見出し画像

名作 『市民ケーン』の すごさの真相 : 技術的斬新さの 歴史的意義だけではない。

映画評:オーソン・ウェルズ監督『市民ケーン』(1941年・アメリカ映画)

オーソン・ウェルズこそ「敬服すべき天才」である。

「オーソン・ウェルズは天才である」と評するだけならバカにでも出来るから、私はわざわざ「敬服すべき」という形容詞を付け加えた。

したがって、本稿では、オーソン・ウェルズが「どのような理由で、天才と呼ぶべき人なのか」について説明することになる。
そしてそれを行うためには、オーソン・ウェルズの代表作たる、この『市民ケーン』が、いかにすごい作品なのかを説明しなくてはならない。だがそれは、けっこう手間のかかることである。

本作『市民ケーン』を予備知識なしに観た「現代人」の多くは、その「すごさ」がわからない。
これは「映画史的知識」が無いからで、いわば当然のことにすぎない。だが、「映画史的知識」があって、この映画のすごさが、それなりにわかった人でも、それで「オーソン・ウェルズのすごさ」まで、正しく理解できた人は、ほとんどいないと、そう断じてもよいだろう。
「オーソン・ウェルズのすごさ」を理解するためには、批評家的な能力が必要であり、普通の映画ファンや映画マニアには、それが無いからである。

では、映画ファンや映画マニアに無くて、批評家にはある「批評家的な能力」とは、何だろうか? 一一それは「意味を読み取る能力である(読解力)」である。

例えば、本作『市民ケーン』を、現代の日本人が予備知識なしに観ると、そのすごさがほぼわからない。かく言う私だって、そうだった。
「たしかに絵的には面白いことをやっているようだ。例えば、セリフを喋っている画面手前に人物の顔だけが、完全に陰になっていて表情が読み取れないなんてのは、初めて見た。また、まだ若かったはずのオーソン・ウェルズが、主人公である新聞王の青年時代から歳をとって死ぬまでを、一人で演じ切った、その演技力はすごいし、それが不自然に見えないほどのメイクもすごい。」といったことなら、私だって気づいたし、少し注意深い人なら気づくこともできるだろう。

マーロン・ブランドではない。25歳にオーソン・ウェルズである)

だが、この映画に関していうと、やはり「映画史的な知識」がないと、「表面的にも」そのすごさがわからない。

事実、上のように感じた私でも「だからと言って、今となっては、それほどすごいことではないな。この作品もまた、この作品の作られた〝当時としてはすごい〟という意味での傑作なのではないか。例えば、ゴダールの多くの作品がそうであるように」という感じだった。
つまり、本作『市民ケーン』を「オールタイムベスト1」的に評価する人の多くは、あくまでも本作の「映画史的価値」を評価しているのではないか。しかしそれは、今の観客には、あまり関係のない、「業界的評価」にすぎないのではないかと、そう考えたのである。

当然のこのながら、私と同じように感じた人も少なくなかったようで、検索ワード「映画 市民ケーン」でGoogle検索してみると、検索候補として「なぜ名作なのか」「何がすごいのか」という項目が、自動的に上位に上がっている。これは、それほどこの作品の「すごさ」がわからなかった人が多かったという、何よりの証拠であろう。

だが、真の問題は、そうした「疑問」に答える「上位記事」の内容が、どれも「似たり寄ったり」でしかないだけではなく、私に言わせれば「まったく不十分なもの」だったという点である。

実際に検索して出てきた記事を、上から順番にいくつか読んでもらうとわかることだが、これらの記事は「相互参照」の結果だろうが、ほとんど同じことしか書いていない。
そして、それは、間違いではないにしても、「自分の頭で考えない人たち」のそれらしく、内容が「単なる知識」に終始して、「読み」というものが無いに等しいのである。つまり、彼らには「読解力」が無い。

こうした人たちが何を書いているのかというと、そのほとんどが、本作の「映画史的価値」の説明である。
つまり「今となっては、珍しいものでは無くなったけれど、当時の作品としては、革新的なことを、これだけたくさんやっていたのだ」という「映画史的知識」の、ひけらかしでしかない。
しかしそんなものは、識者の「映画史的知識」を読めば、誰にだって書けるものでしかなく、その人個人の「読解力」など、皆無であっても、十分に可能なことなのだ。

