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スウェットを着る時期に


ユニクロのスウェットや、プーマのジャージが意味もなく流行り出したあの頃の記憶は最悪なもだけど、流行っていたものたちは今でも懐かしく思う。


あの頃と同じスウェットを着て、肌寒くなった夜にほんの少し感情がざわつく。


中学3年生だったか、家から閉め出されたことがあった。

ユニクロのグレーのスウェット上下に身を包んでいた。確か2月頃だった。外は雪が降っていて、普段から夜に外に出ることはなかったから、珍しい景色を見れて、ラッキーと思っていた。


閉め出されてすぐに、ドアを叩いた。

インタンホーンは壊れていて、大きな声で呼べばドラマのように隣の人が助けてくれるのではないかと少し期待していた。


3回目くらいで私はもういいやと諦めた。


今も同じだ。


何度も同じことを求めたりしない。

希望や、願望や、感情をぶつけることをやめたのは

きっと今に始まったことではない。



裸足だったことをとても覚えている。

寒くて、スウェットの裾ぐっと伸ばして、足の裏の半分だけ覆って歩いた。


とりあえず、上を目指して、

8階まで階段を登った。


気持ち悪いくらいあの時の景色を覚えている。


あの時、私はたしかに「自分はどうせ死ぬこともできないのだろう」と思った。

飛び降りるために上を目指した訳ではなかった。

ただ、あの生活音からできるだけ離れた場所に身を置きたかったのだ。


それが、ただ4階から8階へ行くという小さなものであっても、

当時はまだそんなちっぽけな世界しか知らなかった。



今でも、スウェットを着るとあの頃のことを思い出す。

都合よく切り取られたワンシーンを。

どんな顔をして追い出されたのか、

どんな言葉を投げかけられたのかは思い出せない。


何がきっかけで追い出されることになったのかも。



でも、あんな狭い世界で生きていた自分を誇らしく思う。


タイムマシンで戻って、抱きしめてあげたい、そう思う。


都合よく捏造された記憶かもしれないが、

私は、泣かなかった。


ただ、「子ども」としてこうして家にいれて欲しいと、すがることが正解なのだろうと思いながらドア越しに「ごめんなさい」を言った。

それを大人はいつまで教育と呼ぶのだろう。


「どうせ戻ってくる」と思われているように、

子どももまた「どうせ戻らなければいけない」と思っている。



突き放されて、戻ってくることができれば

その時はいつもの何倍も愛してくれるのだろうか。



そうして、試すことに何の意味があるのか。



寒い夜は、暖かくなりたい。

寂しい夜は、声が聞きたい。


不安な夜は、手を握りたかった。




ただそれだけだった。







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