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カエルは帰る

私はカエルを踏んずけたことがある。あれは、確かにカエルだった。カエルに違いない。うん、そう。カエルだったと思う。

あの踏みつけた時の感覚は、なにを踏んづけた時とも違っていた。最も、私は大したものを踏んづけてきたわけではない。犬のフンを踏んづけたのだってこの人生で1度くらいだ。

あれは、夏の夜の迷路のような住宅街の中をどんどんと迷宮入りしていってしまいそうな暗い小道へ、そして小道へ、と進むYの家までの帰路だった。Yが週に1度くらい、恋人に会うような日ー大抵決まって日曜日だったー以外の日を私はYの家で過ごしていた。缶ビールをいくつもいくつも飲んでは、セックスをして、全ての理性を日中に預けてきたただの哺乳類2匹であとはグースカと眠るだけの退屈な関係だ。

駅から、Yの家に到着するまでで様々な角を曲がって進んでいくのだが、最後の曲がり角を曲がると、世界は突然に静まり返る。私はこの道が一番好きだった。申し訳程度にしか点いていない街灯は私たちの足元すら照らしてくれず、こじんまりとした住宅同士は静かに肩を寄せ合って、ひっそりと暗がりの中で陳列しているようだった。そして、その小道のほとんどを占めていた素朴な美しさのある平屋ー確か「鈴木」さんと言ったーのお庭の緑たちが、昼間の日光浴で沸き立った活力を鎮静させるために、清潔な生物の香りを漂わせていた。

「雨の後は、いつもここでカエルが僕の帰りを待ってるんだよ」

とYが得意げに言った。

「カエルに待たれてもねぇ...」

私は大概、カエルが嫌いだった。嫌いと言うより、“あまり見ても嬉しくないものの一つ”程度だろうか。カエルはいつも予想もつかないような場所に、ポツンと石像のように鎮座している。猫や他の生物だったりしたら、人間が近づけば慌ててどこかの垣根やらに逃げていくというのに、カエルときたらビクともしない。あまりにビクともしないので、夜なんかだと、「何かが落ちてる」のか「カエル」なのか判別もつかなかったりして、近づいてみるとやっぱりカエルだったりするので、こちらが驚いて飛び上がってしまう。それでもカエルたちは、相変わらず驚くこちらに目もくれず、警戒した顔一つせずに、すました顔でまっすぐ先を見つめ続けている。

「でも最近、見かけないんだ。おかしいよね。」

Yは動物好きみたいだ。なにをしてる時も表情が読み取りづらい人で、なにが好きで、なにをしてる時が特に楽しいのかとか、そういうことは知る余地もなかった。私はYのそういうところが好きだった。動物好きのところでなく、感情が分かりにくいようなところが。

その夜は雨が少し降った後の帰り道で、だから彼の自慢話によるとカエルがいつもの道で「待ってくれている」はずだった。

ふと、おんなじように昼間にゲリラ豪雨かなんかがあった別の初夏の夜に、ビールを飲みながらYと歩いている時、「何か」を踏んづけてしまったのを思い出した。それは、グニョリとしながらも、体積のある「何か」で、空いたペットボトルや缶なんかでもなく、犬のフンくらいの粘度があるものでもなかった。それに、Yの家に点いてから靴の裏を確認しても、何も付着していたりしなかった。

もしかしたらあれは、カエルだったのかもしれなかった。Yが会うのをいつも楽しみにしていたカエルを私はちょっと踏んづけてしまって、ー翌朝問題の道に死体がないか確認したが、何もなかったーカエルがそれに腹を立ててしまって、もうYの帰りを同じ道で待つことができなくなってしまったのかもしれない。

「もしかして私、踏んづけちゃったかも、この前。」

Yは何も言わなかった。

それから夏が終わって、Yは引っ越しをして、新しい恋人ができて、私はYの家にも行かなくなって、連絡も取らなくなって、しばらくが経った。

私自身も都会から、郊外に引っ越しをした。郊外に引っ越してからというもの自宅までの帰路は、Yの家にたどり着くまでの道のようにいくつもの住宅の角を曲がらなければいけなかった。

私はひとりでいても、誰かの家の角を曲がる度にカエルがいないかどうかを用心しながら歩くようになった。

そうすると、曲がった先にカエルがポツンと鎮座していたりする。私も不思議と「あ、待っててくれたんだね」そんな気分に確かになってしまう。あれは、カエルがやはり地蔵のようにそこに居るからなのだろうか。Yの家の道でカエルに遭遇するまでは「気持ち悪い」とすら思っていたのに、今となっては、カエルに会えると何かいいことあるかも。と、「おまじない」のような存在になってしまっていた。

そのうち、またYと再会するようになった。

以前のように週のうちのほとんどを一緒にいるようなものではなく、誰も知り得ないような夜中に、身をひそめるようにコソコソとホテルに潜り込んで、朝になったら別々の日常に帰って行くような、そんなものだった。

とはいえ、一般的な『交際』をしていたら「普通に結婚だろ」くらいの長い年月を薄く長く、過ごしていた。それが心地よかったし、夜中どこかの街でYと落ち合う度に「おっラッキー。」とどこかで心が綻んだ。まるで角を曲がった先に、カエルを見つけた時みたいに。
だから私はYと顔を合わせるたびに、訳も無く微笑んでしまう。

どうやらYと連絡も取らないで過ごしている間、Yは私の心のどこかの角にずっといて、シンっと音も立てずに鎮座しているようなのだ。

私が誰と、どんな男性と会っていても、ひとりで過ごしていても、映画を見ていても、Yはカエルみたいに私の心の中の夜道にいた。

それで、小雨が降り終わると、のこのこ歩道に降りて来て、私が帰ってくるのをなんとなーく待っている。

多分、もう以前のようにYと一緒にはいられない。私もYもそんなこと、望んでいない。私にとってYは、少し日常に疲れてしまった時の「おまじない」みたいな人なのだ。






#創作大賞2023 #エッセイ部門

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