で、こうした人たちの書いている、『市民ケーン』は「なぜ名作なのか」「何がすごいのか」の説明は、おおむね次のとおりである。

(1)撮影技術の斬新さ
(2)シナリオ的な物語構成の斬新さ
(3)「薔薇の蕾」という「謎の言葉」をめぐる、謎解き物語のテーマ的な面白さ
(4)本作が、当時まだ健在であった「新聞王」の人生をパロディにした批評性

といったことである。

これらについては、私がここでくり決して説明することはしない。そんな説明は「能力のない下僕の雑用」か「それで対価をもらっている職業批評家のルーチン」でしかないからである。

だから、そのあたりについては、まずは本稿の読者個々が「映画 市民ケーン なぜ名作なのか」「映画 市民ケーン 何がすごいのか」で、Google検索していただきたい。そうすれば、一応「なるほど、そういうことなのか」程度の「説明」を得ることはできよう。

私が「読んだ」あるいは「視聴した」、こうした「解説」の中で、最も優れていたのは、映画評論家・町山智浩のよる、音声のみのYouTube動画(?)、「【町山智浩】映画史上の最高傑作『市民ケーン』」だ。

しかし、この動画、実は「45分」もある。
つまり、『市民ケーン』の「すごさ」を、「映画史的知識」を持たない、今の平均的な日本人に説明するためには、それくらい多くの情報を提供しなくてはならない。そうしないと理解してもらえない、ということだ。

そして、この動画も、上に挙げた「4つのポイント」について、ひととおり説明している。なぜなら、町山もまた「対価をもらっている職業批評家」だからで、そうした「ルーチン」を省くというわけにはいかなかったからだ。

ただ、町山の偉いところは、そこに止まらず、その「基礎知識」の先まで踏み込んで、自分独自の「解釈的説明」をしている点である。
ここまでやってこそ「批評家」の名に値すると言えるし、そこが「凡百の映画オタク」とは違うところなのである。

上の「4つのポイント」について、少し検討してみよう。

(1)撮影技術の斬新さ
(2)シナリオ的な物語構成の斬新さ
(3)「薔薇の蕾」という「謎の言葉」をめぐる、謎解き物語のテーマ的な面白さ
(4)本作が、当時まだ健在であった「新聞王」の人生をパロディにした批評性

この4点のうち、「映画史的価値」に属するのは、(1〜3)である。
これらの点は、「当時としては斬新」なものであったものの、多くの後進映画作家に真似された後の今となっては、同作を観ても、特別な驚きが感じ得ないのもやむを得ない、とそういう話である。

例えば、(1)の「撮影技術の斬新さ」という点については、パンフォーカス」「ローアングル」「クレーンショット」「超クローズアップ」「ハイコントラストといったことで、たいがいの人が説明している。
このあたりは、私の「映画評記事」で何度か紹介させていただいている、優れた映画批評ブログ「レビュー・アン・ローズ」の記事「古典映画『市民ケーン』が傑作と呼ばれるワケとは?/感想・解説・映画の革新・解釈」が、映像付きで、とてもわかりやすいので、ぜひ参照してもらいたい。

(2)の「シナリオ的な物語構成の斬新さ」についても、上の記事の説明がわかりやすい。「脚本技法の革新「フラッシュバック」」という項目で説明されている部分である。

この部分を、わたし流に簡単に説明しておくと、『市民ケーン』の場合、物語は、高齢となった主人公のケーンが、「薔薇の蕾」という謎の言葉を残して、寂しく死んでいくシーンから始まり、そこから新聞記者が、彼のこの「謎の言葉」の意味を探るべく、ケーンと親しかった関係者を訪ね歩く、という構成になっている。つまり、「現時点=ケーンの死」から、物語は始まって、個々の関係者が語る「過去」が、順に描かれるのだ。
したがって、作中の「時間」は「現在→過去→現在→過去→現在→過去→(…)現在→過去→現在」というような「複雑」な構成となっており、言い換えれば「物語が、時間軸に沿って、一方向に進む」というオーソドックスなものではなかった。

