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フルーツ贈与の愛


いつからか、キャベツはこんな値段では買えないだとか、

トマトはもう少ししたら安くなるだとか、


スーパーでの、「買う基準」を習得していた。


そんな中、いつもフルーツだけは、

野菜よりも高かった。


その時決まって思い出したのは、

フルーツを剥く、あの手で、

フォークとセットで渡されるあのお皿であった。


あゝ、きっと無償の愛とやらを物で例えるとするならば、

フルーツなのだろうと、思った。


お菓子も、フルーツも、

欲しいと思ったことは一度もなかった。


特別好きなものなどなく、

「あれが欲しい」と言える子どもが、大人から好かれているのは、

なんとなく知っていた。



私は、どんな時も、何かを願うことのない子どもであった。


「あれが欲しい」とも言えなくて、

「あれになりたい」とも言えなくて、


ただ、自分という人間を持っているだけで、

精一杯であった。



「愛想のない子」だと言われても、


何をすれば、愛されるのか、まだ知り得なかった。




只々、フルーツを与えられるように、

フルーツを欲しがればよかったのだろう。




いちごよりも、

ぶどうが好きだということを知っているのだろうか。



大きな甘い苺よりも、


暖かいご飯が好きだったということを

知っているのだろうか。



あの時から変わらず、

何かを欲しがる欲望に欠損が見られる私は、

やはり残念な人間だと思われているのだろうか。










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