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君の呪いは神のせい

先日、東畑開人さんの「野の医者は笑う 心の治療とは何か?」(誠信書房)

を拝読した。実の母親が「スピリチュアルカウンセラー」であり、その上で「臨床心理学」という学問を覗き見している私にとっては最初から最後まで興味深く、一気に読み終えてしまった。(もっと読んでいたかった)東畑さんの言葉では、「スピリチュアルカウンセラー」や「ヒーラー」と名乗る人々を総合して「野の医者」と呼ばれる。

私の母がスピリチュアルカウンセラー、「野の医者」となったのは10年ほど前のことだった気がする。当時中学3年生だった私の家は崩壊の頂点にあった。

父親が経営していた会社の破綻し、気がついたら母親は行方不明となり、父親も帰ってくるか帰ってこないかの中で、日々銀行の人とかが家に訪ねてきたり。。そういう状態がしばらく続いてから、今度は父親が行方不明になった。

私から連絡をしたのかしてないかも覚えていなかったが、「もし電話をかけても出てくれなかったら」という恐怖感を覚えているので、もしかしたら連絡すらしていないかもしれない。「本当に音信不通なんだ」と確定させてしまうよりも、「ただ忙しくて帰れないだけなのかも」とか思っている方がいくらかマシだったからだ。母がいなくなった家に夜中だか明け方帰ってきた父が、リビングで嗚咽していたのを今でも忘れられない。

母は、他の男性との恋だか愛だかの逃避行をしているようだった。その兆しには、前々(行方不明になる前)から気がついていた。友達にいうと「わかりやすっ笑」と笑われてしまうのだが、本当に人ってわかりやすいもので、あたらしい下着が次々と増えていくのだ。家の洗濯物干しに、濃いピンクのレースの下着などが干されているのはグロテスクだった。今でも、ベランダとかに干された女性の下着を見るとギョッとしてしまう。

当時流行ってたSNSといえば、前略プロフで(これはHPのようなもの)、それに「りあるたいむ(通称リアタイ)」(これはTWITTERのようなもの)をはっつけたのを交換していたりした。私の2学年下の妹は、母の「りあたい」をどこかで見つけだしていた。タイトル名というか、「りあたい」名から推定するに、浮気相手の男性と2人で使っているものだと分かったそうだ。肝心の投稿は、パスワードがかかっていて見ることができなかったのだが、なんと妹が4桁のパスワードに対する0〜9の全通り試して、解除したのだった。(すごすぎる)

その「りあたい」のパスワードを巡る事に関しては、あとで父から聞かされる。妹には相当辛い思い出なのではなかっただろうか。その「りあたい」は父がいうには「気持ち悪く」「破廉恥」で「ありえない」ものだったのだそうだ。

そんな彼女が、なぜ「野の医者」に.........?

そのあと、父親が失踪を遂げた。そうすると、母がけろっと家に帰ってきて、私たちは当時住んでいた家を逃げるようにして引っ越したのだった。以来、私は母と暮らしている。

彼女は懲りずに、今でも私を苦しめ続けている。まるで悪魔のようだといつも思う。私がそこに生きているのが気にくわないのか、何をしていてもすかさず攻撃をしてくるような人で、(全て「愛してるから」で片付ける)私は家で手をひとつ動かすのにも緊張してしまう。世間で言われる「毒親」なんだと思う。私は彼女の元で育てられた「アダルトチルドレン」だ。

なんでそんな人が人を癒そうというのだろうか。彼女はどこで「傷ついた」治療者となったのだろうか。

東畑開人さんの著書を読み進めていくと、「野の医者」のほとんどの「傷つき」は彼らの経済状況の困難、異性関係の混乱、そして圧倒的な孤独が背景にあった。私の母は、経済的に困窮していたわけではなさそうである。

