとします。

その行動に「恐怖」と「疑問」しか感じられなかったのですが、ある時から、ある種の「格好良さ」を見出してしまったのです。

・・・私も、あんなふうに行動してみたい、と。



😈

一方、生身の人間のことを考えてみると、「いじめ」や「仲間外れ」、「誹謗・中傷」が、もはや普通に「生活の一部」として組み込まれていて、日常茶飯事になっています。

職場でも「いじめ」や「仲間外れ」が目立った形で表れているわけでは無かったですが、「陰口」や「嫉妬」といった感情が、渦巻いていました。

目立たなかったからといって、些細なことではありませんでした。

その「悪口」や「陰口」の一言で、

明らかに空気の質が変化し、原因が分からないけれど「気持ち悪い」と感じる

ことが、よくあったからです。

あえて言葉に表わしてみるならば、その空気はどろどろのヘドロを纏い、それがくっつくと、簡単には落とせないのです。


・その人の前では笑っているけれど、その人がその場を去ると、急に隣の席の同僚と陰口を共有する

・その人がすべき行動を間違えていたら、教えてあげるわけでもなく「いいよ、いいよ、大丈夫!」と言っておいて、小声で悪口を言い続ける

・本当は嫌いで口も聞きたくないのに、仕事のパートナーであるため、思ってもいないことでおだてる

etc・・・

こうした環境の中でも、生きるために、必死で嫌な事にも耐えて、仕事をしたり、学校へ行こうとして、頑張ろうとしている人たちがいます。

私は自分を護るために、退職することを断固として譲りませんでしたが、家族がいたり、守るものが自分以外だったりすると、簡単に決断できないと思います。

そうした中で、分からないうちに「いじめ」や「誰かの悪口」に、嫌でも影響を受けてしまうのではないかと、思うのです。


私が思う所ですが、

「いじめ」や「仲間外れ」、「誹謗・中傷」には、責任の所在が分からない

部分が多いです。

そうした部分に「得体の知れない恐怖」を感じ、

幽霊や妖怪、悪魔よりも、「たちが悪い」と感じる

のかもしれないです。



😈

最近は「平和」について考えることが多く、先の記憶を忘れないために、様々な書籍や映像を見ています。

得体の知れないものに「恐怖」を感じるのは分かるのですが、

同じ「人間」に恐怖を感じ、人とは違う「得体のしれないもの」の存在の方が安心するのは、どこか寂しくて悲しいです。


世界中では、多くの人が平和で穏やかな日々を願っていて、私もその一人ですし、あなたもそうかもしれないですね。

どこで何がこじれて、こうした状態になったのかは、今の私には分からないですが、

「生きている人間が為すことが怖い」と感じる心を紐解いていくことも、「平和」を考えることに繋がらないか?

と、考えたのです。


ある人たちからすると、人と違うことをしたり、ないところからあるものを創ること、はっきりと主張することは、

「得体のしれないもの」で「恐怖」と「好奇心」の対象に見えている

のかもしれないですね。

まるで、幽霊や妖怪、悪魔を扱うような眼差しが向けられているのかもしれないですね。

なんだか、寂しいし、悲しいですね。


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私は、人は怖いと思うけれど、

「優しい」「嬉しい」「幸せ」をたくさんくださるのも「人」

という思いの方を、より強く信じています。


この「得体のしれない恐怖」に向き合う方法を、これからも探っていきたいです。



😈

トップ画像は わたなべ様 からお借りしました!

ありがとうございました。


みなさんからの、「スキ」や「コメント」や「フォロー」は、とても暖かい気持ちにさせてくれます!

この記事にお時間をいただき、ありがとうございました。


それでは、今日はここまでです。

みなさん、どうか今日も頑張ったご自身を褒めてあげてくださいね。



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