で、少し映画を観慣れている人であれば、今や「この程度のことは、何も珍しくはない」というのが、ご理解いただけよう。
そう「今となっては」こんな「構成」の作品はいくらでもあるし、特に「推理もの(ミステリー)」では、ぜんぜん珍しくない。
冒頭で、ある人物が殺されて、名探偵や刑事が関係者から事情聴取すると、その関係者は「彼と出会ったのは、私たちがまだ学生の頃でした」などと語り出して「回想シーン」になり、そういうのがいくつか続いた後、最後に「現時点」に戻ってきて、名探偵なり刑事なりが、その「回想シーン」に散りばめられていた「ヒント」を総合して「謎を解く」というようなパターンの物語である。

だが、本作『市民ケーン』が撮られた1941年当時には、まだこの種の「トリッキーな構成」の映画は無かった。
少なくとも「映画」においては、オーソドックスに「現時点から始まって、物語が展開していく」という「現在進行形」の作品ばかりで、「回想シーン」といったものはほとんど無く、その多くは「現時点の登場人物が、言葉で思い出(過去)を語る」という形式にとどまっていたのだ。

例えば、これに類する「視点の詐術=叙述トリック」を発明した推理小説として知られる、アガサ・クリスティ『アクロイド殺し』が書かれたのは「1926年」である。
だが、当時はこの手法が、あまりにも斬新すぎて、推理作家たちの間で「フェア・アンフェア論争」が巻き起こり、当然のことながら「アンフェア」だと断ずる推理作家も少なくなかった。だから、ましてや読者も「驚かされ」はしても、それを「インチキだ」と感じた人が少なくなかったのである。
それは、「驚かせてくれさえすれば、少々はインチキでもかまわない」という「知的に怠惰なミステリ読者」の増えた今の日本では想像も出来ないことだが、まったく新しいものというのは、そういうものであり「すぐに万人の理解が得られる斬新なもの」など、そもそも存在しないのだ。

(一般的には『アクロイド殺し』。『アクロイド殺害事件』も同じ作品)

だから、クリスティが発明した「叙述トリック」がミステリ界で広く理解されるには、相応の時間がかかった。
なにしろ当時は「インターネットなど無かった」から、「叙述トリック フェアかアンフェアか」などと検索して「回答」を得ることなどできず、自分でたくさんの作品を読み、あれこれ自分の頭を絞った結果として、個々の読者が「これは、ありなんじゃないか」とか「やっぱり、アンフェアだ」とか判断しなければならかった。そのため、短期間で「理解」が広がるなどということは、ありえなかったのである。

しかし、そうこうしているうちに、世界は二度目の「世界大戦」に突入するのだから、「こうした斬新な手法」の理解が、さらに停滞するというのは、理の当然であろう。

だとすれば、1939年から1945年まで続いた「第二次世界大戦」の、その初頭に作られた『市民ケーン』という映画において、「視点の詐術」の「本家」とも言って良いだろう「推理小説」の世界ですら、まだ十分には理解の得られていなかった「前衛的手法」を、「映像の世界に持ち込んだ」というのが、どのくらいすごいことだったのかというのは、ここまで説明して、初めて理解されることなのではないだろうか。単に「当時としては新しかった」という説明では、その「すごさ」は、決して伝わらないのである。

そんなわけで、(2)の「シナリオ的な物語構成の斬新さ」が、このように「すごい」というのが、「実感として理解」していただければ、おのずと、(1)の「撮影技術の斬新さ」というものの「すごさ」も、同様に実感していただけようし、ましてや(3)の「「薔薇の蕾」という「謎の言葉」をめぐる、謎解き物語のテーマ的な面白さ」という、いかにも「推理小説的な面白さ」の「斬新さ」も、ご理解いただけよう。
言うなれば本作『市民ケーン』は「ダイイング・メッセージ(死に際のメッセージ)」ものであり、かつ「叙述」に「斬新な工夫の凝らされた作品」だったのである。

そんなわけで、(3)の「新しさ」については、これ以上の説明は必要ないだろう。この点もまた、今となっては、文字どおりに「在り来たり」なものになってしまっているのだが、当時としては「斬新なアイデア」だったということである。

