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大切なもの

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#哲学

現実なんかより想像や妄想の方がよっぽど重要だという話

現実なんかより想像や妄想の方がよっぽど重要だという話

想像や妄想の世界のほうが、現実なんかよりよっぽど重要だ。という話がしたい。

我々が現実よりも多くの時間をつかっている想像の世界。そして死ぬ直前、ベッドの上で、我々は最終的に、自分がつくった想像の世界で息を引き取ることになる。

現実を変えるために想像力があるんじゃない。想像力を豊かにするために、現実で様々な体験や知識を「素材」として集めるのだ、という話をこれからしたい。

現実世界よりも想像の世

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「どうせ幸せになってしまう」メカニズム

「どうせ幸せになってしまう」メカニズム

カズレーザーさんの「人間どうせ幸せになる」論が好きだ。

私は何を好きになるのか
私は誰を好きになるのか
私にとっての幸せとは何なのか

ということを、我々は自分では決められない。

どういう遺伝子で
どういう体つきで
どういう家庭に生まれ
どういう学校で育つか

そんな自分にはどうしようもないところで、「私」の生きる土台はほとんど固まってしまう。

この考え方を突き詰めると、これから私がどんな仕

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しゃべるのがあんまり得意でない人は、思考回路が最適化されている

しゃべるのがあんまり得意でない人は、思考回路が最適化されている

「独自の思考回路を持っている人」に、昔から興味がある。

「話す」という行為は、

頭の中にある思考を

言葉というコミュニケーションツールに落とし込み

口でその言葉を発声する

という手順を踏む。

自分専用の「自分語」を使ってガンガン考える人は、思考が深くて速い。でも深すぎて、それを他人と共有するための言葉がみつからなくなる。

自分の言いたいことが相手に伝わらないもどかしさ。いや、そも

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『Dr.STONE』から学ぶ夢の叶え方

『Dr.STONE』から学ぶ夢の叶え方

最近『Dr.STONE』にハマっている。

アマプラでアニメを2期まで履修し、惹き込まれ、その後マンガで続きを読み始めた。

ざっくり内容を解説するならば、

「急に人類全体が石化してしまって3700年が経過。文明が滅びた世界で科学オタクの主人公・千空だけが復活。科学の知識を駆使し、人類復活を目指す」

というストーリー。

その主人公・千空の一言に考えさせられた。

「いい夢ですね おとなになっ

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何かに打ち込んで「色んな問題」から逃げたかった

何かに打ち込んで「色んな問題」から逃げたかった

「何かひとつのことに打ち込みたい。夢中になれるものがほしい」と強く思い続けてきた。

僕はそういう人生に憧れているのだと思っていたのだが、もしかしたら違うのかもしれない、とふと気づいた。

もしかして、じぶんはたんに

「複雑なことを考えたくない」

だけだったんじゃないだろうか。

夢中になれるものがある人の、人間関係を省みず没頭する姿をカッコいいと思っていた。部活に没頭しすぎてテストの成績がわ

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劣等感が怖くて、勝負から逃げ続けてしまうあなたへ

劣等感が怖くて、勝負から逃げ続けてしまうあなたへ

囲碁や将棋の勝負では「棋譜の奉納」が行われることがある。

勝者と敗者が共に作り上げた真剣勝負の軌跡を、神聖なものとして神に奉じるのだ。

僕はいままで、勝負では「勝つ」ことが最高の価値だと思っていた。だから勝者のみが讃えられるのを当たり前の光景として受け入れてきた。

しかしこの「棋譜の奉納」という所作の存在を知り、「勝負」というものに対する考え方が大きく揺らいだ。

神に奉じられるのは、勝者で

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欠乏感を埋めないまま生きるというゲーム

欠乏感を埋めないまま生きるというゲーム

欠乏感。

もっとお金が欲しいとか
もっといい人間関係が欲しいとか

こういう欠乏感を、埋めようとしないという発想。
こういう欠乏感を、動機づけとして利用しないという発想。

欠乏感を抱えたままでいるのはしんどい。埋めたくなる。それが行動のモチベーションになったりもする。だから頑張れるし、努力もできる。

しかし欠乏感は、食欲や睡眠欲とは違う。

欠乏感は、完全に満たされるということがない。

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エフェクチュエーションの5つの原則、その真の意味をお伝えしたいのだ。

エフェクチュエーションの5つの原則、その真の意味をお伝えしたいのだ。

始まりの理論「エフェクチュエーション」は、既存システムを永続させることを目指してきたこれまでの理論とは180°異なる。そこで早速、エフェクチュエーションの生みの親、サラス・サラスバシーが述べる5つの原則を見てみようではないか!

1.手の中の鳥の原則

Not "What you ought to do." but "What I can do and do it".

「”お前”は何をすべきか

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