私は、もしかしたら、死にたいと思った回数は人よりも少しだけ多いのかもしれない。 でも、まだなんとか生きているので、毎回、死ぬこと以外の選択肢を取っているということになる。 でも、それは自分だけではないのだろうと思う。 皆、死にたい、辞めたい、休憩したい、と思うその瞬間、でも、違う選択肢をって、なんとかやってきたのだろう。 だから、私達は生きている。 今も、こうやって生きているのは、死ぬことを選ばなかったからだ。 生きたい人だって世の中にはいる、なんて綺麗ごとに親身
「こういうの自分で撮っててさぁ、」 この後に、続く言葉を私は知っている。 私のSNSを目の前でスクロールしながら、冷たい視線を注ぐ彼が、次に口にする言葉を。 「恥ずかしくね?」 ほら、そういうと思ったよ、と私は頬が緩んだ。 「どうでしょう?」 そうやって笑いながら、真っ白なマグカップを口元へ運ぶ。 私は彼を嫌いながら、同時に隅々まで彼の心理が手に取るように分かる。 一生懸命になることで得られるものは無いと思っている人。 何をやってみても楽しさや喜びが特段増えるわけ
黒にピンクのスライド型のガラケーを彼が手にした。 何を見せたんだっけ。 何を、彼に、見せたかったのだろうか。 真ん中の一番後ろの席にいる彼と、 その左斜め前にいる私。 その周りに居た人たちの顔を一人も思い出せないほど、私の視界を彼が占領していた。 大それた恋をしていたわけではない。 それでもこうして夢にまで出てくるのは、彼の"優しさ"があるからだ。 珍しい、"優しさ"が。 スラッとした背丈に、ツンツンした黒髪に、キリッとした眼、長い手足に、低い声。 いつも、喧嘩
都合よく、人の顔が見えない視力は、揺れだけは捉えることができる。 こちらに手を振っているような、応援されているような、そんな爽やかな揺れを。 側で眺めてみれば、頭を撫でるようにゆっくりと、揺れている。大きな影も揺れ、まるでゆりかごを体験しているかのように、自分が慰められる。 もしも、魔法が使えるとしたら、あの木々を揺らしたいと思うんだ。 ほら、あの、向こう岸に見える。 そうすれば、君が階段に座り、一息つき、こんなふうにゆっくりした時間が自分には必要なのかもしれないと
君が見ている絶望を、抱きしめさせて。 眉を降ろして心配そうに眺める君に、「大丈夫」だと言わせて。 果てし無く長いその道を辿って、 遠くからでもよく分かる目印を並べてくるから。 途中で、はぐれてしまっても、君がひとりで 歩いていけるように。 それが、僕の役目のような気がするからさ。 その道を君が誰かと手を繋ぎながら 歩いていったってよくて、 僕はそんな光景を、絶望ではなく、希望というタイトルをつけながら、 切り取っていくんだ。 それを、君が絶望と名づけた未来の何処か
例えば、朝の6時に挨拶をするような。そして、今日の太陽の温度を報告するような。 満員電車に対する鬱憤ではなく、横断歩道の先に見えた未来を伝え合う、そんな関係。 それをきっと、特別と呼ぶのだろう。 昼食時に来るメッセージは特別ではなくて、 夕方に来るメッセージも特別ではなくて、 深夜に来るメッセージも、そうではなくて。 夜の21時に、待ち合わせをできることは、特別なのである。 夏になれば、蚊に刺された足を出して散歩に出掛けることができる。 そしてそんな私を、後ろから
暴風の中、高校生の視線を浴びながら、真っ直ぐな道を歩いていた。 季節は4月、暖かくなってきた頃で、長袖一枚で出かけられるのがこの上なく楽しかった。 オーバーサイズの長袖のポロシャツに、下は、ありえないほどのダメージ加工がされた、布切れ、いや、ジーンズを履いていた。 ショートパンツくらいの丈から足首まで、正面から見ると生地がなく、後ろの生地があるからやっと保たれているようなデザインだ。 きっと、高校生も、「あれ、どうなってるんやろ」と、思っていたはずだ。 高校生に限ら
酒に飲まれているときこそ、私の頭は冷静な言葉で道筋立てられている。 そして、高熱が出た時ほど、冷静に自分を3Dプリンタにかけることができるのだ。 弱っている時に差し出される手を、丁寧に退け、丁寧な口調で、「大丈夫」と放つことができる。 逆に浮き足だっている時というのは、酒や熱という温度を帯びていない時である。自分の言葉から煙が上がる、次の言葉を紡ぐ瞬間、言葉と言葉が擦れて熱を帯びていく。 そして、そのうち、酒を服用しなければ、相手が耐えられなくなっていくのだ。暑くて、