さて、以上が、本作『市民ケーン』の「斬新さの意味の説明」である。単に「斬新だった」と説明しているのではなく、「その斬新さが、どのような意味を持っていたのか」を説明したのだ。

 ○ ○ ○

で、残るは、(4)の「本作が、当時まだ健在であった「新聞王」の人生をパロディにした批評性」ということになるのだが、この「すごさ」については、先の「町山智浩の解説」に詳しい。
要は、この映画でも描かれているとおり、ケーンのモデルとなった、まだ当時は存命中であった「ウィリアム・ランドルフ・ハースト」は、次のような「生涯」を送った人物なのである。

『父ジョージはゴールドラッシュ時代に銀鉱山を当て、富豪となった炭坑のオーナー。のちに、カリフォルニア州の上院議員になった。母フィービーはミズーリ州の学校の教師。10歳の時に母親とヨーロッパ中を旅行し見聞を広める。ハーストは16歳でニューハンプシャー州コンコードにあるセント・ポール高校に入学。

ハーバード大学に入学するも(1882 - 1885)、学位を取らずに退学。その後1887年、父親が賭博の担保として入手した「サンフランシスコ・エグザミナー」を譲り受ける。彼は同紙を「ザ・モナーク・オブ・ザ・デイリーズ」に改名、最良の設備と才能ある作家を得ることになる。その後、ハーストは汚職の暴露と、インスピレーションで満たされた物語を数多く発表している。

1895年にはニューヨーク・モーニング・ジャーナル紙を買収し、ジョーゼフ・ピューリツァー(ニューヨーク・ワールド紙の所有者)との発行競争が勃発。購読者数を増加させるために両紙は、キューバの暴動に関する記事を多く掲載していくことになる。両紙の記事は、真実を伝えるものよりも市民感情を煽るショッキングなものが多かった。例えば、スペイン軍がキューバ人を強制収容所に入れ、彼らが疾病と飢えで苦しみ死んだなどという捏造記事やでっち上げ記事で民意をコントロールし、スペインとの戦争(米西戦争)までを引き起こしている。イエロー・ジャーナリズム(ジャーナル中のコマ漫画“イエロー・キッド”の名前に由来する)の用語は扇情的に扱われた新聞記事のスタイルに使用された。

ハーストは、自身の新聞の売り上げを伸ばすために1898年の米西戦争を誇大に報じたとされる。(略)

1903年にニューヨークで22歳の美しいショーガール、ミリセント・ヴェロニカ・ウィルソン(1882 - 1974)と結婚。出会いは彼女がまだ16歳の時。20歳近く年齢が離れていたが、彼らは5人の息子をもうけている。(略)婚姻関係はハーストの死まで続いている(1926年に別居)。

アメリカ合衆国下院議員(1903年 - 1907年)、ニューヨーク市長(1905年と1909年)と政治家としての道を歩むが、ニューヨーク州知事(1906年)選挙に出馬するものの、チャールズ・エヴァンス・ヒューズに敗北。この間、第一次世界大戦へのアメリカ関与に反対し、国際連盟を攻撃したこともある。

彼の新聞の全国チェーンとニュースを配信する通信社の国際通信社(INS;後にやはり新聞チェーン系のUPと合併。組織、資本内容が変更されてUPIとなる)を加えて、定期刊行物は「シカゴ・エグザミナー」「ボストン・アメリカン」「コスモポリタン」「ハーパース・バザー」を含むようになった。

