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ここではないどこかへ
↑ 最近買った本で点滅社の「鬱の本」に、「怪談という窓」という青木海青子さんのエッセイがある。
鬱状態に陥ってしまったころ、ベランダに出ては下に飛び降りるイメージトレーニングに余念がなかったそうだ。その頃に、怪談の本を手にとっては読み漁っていたという。
『私はこれらの怪談を怖がりながら読んでいたわけではなく、見え隠 れする向こう側の世界の存在に、どこか安心感を覚えていたように思います。今ここ
私は君がお茶の時間に何を好むのか知らない
1日に一回、私はかならずお茶の時間を設ける。
特別そう意識しているわけではないのだが、思い返してみればおそらく幼少期からずっとそうだったのかもしれない。子供のころは母や父の一服タイムに付き合うことから始まり、そして定着していったのだろう。
私に忙しい日なんて特にないけれど、例えあったとしても、駅のホームかなんかでお茶と甘いものを少しだけ口にいれるだろう。(実際忙しなくしていた時期のお茶タイムは