当時私の家は、東京の一等地にあり高級車を何台も乗り回していたような環境であった。じゃ、次。異性関係の混乱。というか、もしかしたら父かもしれない。

几帳面かつ、神経質なあの父と共に過ごすのが結構「精神的に参ってしまう」のは、私が大人になってから父と食事などをしに出かけるようになってから気がついた。絶対的だと信じていた父の本性は、虚言癖と自己愛に満ち満ちた非常に身勝手な男であった。母は、その父に疲れ切ってしまっていたのではないだろうか。

離婚するまでの約15年間で、母は自分を抑圧しつづけていたのだとすれば?父は離婚してから、私に「君のお母さんはね、本当に頭悪いよ。顔だけいいんだよ」と言う。まるで自分に言い聞かせるように、何度も何度も。

母は、父にそう扱われることへの疑問や傷つき。さらにかわいそうなことに母はとびきりの美人だった。つまりどういうことかと言うと、人生ではずっと「お姫様」「みんなの憧れ」として、ちやほやされてきたのだ。しかし、前ほどちやほやしてくれなくなる周囲、その怒りや混乱、葛藤......。そして抑圧。そんな結婚生活だったのかもしれない。

そんな中で、彼女は浮気相手となる男性や、その周辺の「スピ系」の人々と出会う。彼はアメリカの大学で心理学を専攻していたそうで、なぜだか色々あって「スピ」に走ったような人である。(彼に関しては、私は特に恨みも何も感じていない。)彼の見せてくれる世界:スピリチュアルワールドに彼女は救いを感じたのかもしれない。それで、だんたんと救われていく自分(本当はただお姫様扱いしてくれる人が欲しかっただけなのかも)、そばにいてくれる彼への恋心という名の依存先。そして、彼女は彼とスピワールドへ逃避行したのだ。

つまり、母が「傷ついた治療者」となった傷つきは、父との結婚生活にあったのではないか。ということだ。まあ、そう考えるのが一番妥当だ。

気がついたら母は、メンタルなんたら協会で免許とかとってたり、家に謎の仏壇なんかができたりして早くも10年以上経過した。最初こそ、どこかの会社に勤めていたり、彼と何かしらの事業をしていたと思うが、近年は「カウンセラー」業が目立ち始めていた。

3年前に私と母は、長く暮らしていた都会を離れて、郊外へ引っ越したのだがそれから母の職業が激変したようだった。前は「オーラ」だとか「アロマ」だとかゆるふわしてた彼女のスピワールドが、一気に宗教色を強くさせていたし、「カウンセラー」ではなく「講座」が目立ってきていたのだ。家に定期的に挨拶もしてくれない、正体不明のおっさんが出入りするようにもなった。(母からの紹介も受けない)

結構この変化には疑問が生じていた。もう何が何だかわからない。しまいには、武道まで誰かに「教えて」いるらしかった。

その「何が何だかわからなさ」は同書を読む事で解決されていった。東畑さんの言うスピダーリ(沖縄弁のカミダーリなどが由来)の世界は、ブリコラージュで成り立っているのだそうだ。

ということは、つまり母は、ゆるふわなスピから始まり、宗教(主に古神道)に行き着き、結果「日本」に辿りつき(口癖は「だから、日本はすごおいんだよお!!」だ)、武道にも手を出しはじめたということだ。そして彼女の「講座」と呼ばれるものは全ては古神道の根源(この辺は謎です)とリンクするものだとして、彼女によってブリコラージュされたセラピー、いや、ヒーリング。なのかもしれない。面白い。

今まで何が何だかわからないことをしている母が恐ろしかったし、気味悪いとさえ感じていたのだが、わかってしまうとあっけない。

さらには、「講座」だ。最近はZOOMで行なっているらしい。どうやら、スピ界はゴリゴリの階級制度で成り立っているようで、「親玉」ー「マスターカウンセラー」(講座とかやる)ー 「ヒーラー」の順だそう。母は長いこと、「ヒーラー」の位にいて、そのころはカウンセリングなどを細々と他の事業と共にしている程度だった。しかし最近になって「マスターカウンセラー」の位まで成り上がって、一口結構良い値のする講座を行なっている。(ありがとう!)

