マガジンのカバー画像

過去の傷

15
今見返すと、痛々しいな、と思うものも。それでも全てが宝物なのです。
運営しているクリエイター

記事一覧

キライアイ

キライアイ

込み上げてくる涙を、両手の手のひらの下のほうでぐっと力強く拭う。

「そんな、泣かれても〜」

と言いながら、水を入れてくれる人がいて。

そんな空間で私は、だって、だってと、子どものように泣きじゃくりながら、説明を続けていたのだった。

そういうところが嫌いで、
だって、そういうところが私をまた傷つけて、
私はこうやって向き合っても向き合っても、
どうせ頭がおかしいやつだと思われて、って。

もっとみる
家庭を持つことの意味

家庭を持つことの意味

初めて、「〇〇の話」ではないタイトルをつけてみた。少し、重みのある話。

私、普段から生涯結婚しません。と宣言しています。仮に良いパートナーと出会ったとしても、事実婚しかしないよ、と。

10代の時から同じことを言っていて、その頃から、20代になったら考え方変わるよ、30になったら結婚したくなるよ、40になったら焦ってくるよ、と周りに言われていた。

でも、既婚者の言う結婚とは中身が空っぽで説得力

もっとみる
図書室が居場所だったあの頃の自分に言いたいこと

図書室が居場所だったあの頃の自分に言いたいこと

恥ずかしいと思っていた。

図書室はいつも人がいなくて、一人ぼっちで図書室にいることが恥ずかしかった。

ストーブから少し離れた席で、冷たいパイプ椅子に腰かけて鞄の中から教科書を取り出し、いつもため息をついた。

図書室にいつもいる、おばちゃんにさえも、可哀そうな子だと思われていないか気になって仕方がなかった。それでも、行く場所がなくて、図書室に通っていた。

あの頃『居場所』として利用していた図

もっとみる
喜びも悲しみも半分こなんて誰が言った?

喜びも悲しみも半分こなんて誰が言った?

