見出し画像

bar memories

古びた木製の扉を開けると、暗い店内の奥にカウンターがあるのが分かった。ひとつだけ置かれた蝋燭の小さな炎が、やけに明るく見える。

「いらっしゃいませ」

何時の間にかその隣に老齢の店員が立っていた。先程までは居なかったように思えるが、さだかではない。
男は足早に中へ進むと、背の高い椅子にどかりと掛けた。

「記憶を売ってるってのは本当か」

店員はグラスを拭きながら「はい」と一言返事をした。すると男は懐から札束を取り出し、カウンターに勢いよく置いた。

「金はいくらでも出す。辛い記憶を売ってくれ。」

店員は置かれた金をじっと見た後、丁寧に横によけ、グラスをそこに置いた。

「理由をうかがっても?」

男は煙草を取り出し、指に挟んで少し上にあげた。店員がうなずくと、ライターで火をつけ、目をつぶって深く吸い込んだ。そしてたっぷりと吐き出した煙が消える頃、男は話し始めた。

「・・・死にてぇんだ。でも、別に辛くねぇ。ただ、このさき生きてても、煙草と酒ぐらいしか楽しみがねぇことが分かってる。絶望と言うほどじゃねぇが、気力がわかねぇ。だから、もう死のうかと思ったんだが、こんな気持ちで死んでも恰好がつかねぇだろ。だから、俺にとびきりの辛い記憶をくれ。」

店員はまず灰皿を出した。男はその縁を煙草で何度かたたき、灰を落とす。そして再び口にくわえ、煙を味わった。しかし、先程のように深く吸うことはなかった。

「死ぬ理由に足る記憶、ですね。承りました。」

店員は棚から2つの瓶を取り出した。リキュールだろうか。それらをゆっくりとシェイカーの中に注ぐと、幾つかの氷を入れた。
酒を注文したわけじゃないと男は思ったが、記憶がどのようにして手に入るのかもわからないので、黙ってシェイカーが振られるのを見ていた。
やがて、小気味よいリズムの音はゆったりとしたものに変わり、最後にシャコ、シャコと二回音をたてると、グラスに注がれた。

薄い水色のカクテルだった。男が手に取ろうとすると、「お待ちください」と声がかかった。
男が手を止めると、店員は隣の蝋燭の炎を指先で撫でた。すると小さな炎がそこに移った。そして指先がグラスの上へゆくと、まるで血が垂れるように、ゆっくりと炎は注がれていった。

「お待たせいたしました。当店のオリジナルカクテル-絶望-です。」

一色であったはずのそれは、いつのまにか下半分が黒くなり、二層となっていた。男は僅かに気後れしたが、灰皿に煙草を押し付けると一思いに飲み干した。

それからしばらく、男は何も言わなかった。ただ上を向いて目を閉じていた。そしてグラスが乾き始める頃、ため息ともつかぬような小さい嗚咽を漏らした。すると、一瞬蝋燭の炎が大きく燃え上がり、すぐにもとに戻った。

男は虚ろな顔で席を立った。店員は彼に札束を返すと、「お代はいただきましたので」と言った。
ドアの音が小さく響いた後、そこには煙草の香りと揺れる炎だけが残っていた。



僕をサポートすると宝クジがあたります。あと運命の人に会えるし、さらに肌も綺麗になります。ここだけの話、ダイエット効果もあります。 100円で1キロ痩せます。あとは内緒です。