今まで税金も収められないくらいには貧乏だったのに、突然お金ができ出したのだ。お金ができたせいなのか、さらに母も自分の承認欲求をそこで満たしているからなのか、彼女は「講座」をやり始めてから私への当たりも多少よくなった。多少。

こんなことを書いたのがもし彼女にバレてしまったら、また母は「私をバカにしている」と言うと思うし、しきりに「宗教じゃない」と言うだろう。それも、同書によって、その世界の人々にありがちな特徴であることがわかった。彼らは常に自分たちが「ちょっとイリーガル」くらいのことは重々わかっているのだ。彼らはちょっとイリーガルなことを、合理化してブリコラージュして、自分のものに作り変えるのだ。だから、少し指摘されると怯えたように相手を攻撃する。

そういえば、スピ界のヒーリングとやらはひどく乱暴なものだったりするように思う。少なくとも私にはそう見える。彼らの治療のほとんどは「思い込み」を活用するし、また彼ら自身も自分に「これが正しいんだ」と思い込んでやり過ごしているというメタ構造は、同書にも「ヒーリングすることでまた、治療者も癒されている」と書かれている。

多感な思春期をそんな環境で過ごしながら、私の精神もまた崩壊していた。泣きわめく娘のことを、母はスピ的観点で「うるさい」「虐待と思われるからやめろ」「目障り」「陰気臭い」「悪い気がうつるからやめろ」と言い放ち、相談事などをしても「愛することだよ」とか訳のわからんことを言い始める。なんの救済にもならん。

私が泣いていたら上記のように憤慨し、気分が落ち込んでいるから(母に優しく接してあげる余裕がなく傷つけてしまうともっと面倒だから)と静かに自室に篭ると「かんじわるっ」などと吐き捨て、機嫌を悪くしてしまう母に、誰が相談などできるだろうか?

しかし、彼女は「あなた、私になにも相談とかしてくれないしっ」とふてくされてしまうのだ。

彼女に他人のヒーリングなんてできているのだろうか?するべきなのだろうか?と何度も何度も疑問に思う。一番近しい娘という存在の私をここまで追い込んだ彼女にそんなことが本当にできるのだろうか?泣いているときによく言われるてきたのは「泣くと悪い気が寄ってくるんだから、泣くのやめろ」だった。なんの解決にもなっていない。ヒーリングと呼ばれるものはこういうのが多いのではないだろうか。対処療法というほどのものでもない、応急処置にもならない。ただ、「絆創膏をちゃちゃっと貼っとく」みたいなそんなものに近しい。

ただし、同書で書かれていた(帯にもなってる)「私たちは今、軽薄でないと息苦しい時代に生きている。だから、軽薄なものが癒しになる。」を読んでハッとした。母のその応急処置にもならない、軽薄な癒し(?)行為が、今の世の中では必要な方法なのかもしれない。少なくとも需要はあるんだから、今うちは税金が払えてリフォームもできるくらいにはなってきたという訳だ。

これには感謝しかなくて、大変おかしなことに、当の本人の私は今、臨床心理学を学ぼうと大学院に入学しようとしている。そして、その学費をスピダーリの金でまかなおうとしているのだ。同書では結果的にスピダーリも臨床心理学も枝分かれした兄弟のようなものだと記されていた。(詳しくはネタバレになるので書かない)

ここまで書いてきたように、私は「ちょっとイリーガル」な中に育ちすぎてしまったので、いいかげん「リーガル」の中に入りたくなってしまったのだ。まっとうに、人に認められながら生きたい。それだからこそ、臨床心理学という道に興味を持ったが、もしも、私がリーガルな環境で育った子だったら、スピダーリに惹かれていたのかもしれない。

最近メディアでとりあげられている「毒親」関連の記事等を読んで、突然このように書きたくなってしまいました。ここまで読んでくれてありがとうございます。

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