90°の向こう側
首をぐんと上へ向け、星を見る。
更にぐんと後ろへ倒れながら、もっと星を見る。
星の輝く姿を見ながら私は、これって向こう側にいる人も見えているのかななんてどうでもいいことを考える。
人間はイルミネーションのように光るものが好きだ。
それは、人工的なものであっても。
夏祭りでは、どこからともなく光る"何か"を持った子どもたちが歩いてくる。
キラキラとチカチカと色んな色を放つソレによって、りんご飴の表面がピカっと光る。
私たちの生命もそんなふうにピカピカと光ったらいいのにね。
ほら、そのキラキラ光るおもちゃのブレスレットのように、心臓の部分がハートマークになってさ。ピカピカと光って、ちゃんと生きているよって。
時には、蛍光灯が切れる時のように、変なリズムで光って、消えていって。
それを見た誰かが、充電するかのように、一言声をかけていったりして。
そして充電された人は、同じように誰かに優しくしていって。
そういうものが見えるようになったら、優しさの循環というのは簡単にできるものなのだろうか。
それともやはり、この資本主義社会では叶わないのだろうか。
星を眺めている人は一体何を考えているのだろう。
私は、こうやって真上を向くことが好きなんだ。
前でも後ろでもない、真上。
だいたい月は真上にはいない。
たまにこうして、星が一粒光っている。
私はこの時に、幻想的に描かれた景色の絵だとかを思い出す。
空を見れば見るほど、生命を慈しめる。
空を見れば見るほど、美しいのはモノではないのだと思う。
だんだんと首が疲れてきて、元に戻して目の前を呆然と眺める。
生きている。
ただ、そう思った。
あの小さな星も、目の前の海も、今ここにいる私も、生きている。
"綺麗"なのは、"綺麗"なものを見つける君のその心だ。
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