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確かに知っている感情

「まるで、冷たくて重くて分厚い鉄のような板と板の間に挟まる様にして、土の下に隠れているようなんです」

カウンセラーに「今のあなたはどんな状態なのでしょうか?」と聞かれたときに、私はそう答えた。

少し前までの私には、崖のつま先にいて、一歩でも間違えれば崖の下へ落ちていってしまうようなそんな中にずっと立っている感覚があった。

それがこの何年かの間で、土の下にひっそりと隠れて息を潜めているような感覚の方が強くなってきたのだ。

「なるほど、そうなんですね..。」

私はカウンセラールームの窓際に並んでいる観葉植物を眺める。名前こそ知らないが、何度も見たことのあるような観葉植物の王道といえばこれ。といったような植物たちだ。カウンセラーである彼が丁寧に手入れと世話をしているのだろう。それらの鉢植えに蓄えてある土はホクホクとしていて、栄養が豊富そうな土に見えた。

カウンセラーとの話は、私の心理的苦悩の核心となるような時代にさかのぼっていく。私には、今までの人生における時間の多くの記憶が、ほとんどなかった。覚えていたとしても限りなく断片的に、かつ条件的に『記憶』を”記憶している”だけであり、それはまるで歴史のテスト前に一夜漬けで丸暗記しただけの”絶対出るポイント"程度のものでしかなかった。

「お酒ばかり飲んでいて、あまり記憶にないんです。」私はそう言い訳をしていた。10代の頃から酒浸りだったのだ。

セッションを重ねるにつれて、私がポツリポツリとその時代の出来事を口に出していく。そうすると、カウンセラーが「それは辛かったですね。」や、「ええ・・っ」と少し驚いたようなリアクションをしながら私の記憶の断片に付き添ってくれるのだ。

ただの”覚えておく”用に箇条書きにされたキーワードだった私の歴史が、カウンセリングルームにおいて”私の物語"として立ち上がってきたのだ。それから数回のセッションは物語の肉付けをしていく過程が続いた。

私が今まで過ごしてきた時間たちに、物語みと人間みが帯びてきたところでやっとプロットが浮かんできたのだ。カウンセラーは、脚本家となり、監督である私の語りを丁寧に整理することで、それを完成させてくれたのだった。

プロットの作成が済むと、私に変化が生じた。ただ丸暗記だけされていた出来事が生じていた当時の「感情」が手に取るように感じられるようになったのだった。あの頃の私が、確かに今の私の中にいる。胸が、キリキリと痛んだ。

カウンセラーが「本当はすごく辛かったんじゃないですか?その時。」と私に話しかける。

なるほど、私は本当は、辛かったのか。

そしてその頃の私はそれを感じないよう、感じないよう、、酒ばかり飲んでいたのだ。

改めて、私の過ごしてきた時間としてのプロットを眺めてみると、確かに辛そうだった。よくここまで生きてきたな。と自分に言ってしまいたい程だった。ひどく辛く苦しい、無数の時間の中で、絶望しながらも必死に生きのびようとしてきたその結果に、今の私がいる。ということに気がついたのだ。

「よくここまで頑張って生きてきて、よくこのカウンセリングルームにたどり着いてくれましたね。」とカウンセラーが言う。

私は、頑張ってたのだ。

私は、ひどく辛かったのだ。

私は、ひどく苦しかったのだ。

私は、ひどく絶望していたのだ。

そのことを、カウンセラーが”わかってくれる”ことで、私は初めて、自分の苦悩を認めることができたのだった。

そして、あの頃に押し殺したその痛みが、今やっと私の手の平にあるようであった。あの頃に泣けなかった分の涙を、ひとしきり流すように泣いたあとでカウンセラーは「今は、どんな気持ちでしょうか?」と問いかける。

本当は苦悩していたということを吐き出すことができて、スッキリとしていた。そして、プロットとして私の物語を理解することで、今ここにいる私が、話してきた全ての時間の連続の上で成り立っている『私』であるということに、しっくりきたのだ。私が、『私』として輪郭を初めて得たような。

「ずっとあなた自身が、あなたを守るためにずっとずっと、何も感じないようにしていたんだと思います。あなたが言ったように、土の中に隠れるようにして。」

カウンセラーが私の涙の理由を、そう解説してくれる。

「なるほど。そうかもしれないです」

それから、私が過去のことを思い出すにつれて辛くなったり、悪い夢をみるかもしれない、そんな時は遠慮せず連絡してください。心配していますから。とカウンセラーが告げる。

私はずっと辛い思いを抱えていた。その事実を、知ってくれている人がいる。そのことがすごく嬉しかった。

悪夢はみなかった。

私は、この人生を過ごしてきた街の駅のホームで見かける、高校の制服をまとった少女たちを眺める。もし、今の私が、あの鋭い顔つきをして、突っ立っている高校の制服を着た私に出会ったら、今すぐ抱きしめてあげたいと思った。

立っているのもやっとで、酒を絶やさずに飲んでいる時だけが自由だった頃の私に、大変だったね。辛いね。よくがんばってるね。そう言ってあげたくなった。ただそれだけのことが、必要だったのだ。

「今、どんな気持ちなんでしょうか?」カウンセラーは、私の中で何か変化があったように感じる度に、そう問うかのようだった。その問いに対して私はいつも「悲しい」や「辛い」といった名前の付けられた感情表現法を使うのではなく、極めて抽象的に答えてしまっていた。それで良いのか悪いのかもわからないが、私の中でいつも納得できるような回答しかしなかった。

「そうですね、、なんだか今は、今までずっと過ごしてきた時間の連続の先に、今ここに、このカウンセリングルームにいる私がいるということがなんとなくわかってきて。それで、あの頃の、記憶というか感情みたいなものが、なんだか手の平にあるようなんです。手の平....いや、届くところにあるようという方が近いのかもしれないです。」

「触れられるところにあるんですね。」

「はい、そうなんです。触れられるところに、あります。それで、それは、すごく痛いんです。トゲトゲしているようで、しかもすごくすごく重くて、冷たいんです。」

「感触がするんですね。」

「はい。とても、痛くて、重いです。」

私は、押しつぶしていた過去の感情を取り戻していた。

確かに、その痛くて重いのは私の、私だけの感情だった。誰にも言えなかった、私のひとりぼっちの感情だったのだ。

一息ついたあとで、窓際に並ぶ観葉植物をみると、太陽の光を透かしてしまうかのように青々しく、つるつるとした表面の新しい葉が顔を出していた。

「すごい綺麗な葉が出てますね。」

「この植物は、古くなった葉を切ってあげると、新しい葉が生えてくるんですよ。すごいですよね。この季節はどんどんと新しい葉が成長します。」

そのつるつるとした葉の表面に触れてみたいと思った。それはきっと、気持ち良いものだったからだ。

私は私の絶望を、触れられるところにまでもってくることができた。なんだか、私はそれらの鉢植えの土の上にいるかのようだった。色々な匂いが混じり合ったような、そんな確かな土の上に出てきて、風や太陽の光や、街の音を、初めて感じた芋虫のような、そんな気分だった。

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