「人は一人では決して生きていけない」と説教されたことがある。

仮に、一人で生きていくことが不可能だとしても、「一人で生きていける」と強がることはそんなにいけないことなのだろうか。

強がりながら、雑踏の中に足を踏み入れ、自分を見失い、また起き上がるときに友人にそれとなく弱音を吐き、頼るフリをするのだ。

それの何が間違っているのだろうか。

「言わないと分からない」と、母親に打たれた瞬間を思い出

もっとみる
「喪服を買いに行こう」と言われた日

「喪服を買いに行こう」と言われた日

今日、祖父の命がもう長くないと宣告を受けた。

涙を流しながら、祖父の命について語る人間を見て、私は、葬式でだって絶対泣いてやらないと決意した。

時折、この人間は本当に私が誕生した冬の日に本当に喜んだのだろうかと疑問に思う。

人間はどこまでも身勝手だ。

「終わり良ければ総て良し」

と思っているから、

それまでの過程を無視して、終わりの準備へと励む。

私の母親は、祖父の娘として、どこまで

もっとみる
人生ハードゲームだっつってんだろ

人生ハードゲームだっつってんだろ

人生、ハードゲームだ。

HPは2くらいの瀕死状態で全回復しないまま、フラフラと生延びてきた。

そんな状態でも、涙を強要される。

私は、何処からか聞こえてくる涙の音にすぐ気が付いた。

自分の聞いている音楽をとめて、

耳を澄ませた。

そして、自分が声を押し殺して生きてきたように、泣くならバレないように泣けよと思った。

私は、悲しいと言って、辛いと言って泣く人の気持ちが理解できなかった。

もっとみる
今にも泣きそうな風に、今にも泣きそうな顔を撫でられた話

今にも泣きそうな風に、今にも泣きそうな顔を撫でられた話

6月10日、不安定な天気だった。

いつものように、外に出た瞬間雨に打たれ自分の雨女具合に嫌気がさした。

それでも、傘を持たずに、走らずに、只雨の感触を味わった。

電車に乗ると、雨は止んでいた。

そんな情緒不安定な天気が続いた。

日中というのは「雨も悪くない」と思えるものだ。しかし夜は一変して、「悲しい雨」にしか変換できなくなる。

夜の22時ごろ雨もあがり、最寄り駅から自宅を目指し歩いて

もっとみる
この風が、あの景色を。

この風が、あの景色を。

今と全く違う土地に行ったとしても

私は、この風の生温さを、

頬を撫でられる気持ち悪さを、

いつかの帰り道を、

小さな記憶を、

思い出すのだろう。

きっと、人間はそんなふうにできているのだろう。

思い出したくないことほど、頭蓋骨の芯まで染み込んでいる。

そして、何気ない外の物質が、情景も感情も、

見事に引き出す。

「新しい自分」だとか、

「生まれ変わった自分」だとかは、

きっ

もっとみる
スウェットを着る時期に

スウェットを着る時期に

ユニクロのスウェットや、プーマのジャージが意味もなく流行り出したあの頃の記憶は最悪なもだけど、流行っていたものたちは今でも懐かしく思う。

あの頃と同じスウェットを着て、肌寒くなった夜にほんの少し感情がざわつく。

中学3年生だったか、家から閉め出されたことがあった。

ユニクロのグレーのスウェット上下に身を包んでいた。確か2月頃だった。外は雪が降っていて、普段から夜に外に出ることはなかったから、

もっとみる
使い捨ての愛で

使い捨ての愛で

プラスチックのように脆く、

ポリ袋のように何度も取り替えられ、

使い捨ての愛で育てられた。

大人になった今、

自分よりも長く生きている人たちによって

こんな言葉を浴びせられる。

「親をそんなふうにさせてしまったのかもね」

きっと、自分がどんな選択をとっても、

こうして、責められながら生きていくということは

視野に入れておかなければならないのだろうと思った。

本当はもっとこうした

もっとみる
軽率に好きだと言えたなら

軽率に好きだと言えたなら

何か変わるのだろうか。

「好きとかじゃなくて、もう愛してる」

なんてことを言われたって、

好きの軽さも、愛してるの重さも知らない自分にとってはどうでも良かった。

「自分から好きって言わないね」

と言われるようになったのはいつからだっただろうか。

本来「好き」だから恋人同士という関係性を築くべきであるのに、私の「好き」はそこからもう歪んていた。

其々に振り分けられた「好き」とうまく付き

もっとみる
この世に誕生したあの日、誰が何処で泣いていたのだろう

この世に誕生したあの日、誰が何処で泣いていたのだろう

私がこの世に誕生した寒い冬の日に、

誰が十分にご飯を食べられなかったのだろう。

誰が隠れて泣いていたのだろう。

誰がもっと愛してほしいと嘆いていたのだろう。

そして、誰が私の誕生によって笑顔になったのだろう。

そして、それは本当に誰かにとっての幸せだったのだろうか。

人生はとても残酷なもので、

生きたいと思う人の元にはほんの僅かなチャンスしか来ず、

私のように望まれていない命がこう

もっとみる
段々とゴム手袋をつけなくてもよくなった。

段々とゴム手袋をつけなくてもよくなった。

「お湯張りをします」

という機械音とともに、朝に増えた洗い物をこなすのが日課である。

ゴム手袋をはめて洗い物をすると、油がどれだけ取れているのか

分かりづらく、結局洗い物が全て終わってからもう一度洗わなければならないものも、あったりした。

ゴム手袋をしていても、冷水を感じていたのに、いつからか

素手で蛇口を捻り、

そのまま洗い物に進んだ。

冷たくないわけではなかった。

ただ、頭でそ

もっとみる
フルーツ贈与の愛

フルーツ贈与の愛

いつからか、キャベツはこんな値段では買えないだとか、

トマトはもう少ししたら安くなるだとか、

スーパーでの、「買う基準」を習得していた。

そんな中、いつもフルーツだけは、

野菜よりも高かった。

その時決まって思い出したのは、

フルーツを剥く、あの手で、

フォークとセットで渡されるあのお皿であった。

あゝ、きっと無償の愛とやらを物で例えるとするならば、

フルーツなのだろうと、思った

もっとみる