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金よりも星を数え、足元の花々の美しさを見よう

手元に来る金を数えることに一生懸命になってると、足元に咲く花々、夜空の星の輝きにさえ気づけず、金銭で交換することの出来るモノだけに心が囚われ時間と労力を費やして行く。

それが人の本来の生き方というのならば、なぜ人は夢を見るのか?愛されたいと願うのか?『夢は夢、現実には決してならない』というのは夢を諦めた人が自己正当化する為に作った虚言でしかない

夢が夢のままで終わるとはだれも確証出来ないからだ。

夢が目標に、更なる夢の通過点になり得ること、地上で観測した星のイメージとは着陸したら違っていたとしても、ただ目の前の現実と目先の金に囚われて唯々諾々と生きるよりも、狩猟時代の人類のようにあの手この手で獲物を追い求め

息を切らせながら荒野を懸命に入っている方が、よっぽど本来の人間らしさがあると私は感じる。ではなぜ人は夢を見るのを諦めるのか?

それは現在所属する集団の中での利益にその夢がそぐわなかったり、自分たちが夢を諦めた過去を肯定する為に、同じような諦めた経験を持つ人を増やして行こうとする仲間を増やして安心感を得ようとする心理が他者に働き

『どうせ無理だ。現実を見ろ』とマインドセットさせて他者の挑戦を諦めさせてしまう。

人から言われたぐらいであきらめる夢ならばたいした夢ではないのだろう…と言われれば身も蓋もないのだが

人は集団の中で生きて行く上で得てしまった共感性、承認欲求、自己有用感など、他人を介して得る感情、幸せを得る喜びを知り過ぎてしまったが故のに群れを外れて生きることへの不安が強くなってしまった。

だから、他者から共感されないことをすることに恐怖、不安を覚える。

もちろんそれは悪い事ではなく、集団の中にいて、集団の中の価値観の中にいた方が安全だというのは物理的にも、生産性的、商業的にも正しい。

ただ自分の人生という枠組みの中だけで他者を切り離して考えて見て欲しい。

歳老いて過去を振り返った時に、歳老いた自分は時間も体力も健康も若い頃ほど残されておらず、若い頃に夢みてたことに今から挑戦することは出来ず、あの時に挑戦していたらどうなっているのか?

想像を膨らませることしか出来ない。

もう二度とあるか分からない命の終わりを迎えようとした時、二度と戻らない時間について考える時間が増えるというのは後悔を増長し、不幸になるのではないか?

自分の夢に向かった時に体感した限界や失敗、更なる可能性を見る
ことが出来れば、夢に向かったが故に失ったものでさえも、自分の意志で選択した道の結果ならある程度は納得できることだと考える。

他人に、集団に流され、自分の気持ちにフタをしてそのまま時間が経ってしまうよりも

本気で星に目掛けて飛び立とうとした、蝋の翼で飛ぼうとしたイカロスのような身の丈を知らない無謀な挑戦すらも、若かりし頃のエネルギーがそうさせた笑い話として、命が続く限り、自分の中の遠い昔の歴史として輝く。

そして他人の不満や不足を見つける暇があるのならば、今自分を支えくれているモノや人たちの有難さ、美しさの方に着目するべきで

自分をここまで育ててくれた親、教師、出会った人々、それは人間同士なのだから合う合わないや、摩擦が生じて血が滲む出来事もある

しかし人間は一人で成長して生きてはいけない。

誰かが自分を世話をし、養育、教育をし、ここまで生きて来れたのは私も含め、多くの人にとっても紛れもない事実であり、至らない所があるのはお互い様。自分が成長中と同様に、他の人間も成長の段階にいる

誰しも不得意な分野、未熟な点があり、個々で差異があるからお互いに出来ることをし合って家族、仕事、国という形で集団で生きている訳で

完璧な人間なぞ居なく、一見大人に見える人でも未熟で幼稚な部分も共存していても何らおかしくない。ただそんな完璧ではないから人間は美しい

親が子供を猫っ可愛がりして、逆に将来困らせてしまうことがあるかもしれない。そうなった時に子どもは親を怨むことになったとしても

無条件に何かを与えて愛し続ける心というのは、なかなかに出来ることではない、他人が欲しいと思ってもお金や宝石には変えられない美しい心である。

動物を愛玩具のように可愛がるだけ可愛がって捨てる無慈悲な人間もいる中で、最期まで下の世話までして面倒を見ることを好んでやる人間もいる。

ただそういう人間が慈悲深いか?と言えば、親や他人には同じ愛を傾けることが出来ない人間だったりする場合もある。このように万人に向けた完璧な愛、完璧な結果にほど遠い

人というのはどこか欠落している部分があり、説明のつかないような矛盾を抱えて生きている。だからこそ美しいのだと

みんなが完璧ではないから、それぞれに色があり、違った良さがある。その反面、人間誰しも少なくとも嫌な所の1つや2つは必ずあり、それが人を傷つけてしまうこともある。

しかしそれは私もあなたも誰しもそうなる可能性があることで、直せるものなら直せば良いが、そうも行かない場合は他人へ致命傷を与えるようなことをしないように留意しながら、否が応でも自分の嫌な所と共存して生きて行く必要がある

そんなこんなで、人というのはお互いに支え合い、傷つけあい、愛し合いながら生きて行く、独りで金を数え、損得勘定だけで生きて行けるほど人生は簡単ではない

時には助けてもらい、時には傷つけられ、愛し、愛され、裏切られても生きて行く。今自分の目の前にあるそういった感情を起こしてくれる人たちというのはめんどうなようで、とても希少なものであり

この時代、この国で、一生に出会える限られた人間の中で奇跡的に出会った人たち、それを深く考え、知ることなく、目先の紙ぺらを一生懸命に数えて人生が通り抜けて行くのはあまりに悲しい。

星と花々に目も呉れないということは、この宇宙のような無限の可能性、大地のように自分を支えてくれた人たちへの感謝に包まれ、人らしく幸せに生きることを放棄しているように感じてしまう。


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