粗く、ざらついた、心臓が動くたびに、吐血するのである。 「うん、言いたいことはわかったよ」 そんな一言と共に絶望を味わう。 だってさ、だって、私たちきっと同じようにこの世界を読んでいると思っていたよ。同じように読んでいるからこそ、同じような走馬灯すら目にするのだろうと思っていたんだ。 “わかってもらえなかったこと”というのが、私の人生にはあまりにも多くて、"わからせなきゃ"という汚い感情が自分を支配し始める。 綺麗な思い出だけを選んで、編集して、そして保存先を、走馬灯
息継ぎをした瞬間に彼が口にした、「空白」という言葉が、波打つ夜。 水面を弾きながら進む石のように、言葉を放つ。そして、時に浮かび上がる点を感じながら、"今"という点を見る。 ある地点においての点は、果たしてどこの点と結ばれるのだろうか。 もしもマグカップの底と過去が繋がっていたならば、私たちはそこから過去の自分に会いに行くことを選ぶだろうか。 それとも、こうして珈琲を啜りながら見ているくらいがちょうど良いのだと、鑑賞するのだろうか。 数年後、数十年先を語る彼は、マグ
「やっぱり、」といつもの言葉を唱える君の声、そして、あくびをする私の音。 「なんかほら、闇がありそうなんだよね」という一言で、19歳のある出来事を思い出した。「おばあちゃんに虐待されてたらしくって、だからさ、」と続ける君の声は少し弾んでいた。 「よかったじゃん」と返す私。何も良くはないのだけれど。しかし、誰かの痛みは誰かの喜びである仕組みは、宇宙の決まりごとなのかもしれない。 「てか、お姉さん人のこと好きになったことあるんですか」と続ける君。 世の中の”お姉さん”は、
息苦しい中、目まぐるしい日を迎え、息を大きく吸い込み、「This is life.」と呟いた。 この窮屈さ、この歯痒さ、この心臓を掴まれるような不安、あゝこの冷たさだと噛み締めた。耳鳴りがするほど歯を食いしばり、窒息死しそうなほどに布団を背負い込み、生きる醍醐味をひたすらに感じていた。 求めていてのは旅ではなかった。 ただ、生きることだったのだ。 「旅が好きで、」と語った時、目の前の相手は、「僕も大学生の時休学して世界一周をしたんだ」と言った。その時、凄いと思ったのか
数日前、金木犀を吸い込んで、というタイトルで何か書こうと頭の片隅で考えていたのだけれど、人間の気持ちなどすぐに移り行くもので、違うものとなった。 自転車で風を切る瞬間、横断歩道で左斜め前を眺めている時、金木犀の香りを身体で感じる。その刹那、何故だか金木犀の香りを売りにした商品が頭に思い浮かぶ。ちゃんと役割を果たす姿を見届けることはいつもできない。 金木犀の訪れで秋を感じるのか、秋を感じている最中金木犀を思い出すのか。 目を見つめて、鼻筋を眺め、言葉を感じ、語彙を飲み込ん
振り返れば、自分の未来には”こんなやつら”と一緒になんていないと思いながら生きてきた。それ以外の未来など思い浮かばなかった。自分が何になりたいのか、どんな人間になりたいのか、そんなことよりもただひたすらに、目の前にいるこいつらが、未来では自分の側にいないことを願っていた。 その未来までの距離はとてつもなく長かった。 彼らが、彼女らが、歳を重ね、そして、 やっと、まともな精神年齢になるだろうと信じ、 自分以外の人間を思慮浅いと軽蔑しながら、耐え忍んでいたのだ。 結局のとこ
きっと、同じように樹々が生い茂り、太陽が近く、葉は光り輝き、 私たちを燃やしにくるだろう。 燃え尽きるまでは、短いようで実は長かったのかもしれない。 夢の中では、より一層ロマンチストになっていないと、説明がつかない、そう思ってしまう。 ノートの中には様々な言語が記されていて、彼がそこにチベット語の詩歌を付け足した。丁寧に説明される彼の美学は一ミリも理解できないけれど、そんな空間は恋愛の醍醐味だと思った。 私たちが会った場所を、rendez-vousと言い出したのはもちろ
謙虚でありながら、貪欲でいたことはあるだろうか。 それとも、貪欲でありながら、強欲でいたこと。 人に期待をし過ぎてしまったと気づいた時、また振り出しに戻ったかのように、謙虚で居ようと決意をしたり、そして関係性ができてくるとまた何かを求めるようになったり。 人はやはり、たった一つだけを望むことはできないのかもしれない。 当たり前なのだけれど、同じ場所で同じ食事をしても、胸の高鳴りが付与される人と、そうでない人がいる。 なんだか最近よくそんなことを考える。 人生を折り返