1920年代にはカリフォルニア州サン・シメオンの240,000エーカー(970 km2)の農場に動物園付きの絢爛豪華でやや悪趣味な城を建造(通称ハースト・キャッスル)。このころ、元女優のマリオン・デイヴィス(本名マリオン・セシリア・ダグラス、1897 - 1961)と知り合い、妻と別居して、マリオンと暮らし始める。初めてハーストと出会ったころのマリオンは、まだ10代半ばのショーガールだったが、50代のハーストはひと目でマリオンの容姿と性格を気に入り、直ちに彼女のパトロンに納まった。そして愛人であるマリオンのために、わざわざ映画制作会社(コスモポリタン社)まで設立。強引に彼女を映画女優に仕立て上げデビューさせただけでなく、自分が発行する新聞社の記事で彼女を大々的に宣伝した。しかし、その露骨なまでに愛人をプッシュする売り出し手法は大衆をおおいにしらけさせる結果となった。また、彼女自身、美人というだけであまり女優としての才能もなく、女優業よりも夜通しパーティで遊びまわることに夢中だったことも手伝い、莫大な資金をかけた割りには映画界の評価は芳しくなかった。当然、ハースト傘下以外の新聞・雑誌での評価は低く、結局大スターにはなれず、晩年はハーストの経営する新聞社の経営難により、芸能活動をすることが困難になり1937年に引退。

ピーク時には彼はいくつかのラジオ放送局および映画会社に加えて、28の主な新聞および18の雑誌を所有。しかしながら、世界恐慌は彼の財務状態を弱めた。1940年頃になると彼は巨大なコミュニケーション帝国のコントロールを失っている。1951年、カリフォルニア州ビバリーヒルズにて死去。彼が築きあげたハースト・コーポレーションは、巨大メディア・コングロマリットとして現在でもニューヨークに本拠を構え事業は続いている。』

『市民ケーン』が作られた頃には、まだ存命中であったということを除けば、ハーストの人生は、ほとんどそのままケーンであり、上の「ハーストの生涯の紹介記事」は、映画『市民ケーン』の「あらすじ」だと呼んでも良いほどのものである。

しかし、ここで特に注目しなくてはならないのは、町山智浩も指摘するとおり、ハーストは『真実を伝えるものよりも市民感情を煽るショッキングな』記事を優先し、その結果の「捏造記事」によって『スペインとの戦争(米西戦争)までを引き起こしている。』という事実である。「戦争」を起こせるほどの「世論換気力」があった人物(=民間権力者)だということだ。
つまり、そんな超大物を、オーソン・ウェルズは、本作で批判的に「揶揄った」のである。

(米西戦争)

『彼の新聞の全国チェーンとニュースを配信する通信社の国際通信社(INS;後にやはり新聞チェーン系のUPと合併。組織、資本内容が変更されてUPIとなる)を加えて、定期刊行物は「シカゴ・エグザミナー」「ボストン・アメリカン」「コスモポリタン」「ハーパース・バザー」を含むようになった。』

というのが、どういうことなのかというと、今で言うなら、「新聞、テレビ、ラジオ、雑誌、そしてネット」まで支配していた人物だということなのだ。
そんな相手に、オーソン・ウェルズは「映画」という手法で、無謀にも挑戦したのである。

よく知られるように、『市民ケーン』は、第14回アカデミー賞では作品賞など9部門にノミネートされながら、脚本賞のみの受賞にとどまった。』
なぜかと言えば、それは当然「メディア王」ハーストが、映画界に圧力をかけたからである。

いくら良い作品を作っても、それが「宣伝」できないのでは、観てもらえないし、商売にもならない。
それだけではなく、この作品を観た「ハリウッドの映画関係者」にしても、ハーストの意向に逆らってまで『市民ケーン』を称賛支持したりしたら、「スキャンダルを捏ち上げられて潰される」可能性も十分にあった。事実、そのような「捏造記事」によるスキャンダルで、俳優生命を絶たれた人物もいるのである。

なのに、オーソン・ウェルズは、あえて『市民ケーン』のような、ハーストに喧嘩を売るがごとき作品を作ったのである。一一それは、なぜか?

それは無論、彼が人一倍の批評性を持つ人だったからである。そして、その「批評性」の要となる「問題意識」は、「情報を鵜呑みにするな(疑え)」というものだったのだ。

オーソン・ウェルズは、若くして舞台俳優として成功した人である。シェークスピアの本場であるイギリスに渡って、シェークスピア劇で成功を収めた、天才少年俳優だった。
だが、彼の才能は「俳優」であるには止まらず、「演出家」としての才能も早々に開花した。19歳となった『1934年にはアメリカに戻ってラジオドラマのディレクター兼俳優となっており』、23歳の「1938年」には、あの有名な『宇宙戦争』事件を引き起こすことになる。

