マガジンのカバー画像

小説

16
小説達
運営しているクリエイター

記事一覧

思い出の内側で

思い出の内側で

「安い飲み屋でしか生まれない思い出ってのがあんだよ」

若い笑い声が響くなか、目の前の男はそう諭してきた。私は特に返事もせず、醤油のかかりすぎたホッケをつまむ。
先程まで不機嫌な様子を出したつもりはなかった。それなのにこんなことを言うのは、やはり後ろめたさがあるのだろう。

和樹とは付き合ってもう3年になる。アパートの内見案内をしている途中、突然「ここに君と住みたい」と告白されて、私は面食らってし

もっとみる

花を葬る

先端の細いジョウロを傾ける。枯れた花束に水が注がれるとそれはしだいに鮮やかさを取り戻し、やがて燃えあがった。

暗雲の下、男はだまって火を見ていた。
時折 パチリ パチリ と乾いた音が鳴り、そのたびにひとつ花びらが燃え尽きていく。隣では客が涙を流し、漏れるように苦しい声をあげる。

雲が流れ月が出てきても、火はまだそこにあった。
客は「母にあげるつもりだった」と言い残し去っていった。
もはや何も

もっとみる
海の上の観覧車

海の上の観覧車

ひろい海の上で、ゆっくりと観覧車はまわっていた。どこを眺めても綺麗な水平線がみえて、それが寂しかったり、救いだったりもした。



それはほんとうにゆっくりまわっていた。1周まわるのに1日はかかるものだった。
窓が開けられることに気づいたのも、とにかくすることがないからだった。
ひどくおなかが空いていたのと、だれかと話がしたくって、わたしはあたりのカモメに言葉をなげた。

「ねぇ、おなかがすいた

もっとみる
無言の恋人

無言の恋人

荒い質感の肌が私の手の甲に触れた。満員電車のなか息苦しくもだえながら、こんな老体がその一員に加わってしまっている申し訳なさに体も心も小さくなっている時のことだった。

普通、こんなすし詰めの状態で手が触れあった程度で謝ることはない。それでも彼は私に接触する度に「すみません」と消え入りそうな声で言ってきた。
そのうちに少し乗客が排出され空間が生まれても、彼は離れることはなかった。二の腕や甲同士が触れ

もっとみる
すまほといっしょ

すまほといっしょ

目が覚めると知らない駅についていた。先ほどまで溢れていた乗客はすっかり消えて、一人だけ。俺が間抜けに寝過ごしているのみだった。

ハッとして立ち上がる。遅刻だ。連絡をいれなくては。いや、すでに無数の着信履歴があるに違いない。慌てて鞄を探るが、一向に携帯が見つからない。

鞄の中身をひっくり返そうとしたところで、「にゃー」と鳴き声が聞こえた。

見れば、向かいのシートに猫が座っていた。木製の名札を

もっとみる
ひらがな旅仲間

ひらがな旅仲間

「あ」は歩いていた。なんだかつまんないなぁと、口を開けてぼーっと歩いていた。そのうち友達にバッタリ会うと、あっ、と言って笑った。

「い」は言い合っていた。こちらの跳ね具合の方がイカしていると、両側とも譲らなかった。けっきょく結論はでず、口をいーっとしてそっぽを向いた。

「う」は拗ねていた。マンボの踊りの決めポーズが、双子の喧嘩で台無しになったからだ。ここが見せ場だったのにと、膝を抱えて口をうー

もっとみる
おしまいの夢

おしまいの夢

その夢の中で、僕はひとを殺した。

すっかり子供の姿になった僕は、おなじく子供の友達3人と暗いビルのなかで息を潜めていた。皆の手にはそれぞれ別の形の銃があり、僕はスナイパーライフルを持っていた。

だれをやろうか、なんてことを小声で話し合ったりしていた。先生に悪戯するような無邪気さだった。
クスクスと笑い声が響くなか、そっとスコープを覗きこむ。

ミニチュアになったような町のなかで、数人の大人が歩

もっとみる
呪われし印籠

呪われし印籠

「助さん、格さん、もういいでしょう」

上品な声が不愉快に鳴った。
ついに来た。手に汗がにじむ。
奴らに何度やられてきたことだろう。何をどうやったって、あの懐からアレが取り出された途端、こちらは身動きひとつとれなくなるのだ。

