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私が下手くそなこと

先日、上司に「あなたは器用すぎる」と言われた。確かに私にはそういうところがある。器用貧乏、あるいは八方美人とも言い換えることができるだろう。

改めて、そのように人からその器用な面を指摘されると自分でも驚いてしまうほど、他人の表情や微細な感情を読み取って会話や立ち居振る舞いを行っていることに気がつくのだ。

しかし、これは「社交スイッチ」が入っている時限定である。誰とでも仲良く、楽しく過ごしているように見えているかもしれないが、つまるところ、その相手との関係が深くなく、私自身も心を開いていないしていないとも言える。

このスイッチが入っている時間が長ければ長いほど、とんでもない疲労をもたらす。私の個性(思想や人格)をなるべく出すことなく、それでいて私の『ネタ』になることだけを限定的に、そしてその『ネタ』をさらに装飾して話すからだ。(やりすぎだ。と思う。芸人でもあるまいし。)

そんな私も「社交スイッチ」をオフにしてしまう時がある。心を許しきっている友人の前でだ。

私は、彼らの前では自分のことを積極的に話す。なるべく他人に知られたくないこともペラペラと。やっと行き場を設けられた言葉たちはそこらじゅうで暴れまわってしまうのだ。それを思うままに暴れさせる。

彼らは、その暴れまわってる私の話を親身に聞き、回収し、そして時には支えてくれたり、協力してくれたり、共感をしてくれたりする。

私は、そういった友人たちの愛情をいつも、いつも、おざなりにしてしまう癖がどこかにある。

それゆえ、数々の大切な友人を文字通り失ってきた。

1度目は大学卒業の時期だった。卒業制作でてんやわんやしている私を支え、そして協力してくれた友人たちを置き去りにして、不快な思いをさせてしまったことが原因であった。(ここ最近その友人と再会し、その当時私と縁をきった理由を聞くことができた)

彼女たちは私の将来だけでなく、同時に、現在の私の状況への心配をしてくれていた。彼女たちの目には、私はその助言を聞き入れてもいないように見えていたそうだった。彼女たちに無力感と、絶望感を与えてしまう結果となった。私が、彼女たちのくれた愛情に対するケアーというかレスポンスが不十分であったのが原因である。

2度目は今回起きたことだ。これも結論から言ってしまうと同じことが起きていた。

私の人生というものは常にチャレンジングな人生であるようだが、ある友人が現在の私の生活を支え、改善しようと協力してくれていた。それから友人と相談して決めた改善策に向けて進んでいこうとした矢先で、それを遂行できにくい、いくつかの事実が発覚しだしたのだ。

昔の私であったらここで絶望し、挫折し、いつも通り自暴自棄な生活を送っていたのだろうが、実を言うと今の私は結構に精神が強い。

私はその改善策を憚るいくつかの事実を前にして、今手持ちの手札でやりくりしよう。その手札の中でできることを選定して改善策を遂行しよう。と、自分で決めて、完結させ、そして実行させ始めたのだった。当初、私の相談に乗って協力までしてくれていたその友人を置き去りにして。

そこで食い違いが発生してしまっていた。そして、友人に不快感を与え、今回その友人を失う結果に繋がっていたのだった。(今日やっと連絡が取れて、その食い違いの事実を知りました)

共に見つけてくれた改善策をほっぽって、友人の目には私が「全てを諦めている」だけのように見えていたのだ。これは、私が改めて立て直した計画を伝えていなかったことが原因である。

私は自分勝手にもほどがある。本当にダメな人間だなと思うし、人間関係を育むのが下手くそなのもこのせいだろう。愛情への受け答えが著しく下手だ。

きっと、「社交スイッチ」が入った私しか知らない人たちはそんな私の側面を信じることもできないだろうと思う。いろんな人と親しく、まんべんなく関わっているように見えているのは、広く浅くしていれば誰からも愛情を受けることもなく、返す必要がないからだ。

それなのに、自分の本当に大切にしたい人との関係性に疎いなんて、私はなんと愚かなのだろうか!

心を開いた友人と接する際「社交スイッチ」の、「他人がどう感じるか」の部分までもスイッチオフしてしまい、結果として友人へのケアーが不十分なのである。

これは「愛されている」ということに対する安心のせいでもある。この人は私のこと愛してるから何しても大丈夫。そんな感情がきっとどこかにあるのもいけない。

今話したこと以外にも、仲良くしていた友人と縁を切られることが数回あった。そのどれもがきっと私の「愛情へのレスポンス不足」が原因であることは明らかである。

もう私の話を親身に聴いてくれた彼女には、会うことができないかもしれない。そうだとしても、私のせいであり仕方のないこととして受け入れるしかないのだ。

彼女が教えてくれたことに注意を向けて、大切にしたい人を文字通り大切にしなくてはならない。

それから、現在私を愛して支えて、そばにいてくれている全ての友人には頭が上がらない。どれだけ感謝を伝えようにも伝えることができない。こんなに捻くれていて、友人として特にもならないような私をいつも見守ってくれているなんて。

私という人間がもし他人だったら、私だったら私を友人にしたくない。しかし、これからは少しでも友人たちに幸福を与えらえるような、少しでも友人たちの支えになるような、少しでもみんなの愛情に答えることができるような、そんな人間になれるように邁進していきます。

いつも本当にごめんなさい。そして、いつも本当にありがとう。

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