『1938年7月からはCBSラジオにて、小説や演劇を斬新な形式で短編ドラマ化する番組『マーキュリー放送劇場(英語: The Mercury Theatre on the Air)』を毎週演することになったが、大衆の反応は今ひとつだった。しかし、同年10月30日にH.G.ウェルズのSF小説『宇宙戦争』の翻案『宇宙戦争』を放送する際、舞台を現代アメリカに変え、ヒンデンブルク号炎上を彷彿とさせるような臨時ニュースで始め、以後もウェルズ演じる目撃者による回想を元にしたドキュメンタリー形式のドラマにするなど、前例のない構成や演出と迫真の演技で放送を行った。

この放送について、かつてはラジオ放送の聴取者が火星人の襲来を事実と信じこんでパニックが起きたと言われ、長く「名優ウェルズ」の実力を裏づける伝説的なエピソードとして扱われてきた。しかし近年の研究ではパニック現象は全く確認できず、番組を事実と信じた聴取者はほとんどいなかったことが分かっている。』

Wikipedia「オーソン・ウェルズ」

かの有名は「『宇宙戦争』事件」が、実はそれほどのものではなかったというのは、いささか興醒めではあるものの、しかし、そんな「神話」を長く流通させたところにこそ、オーソン・ウェルズの偉大さがあるといっても良いだろう。つまり「情報を鵜呑みにするな」ということである。
騙されたのは、『宇宙戦争』のラジオドラマ放送を聞いた「当時の人たち」ではなく、「当時の人たちが騙された」という「フェイクニュース」を、長らく信じ込まされてしまった、アメリカ人や日本人を含む、世界中の「その後の人たち」の方だったのである。

そして、そんな「問題意識」を持つ、オーソン・ウェルズが、『捏造記事やでっち上げ記事で民意をコントロールし、スペインとの戦争(米西戦争)までを引き起こし』たハーストについて、何も思わないわけがない。
人を騙すことが好きなのは、オーソン・ウェルズもハーストも同じである。その意味で二人は「双生児」であるとも言えるだろうが、しかし、その「嘘つき」の方向性は、真逆なのだ。

ハーストは「他人を思い通りに操るため」に、その「絶大な権力」を振るって「情報操作」を行った。一方のオーソン・ウェルズは「情報の危険性」を知らしめるために、「エンタメとしてのフェイク」を提供したのだ。
エラリー・クイーンの謎解きミステリに「読者への挑戦状」が挟み込まれるように、オーソン・ウェルズの提供する作品は「読者よ、欺かるることなかれ」という、視聴者への「挑戦状」であり、「メディア・リテラシー」のための「教材」でもあったのである。

(オーソン・ウェルズ演じる、新聞王ケーン)

ちなみに、こうしたオーソンのウェルズの性向は、次のような生育環境によるところが大きかったのであろう。

『子供時代の彼は詩、漫画、演劇に才能を発揮する天才児であったが、傍若無人な性格で、周りとの人間関係に問題があった。母は彼が9歳の時に亡くなり、父は発明に没頭するアルコール依存症の奇人で、祖母は神経質でオカルト魔術に耽溺しており、ウェルズとは嫌いあう仲であった。』

Wikipedia「オーソン・ウェルズ」

上のとおりで、少々性格に問題はあったとは言え、アルコールに依存したり、オカルトや魔術に耽溺するような「頭の悪さ(大衆的な愚昧さ)」が、彼には我慢ならなかったのだろうというのは、容易に推察できる。「そんなもんに、騙されるなよ」と、そう思ったはずなのだ。

ともあれ、ハーストが「プロパガンダ(政治的宣伝)」のために「絶大な資本と権力」を使ったのに対し、オーソン・ウェルズは、それに対抗する「反プロパガンダ」の「エンタメ作品」を、その「機知と才能」によって生み出し、世の中に提供したのである。