幾度となく頭を巡らせた。よりうまく、より楽に、贅沢な暮らしができるよう。なのに、あのふやけた面した爺の隣がアレをひとつ取り出すだけで、こちらが積み上げてきたものはすべて露

もっとみる
体温の無い愛情 序幕

体温の無い愛情 序幕

猫と仮面では、かぶることに意味の違いはあるだろうか。

どちらも角をたたせないようにするためのものではあるが、愛らしい風貌の猫と、無機質な仮面とでは、少しタイプが違うように感じる。

自分は猫と仮面、どちらを被っているのだろうかと考えながら、田崎幸一郎は同僚の話に相槌を打っていた。

「やっぱ幸は凄いぜ。営業成績、3位以下に落ちたことないんじゃないか?」

赤い顔をして、必要以上に大きな声

もっとみる
bar memories

bar memories

古びた木製の扉を開けると、暗い店内の奥にカウンターがあるのが分かった。ひとつだけ置かれた蝋燭の小さな炎が、やけに明るく見える。

「いらっしゃいませ」

何時の間にかその隣に老齢の店員が立っていた。先程までは居なかったように思えるが、さだかではない。
男は足早に中へ進むと、背の高い椅子にどかりと掛けた。

「記憶を売ってるってのは本当か」

店員はグラスを拭きながら「はい」と一言返事をした。すると

もっとみる
綿毛のこども

綿毛のこども

私がその人を自分のおじいちゃんだと認識する頃には、もう彼の髪の毛は真っ白だった。
それは一切のくすみが抜けきった、たんぽぽの綿毛のような髪の色だった。

厳しい人だったとおもう。毎朝、鏡の前でしっかりとその白髪を後ろに流し整えていた。洋服はいつもスラックスとシャツ。綺麗でかっこよくて、私はおじいちゃんと一緒にさんぽをするのがなんだか自慢だった。
でも、母とは折り合いが悪くて、たまにおじいちゃんの家

もっとみる
砕けたリンゴとミルクティー

砕けたリンゴとミルクティー

「最後にさわったの親父なんだから、ゲーム片付けなよ」

俺がそう言うと、親父は大きく目を開いて、手元にあったリンゴを投げつけてきた。
それは咄嗟によけた体を横切って、後ろのテレビにぶつかった。画面にはひびが入ってしまっている。

血が冷たくなるのを感じながら、それでも萎縮した顔など見せまいと、平然とした風でリンゴを片付ける。肌ざわりの悪い静寂。親父の怒りや戸惑いが、空気を黙らしているようだ。
リン

もっとみる
ヴィクトリアと呼んで。

ヴィクトリアと呼んで。

その夢の中で、僕は一人の女性になっていた。



嵐の夜。荒れる海。沈みゆく船の上で、私は倒れていた。

隣には男がいる。老人だ。ボロボロの姿であり、今にも命が終わるようだ。
その全てを諦めたような姿を見て、私は思い出した。

そうだ。ずっと一緒に旅をしてきた。彼の愛する女性ーヴィクトリアを探して。
私は彼が好きで好きでたまらなくて、報われぬ覚悟のもと、ついてきたのだった。

嵐は暗い海に打ち付

もっとみる
夢の教室

夢の教室

自分のことが嫌い。
ぶくぶくと太った体。何度捨ててしまいたいと思ったかわからない。ぐちゃぐちゃで醜い顔は、自分の心まで汚いように思えてしまう。

鏡で自分を見るたびに、ため息を通り越して怒りが込み上げる。耐えられなくなって、鏡の中の顔を思いっきり殴ってしまったことだってある。結局鏡は割れずに、拳から血が出ただけだった。痛くて痛くてたまならなくて、それなのに、誰もいない中我慢していた。その時に映った

もっとみる