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喜びも悲しみも半分こなんて誰が言った?



「人は一人では決して生きていけない」と説教されたことがある。


仮に、一人で生きていくことが不可能だとしても、「一人で生きていける」と強がることはそんなにいけないことなのだろうか。


強がりながら、雑踏の中に足を踏み入れ、自分を見失い、また起き上がるときに友人にそれとなく弱音を吐き、頼るフリをするのだ。

それの何が間違っているのだろうか。


「言わないと分からない」と、母親に打たれた瞬間を思い出す。誰も、「言えない」私のことなど気にも留めない。


そういえば、昔はよくオトモダチのことを信頼していた。

中学生の時、6人くらいで集まり、何故か「死にたいと思ったことはあるか」なんて話題になったことがあった。

当時、みんなが口をそろえて「ある」と言った。


でも、その話になんの意味もなく、みんなでラーメンを啜ってその後ただ解散しただけだった。


そしたら数日後、お風呂に入った後、着ていたスウェットを思いっきり母親に引っ張られ、「あんた、どこ切ったんや!!」と怒鳴られるという出来事があった。

突然すぎて全く意味が分からなかったが、あのラーメンを一緒に食べたうちの誰かが、「あの子は自殺しようとして、首をカッターで切ったことがあるらしい」とその子の家族に話したそうだ。

そして、母親に連絡がきたそう。


実際、「自殺しようとしたことはある」とだけ私は言った。しかし、話が飛躍し、こんなことになった。


でも、そんなこと私にはどうでもよくて、どれだけオトモダチ同士で秘密の話や、ちょっといつもと違う話や、他の人に言えない話を喋ったとしても、彼女達には頼れる存在が居て、そのてっぺんに家族がいるのだろうと察した。


そして私は、他人を安易に信頼することをやめたのだ。



友人も、恋人も、皆、


其々に、頼れる人がいた。


だからきっと、彼ら、彼女達は、心の中のモヤモヤは日常的に消化できているのだ。

だから、


だから、簡単に「話を聞くよ」と他人の背負っているものを、肩代わりしようとすることができる。


だから、


だから、彼らは知っている。人は一人では生きていけないということを。自分の辛さも、オトモダチの苦しさも全部、放り投げても受け止めてくれる人がいたから。


だから、


だから、「悲しみも半分こしよう」なんて言葉が言えてしまう。




居酒屋で、お酒を飲みながらサークルメンバーの愚痴を言ったり、好きな人と状況を語ったり、あの子がどうとか噂話で盛り上がったり。


でも、きっと皆どこかで、線引きしている。


これは、話せるけど、これは家族の前でしか話せないって。



昔はそれに気づかなかった。だから馬鹿みたいに、自分の心うちをベラベラ喋っていた。きっと本当はその時皆気づいたのだろう。こいつは寂しい奴だと。だから、お家に帰り、面白おかしくお母さんに喋ったのだろう。


だって、



だって知らないんだ。


皆がどんなことを家で喋っているのか。


夕飯を食べながら、どんな会話をするのか。


だから、


だから、そんなくだらない居酒屋の席でだって、本音をぶつけてしまいそうになる。




それでもまだ、

ダサくてもいいから、

一人で、

生きていたい。






p.s

学生の時ってやたらと口軽い奴だけ名指しされる風習ありましたよね


文字を書くことが生き甲斐です。此処に残す文字が誰かの居場所や希望になればいいなと思っています。心の底から応援してやりたい!と思った時にサポートしてもらえれば光栄です。from moyami.