そんなわけで、ハーストとオーソン・ウェルズは「ある種の傲慢さにおいて似てはいるけれども、拠って立つものが真逆であった」からこそ、オーソン・ウェルズがハーストを強く意識したのは当然のことだし、「ハーストにひと泡ふかせてやろう」という「悪戯心」を起こしたのであろうことも、容易に想像できる。
つまり「天才少年(青年)オーソン・ウェルズ」は、その「機知と才能」によって、戦争をも引き起こすほどの、巨大な「マスコミ権力」に立ち向ったのであり、そのドン・キホーテの槍」が、25歳の若さで作った『市民ケーン』という作品だったのだ。

当然、この戦いは、「営業的な失敗」だとか「映画賞の受賞を逸する」とかいった「ケチな話」に片付けて良いものではない。それは、下手をすれば、「命懸け」となる戦いだったからである。

無論、オーソン・ウェルズにすれば、ヤバくなったイギリスに戻ればいいさ、くらいの考えはあったのだろうし、この映画に協力したスタッフにも、「ハリウッドの映画人魂」だけではない、何らかの目算があったのかもしれない。
だが、それにしたって、町山智浩が「こんなことをやって、報復されないとでも考えたのなら、そっちの方が不思議だ」と言っているとおりで、いずれにしろ、これは、生半可な気持ちでやれることではなかったのだ。

つまり、私が本稿で書きたかったのは、この「稀代のイタズラ小僧」であるオーソン・ウェルズの「反骨精神」である。
「才能」のある人なら大勢いるだろう。「新しい映画手法を開発した人」も、それはそれなりにいるだろう。だが、「映画」という手法を用いて、ここまで露骨に、絶大な権力に刃向かった人など、他には一人もいないのではないか? その意味において、オーソン・ウェルズは、まさに「空前絶後の天才」なのではないだろうか?

(若き天才オーソン・ウェルズ)

実際のところ、『市民ケーン』という作品が、ハーストに与えた「影響」など多寡が知れている。
けれども、『市民ケーン』が、アカデミー賞の作品賞を取れなかったという事実は、取ることよりも大きな影響を「世界の映画界」に残した。
無論それは、『市民ケーン』を高く評価しながら、ハーストを恐れて、この作品に票を投じることのできなかった「映画関係者」の心に「消えない傷」を残し、そしてその傷は「今も疼きつづけている」ということである。

この問題は、ハーストの生きた時代だけで、おしまいにできるような話ではないし、映画界だけの問題でもない。

今の時代にだって「空気を読んで、成功することばかりを考えている人」の方が多い、と言うか、そちらの方が圧倒的に多い。
「映画制作者」はもとより「映画評論家」だって「映画ファン」だって、「世間ウケ」ばかりを狙い、その「承認欲求」を満たすことしか考えていない人たちばかりではないのか。

だとすれば、私たちは「アカデミー賞作品賞を受賞できなかった『市民ケーン』という作品」を観ることによって、みずからの情けなさを反省し、恥じなければならないのではないだろうか?

この作品は、そうした意味で、少しも古びてはいないし、この先も永遠に古びることはない。
この作品の「映画史における価値」とは、ただそれだけの話ではなく、「人類文化史における永遠の価値」だと言い換えることさえできるのだ。

『市民ケーン』が、長らく「オールタイムベスト1映画」と呼ばれるのには、そうした意味合いがあるからなのだ。
少しでも「良心のある人」なら、今でも自分がこの映画を支持する側、オーソン・ウェルズを支持する側に「立てない」だろうという「意気地なさの自覚と反省」において、この作品を誉めないわけにはいかないのである。

「私は、あの時代に、敢然とこの作品に一票を投じる勇気を持てただろうか? いや、今この時代においても、そんな勇気を持っていると、自信を持って言えるだろうか?」一一多くの「良心的な人」びとは、そのように自分の胸に尋ね、「とうてい私には、そんなことなどできない」と感じるからこそ、オーソン・ウェルズが、この作品で示してみせた勇気に対し、最大の敬意を示すものとして、この作品を「オールタイムベスト1映画」と、そう呼ばないわけにはいかないのである。

言うなれば本作は、「踏み絵」のような作品なのだ。よほどの鈍感人間か卑怯者でもないかぎり、本作を平気で踏みつけにすることなど、到底できるものではないのである。


(2023年12月18日)

 ○ ○ ○



 ○ ○ ○



この記事が参加している募集

おすすめ名作映画

映画感想文