目で見える「感性」、お洋服
みなさん、こんにちは。綺羅です。
今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。
全国的に猛暑日の気温が記録されているようですね。
少し動くだけでも、汗がじんわりと出てきて、その水分で、皮膚がなんとなくベトベトした感覚に襲われます。
水分補給、適度な冷房使用、無理せずに休憩することを意識したいですね。
みなさんは、普段から自分が着たいと思う服を、着ることができていますか?
「服はそんな興味ないんで、なんとも思っていませーん。」
「自分が好きな服を毎日着られているので、何も不満はありません!」
「制服があるし、仕方が無い。それに周りの目も気になるし・・・」
特に学生さんや、勤務時に制服を支給されている企業だと、普段から私服を着られる機会は少ないのかもしれませんね。
そして「制服」があれば、普段「服」に関して悩まなくてもいいという点もあります。
ただ私には、服はただの「服」ではありません。
「服」は、目に見える形で存在している私の「スキ」であり、目で見える形の「感性」なのです。
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私は就業していた時、制服ではなかったですが、一般に定義されている「事務員に相応しい服装」をしていました。
仕事していたら、社会人らしい格好は当たり前ですし、それを求められていることも、分かります。
他の企業について、服装に関してどのようなガイドラインがあったのかは分かりませんが、少なくとも私の職場では、服の色、素材、どの程度までの肌の露出が許されるか等の基準が定められていて、この他に理想とされる髪型、髪の色、着用していいアクセサリーの種類などの基準が設けてありました。
(これらの決まりを見て、一瞬「どこかの旧体制の中学校じゃあるまいし・・・」と思ったのですが、ここでは割愛します。)
他にも、プライベートでの振る舞いや格好にも、やんわりとですが「基準」がありました。
私はこの時点で、一瞬違和感を感じたのですが、自分の考え過ぎだと思い、無視しました。
プライベートでの服装は、仕事上の知り合いに見つからなければいいのだから、どうしても好きな服を着たかったのです。
プライベートでは着ていたい、私の好きなお洋服は「ゴスロリ」です。
その目立ちやすい服装から、あまり目立たないようにするために、どこかに出かける時には、早朝に出て行き、夜遅くに帰って来るという方法を取っていました。
この努力の甲斐(?)があってか、仕事上の知り合いとは一切顔を合わせることはありませんでしたが、自分の無意識下で、心身は削れていたと思います。
ですので、心身共にリフレッシュして帰って来るはずなのですが、余計に身体が疲れ、「知り合いに見つかっていないかどうか」という心配から、心が疲弊し、苦しい時期が続きました。
そうはいうものの、この職場に入ったのは自分の意志であり、入った以上、決まりがあるなら守らねばなりません。
私は、いわば「労働者」として雇われた身ですから、文句は言えません。
そう思っていたのは、その理由だけではなく、
このご時世、自分の好きなお洋服が買えるくらいのお給料がいただけるだけでも、ありがたいと思わなきゃ
と、自分を洗脳していたのです。
自分が着たい服は、自分の苦悩の先にあるものだ
という思考とセットにして、考えていたのでした。
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「ゴスロリ」は1着の値段が高いです。
極端な例ですが、ゴスロリのワンピース1着で、1,000円のシャツが25~30枚を余裕で買えてしまいます。
1着にかけるお金が馬鹿になりませんでしたが、それでも、このお洋服たちを手放す気にはなりませんでした。
「ゴスロリ」は、自分自身の感性を否定し続けていた私に、「あなたが『好き』と思っているものは、全然おかしくないよ」と、認めてくれた存在
だからです。
表現が極端になってしまいますが、
着るだけで、自分を肯定してくれるような癒し
があるからです。
私の場合が「ゴスロリ」なのですが、人によって様々な単語が入ると思います。
人によって、今まで外見からとか、仕事上の都合からで「パンツスタイル」でいたけれど、自分の本心は「淡い色のふわふわのスカート」を着用することが、幸せと癒しを感じる人がいます。
また、周囲に「かわいい系」とレッテルを貼られてしまったせいで、花がらのスカートを着用しているけれど、本心は「ミリタリーファッションが好き」だから、迷彩服を着ると気持ちが楽になる人がいます。
人によって、お洋服に対する「感性」は違います。
それは、例えばピーマンが好きな人もいれば、嫌いな人もいるということと同じことだと、思うのです。
こうして考えた時、私は自分の感じた違和感が、
自分が「スキ」「楽しい」「幸せ」と思えるお洋服まで、他人に「感性」を干渉されないと、いけないのだろうか?
ということが、分かりました。
お金を稼げる職場ではありますが、その引き替えに、自分の「感性」を差し出さねばならないとわかって、そうした理由も、私が職場を離れようと決心を固める、決定打の一つとなりました。
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「服を考えるのが面倒だ」と、私の周りの友人はよく言っていました。
私はその時、みんなと合わせてみんなといることが、当時の幸せだったので、「本当、そうだよね。」と合わせていました。
ですが、合わせた後にくる「嘘。本当は選ぶのが楽しいくせに。」という、心の声を、抹消してきました。
みんなに合わせるのには、自分の感性は邪魔になると考えていたからです。
自分一人でもいられる勇気よりも、人と一緒にいられる和やかさの方が欲しかったのです。
私が同意すれば、相手も喜んでくれるし、私も嬉しい。
社会に出てからもそうでしたし、「スキ」と言えば仲間として見てもらえる。
自分の「スキ」を消すだけの、簡単な作業です。
ただ、消した後の代償があまりにも大きすぎます。
自分の「感性」を消すことは、自分で自分をいじめることと同じです。
「スキ」「楽しい」「幸せ」と感じられるのは、”自分がいて”初めて感じられることであり、自分が消えてしまえば、それを感じることはできなくなるでしょう。
大きな視点で見れば、物事の表裏や白黒がないのと同じように、好き嫌いもないものだと思うからです。
それならば、自分が生きている間は「スキ」「楽しい」「幸せ」をなるべく多く感じていたいですし、そうした気持ちを基に、自分が社会に役立つことをしていきたいと、思ったのです。
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「たかが服くらいで、重く考え過ぎ。」と言われればそれまでですが、「たかが服、されど服」です。
お洋服は、自分の目で見ることのできる「スキ」です。
見るだけで、触るだけで、「スキ」という気持ちで満たされて、幸せな気分にさせてくれます。
人によっては「スキ」だけではなく、
・「これを綺麗に着こなすには、あと5キロは痩せてやる!」といった目標を持ち、ダイエットを始める
・「このドレスを着てホテルのディナーに行くために、テーブルマナーを勉強してみよう」と、やってみようと思えることが見つかる
・「このお洋服の模様、何か気になるなぁ・・・自分でも描けるようになるかな?」と考えて、幾何学に興味を持ち自主学習を始める
という行動に移す人もいるのです。
こうなれば、単なる「スキ」ではなく、自分の興味をたくさん引き出してくれる「道具」にもなり得ます。
「スキ」から広がる興味・関心は、人が頭で想像し、言葉にして表わすよりも、多くて、広くて、深いと、思っています。
その多さ、広さ、深さは、「私」という人格のグラデーションを豊かにしてくれます。
お気に入りの服を着て生活できることは、自分の興味・関心を肌身離さず持っておける、私にとって最高の習慣の一つです。
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トップ画像は kikimetal様 からお借りしました。
ありがとうございました!
みなさんからの、スキやコメントやフォローも、私という人間のグラデーションを広げてくださいます。
この記事にお時間をいただき、ありがとうございました!
それでは、今日はここまでです。
みなさん、お気に入りの服とのいい一日を!
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