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人生ハードゲームだっつってんだろ


人生、ハードゲームだ。


HPは2くらいの瀕死状態で全回復しないまま、フラフラと生延びてきた。



そんな状態でも、涙を強要される。



私は、何処からか聞こえてくる涙の音にすぐ気が付いた。

自分の聞いている音楽をとめて、

耳を澄ませた。


そして、自分が声を押し殺して生きてきたように、泣くならバレないように泣けよと思った。


私は、悲しいと言って、辛いと言って泣く人の気持ちが理解できなかった。


他人に慰められて終わるような「悲しさ」なんて、存在している意味はあるのかと、苛立った。



何故人間は、こんなにも無駄な感情が多いのだろう。

「悲しい」と声をあげて泣く癖に、その本質は誰かに自分の存在を認めて欲しかったりもする。

自分がこんな気持ちをしたから、他人には同じことはしないでおこうと思う癖に、時間が経てばそれも忘れまた同じことを繰り返す。


人間同士で争う癖に、「家族」の中では皆が自身を正義だと思い込む。


私は子どもを愛している

私は家族の為に頑張っている


本人がどう思っているかではなく、

「私」がどれだけできているか。


くだらない、家族ゲームに巻き込まれた私は、

未だに、感情の出し方を知らない。



どんな時に悲しくて

どんな時に嬉しくて

どんな時が幸せなのか



「死にたい」と思った時にだいたい分かる。

あゝあれを、幸せと呼ぶのかと。



死にたいという願いも叶わず、

生きたいという思いも届かず、


神様はどんな願い事なら叶えてくれるのだろうか。



今日もまた


母親が泣いている。


それを聞きながら私は、文字を起こす。


私も、母親が死ぬとき、


こんな風に涙が止まらなくなるのだろうか。


きっと、泣けなかったにせよ、


全てを許してしまいたくなるのだろう。


泣きたかったけど、泣けなかった日々を思い出し、彼女に所為にもできず、ただ眺めるだけになることだろう。



いつまで経っても報われない。


自分は何の為に痛みに耐えてきた?


胃を壊して、それでも学校に行き、笑って「ただいま」を言う毎日。それはなんの為にやってきた?


心のどこかで思っていた。


これだけの思いをしたつけは必ず返ってくると。必ず、この事実があったことすら忘れるくらい幸せになっているのだと。


しかし、今、どうだろうか。

幸せとも、あの頃よりマシだとも言えない。





この、ハードゲームいつ終えられるのだろう。








p.s


ここ数日のストレス指数やばいと思うので測ってみたいです



文字を書くことが生き甲斐です。此処に残す文字が誰かの居場所や希望になればいいなと思っています。心の底から応援してやりたい!と思った時にサポートしてもらえれば光栄です。from moyami.