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キライアイ


込み上げてくる涙を、両手の手のひらの下のほうでぐっと力強く拭う。

「そんな、泣かれても〜」

と言いながら、水を入れてくれる人がいて。

そんな空間で私は、だって、だってと、子どものように泣きじゃくりながら、説明を続けていたのだった。

そういうところが嫌いで、
だって、そういうところが私をまた傷つけて、
私はこうやって向き合っても向き合っても、
どうせ頭がおかしいやつだと思われて、って。


子どもなんて嫌いだし、家族なんて大っ嫌いだと思って生きてきた。

それでも、許して、許し合おうとして、
そして、愛なんて見えないものをどうにか抱こうとしてきた。


「だから」
私は、大きく息を吸って、こう言う。

「こういう世界に帰ってきたくないねん」
「こういう、自分が自分がってばっかの考えの人のとこに」

私の左では、「うん」という相槌を打ちながら、時折眼鏡の角度を直しながら、聞いてくれる人がいて。


「たった一言、いいやんって言えへんねんみんな」
「そうなんやってだけ言ってくれればいいのに」
「馬鹿にして、自分たちのことは正当化して」

私はこのとき、久しくこんな量の水を自分の目から溢していなかったなということを、考えながら喋っていた。


目の前には、小さな器にポツンと置かれた卵焼きがあって、それを眺めながら、ごくごくとコップに入った水を飲み干した。

とにかくそうやって、沸々と湧き上がるこういうことが嫌いなんだという感情を伝えていた。


「まあやの言ってることもわかるけどな〜」
「でも、あの人たちに言うてもしゃあないやん?それが例え正義やとしても」


その言葉に私は、またポロポロと涙を溢していく。

正義とか悪とか。
私の人生というのはそういうものにいつも負けてきたような気がするんだ。

「まあやは正義感が強すぎるねん」そんな誰かの言葉が頭に響く。


痛い。
痛いよ、昔も今も。


私ね、例えばいま地震が起こったとして、それでもね、前に進んでいくよ。
悲しむことさえできない。
そんなことが起こった今だからって言いながら、きっと走っていく。

今、伝えなきゃいけないとか、
今、やらなきゃいけないことがあるって言いながら。

災害が起こった時の食糧の確保とか、そんなもの私の人生においてどうでもよくて。

それは家族だって同じ。
勝手に生き延びようよ、それぞれの世界で。


私ね、こうやって家のことで泣くたびに、自分のことを惨めな人間だと思うんだ。

命が繋がれてきた歴史を想像して、感謝をしてみるけれど、ごめんなさいと思いながら、ありがとうを唱えている。

何歳になったって、健全な家族という形にはなれないこの歪さの中で、私はこれからもずっと何もできない。


何かを教えるわけでもなく、何かを訴えるわけでもなく、私は私で生きていく。

強くなったね。

文字を書くことが生き甲斐です。此処に残す文字が誰かの居場所や希望になればいいなと思っています。心の底から応援してやりたい!と思った時にサポートしてもらえれば光栄です。from moyami.