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復職して2か月。きついのはきついし泣くときは泣く。

※書き殴ったら悪口でてきちゃったので後日有料化予定

上司との面談は10分が限界で
※ちな、オンライン

さっさとzoomを切って
ううぅ…と泣いた。先週。

別に詰められるような質問があった訳でも
圧をかけられる訳でもなくて

仕事が前より出来なくなっている、
ということに自分で向き合うのが
自分的にきつかったらしい。

「仕事はどう?」
「●●が始まったけどできそう?」
「何か不安なこととかない?」

と上司が聞いてくれるのに対して

今がこれが精いっぱいなんで
○○と△△は無理です…


と声にだしたら
急に鼻の奥がツーンときて
これやばいやつだわ、と思って
画面越しに明らかもう目が赤かったけど
我慢して なんとか退出。

上司が嫌なんじゃない
仕事は嫌だけど大人だから泣くほどでもない。

自分から

「できません」「無理です」

と言うことが
頭では必要な発言だと思って
理解して口に出したけど
心はまだ納得していなくて
悲しくなってしまったらしい。

自分が出来ないのが悔しくて悲しくて虚しくて
情けない。って思うのがまた悔しい。

ゆるゆると仕事をさせてもらって
割と元気になってたから
そろそろ前とおんなじ業務に
取り掛かっても良いかなあ
と思い始めてたけど
なんかまだ低速で走ったほうが
体的には安全らしい。


(話が飛びます。以下悪口)

私の上司たちはいわゆる古株で
平成初期の残業時間がえぐい時を
生き抜いている精鋭たち。
(しゃちk)

その人たちを見ていると
当たり前のハードルが
どんどん高くなる。
結果私はついていけなかった。

今でも同じチームの人が
日報というか今日の成果を
チャットでやり取りしている。
たまにチラ見する。
で、しんどくなる。

冗談抜きで
物理的にと言うかなんというか
喉の奥が詰まる感じがする。

例えば
私の代打で入った方の日報なんか
分単位でタスクを報告していて
メリデメの報告もきっちりしていて
当然定時なんか超えていて。

正直、ええ、、、。という声が出る。
(タイマーで計って仕事してるらしい)
(カップラ、ーメン、)

そんな人たちも
私にとっては全てだった。
この人たちが私の中の「働く」についての
物差しというかノーマルだった。

上京して友達もいない私。

"会社の人"が全てだから
異常なのか普通なのか化け物なのか
比較が難しい。

自分の無理のないように

とか

自分のペースで

とか言うけど
その自分のペースでやることが
学生時代はおさぼりだったわけで…

例えば自分のペースで試験を解いていたら
センター試験なんて時間内に
解き終わる訳がなくて。

その流れで来たもんだから
結局会う頻度が多い人
(つまり私の場合は弊社社員)
の流れとか周りのスピードが
"普通"だと思ってしまう。

だからもし「自分のペース中心に働こう!」
と生活リズムを設計したところで
「怠け者」とか「給料泥棒」とか「自己中」とか
そんなマイナスのイメージしちゃう。

だから頑張って120%で労働しちゃう。
仕方がない。
残業もしちゃう。
仕方がない。
先に「失礼します」というのが
とても罪悪感。
仕方がない。


で、会社の悪口はここまでで、

私は休職中にいろんな人と会えて
本当に良かったと思った。(感謝)

私は休職中にいろんな人と会ったから
働き方とかそんなちっさい枠組みじゃなくて
もっとこう…
いろんな面を伺って
「こういう生き方もあるんだあ」
と勉強になったというか
知れたというか
リアルな声を聴けた。

別に強烈な一人に会ったわけじゃない。

二人三人…と、いろんな場面で
いろんな人に会って。


世の中のペースが分かった、と言ったらそんなわけでもないけど
とりあえず、弊社社員のリズムが
社会のノーマルでも基準でも何でもないというのが
分かった。

自分のペースで何かすることは
自己中でもなんでもない。
それが普通で
自分の人生生きるってやつかもしれない。

それと同時に
自分の周りにいる人のペースは
自分にとっての普通かもしれないし
異常かもしれない。


感情の不安定さが悪化して
外に出られなくなる前に
いろんな人に出会えてよかった。

そんな経験があったから
その上司との面談で泣いちゃった後も
気持ちを切り替えることが出来た。

自分のできないことをきちんと伝えられた。
「無理」をきちんと言えた。
情けない感情が出てきたけど
でも
自分の生きやすい方を選択できた。

そう思えた。


あと、個人的に
「でも」「だけど」「その代わり」の
後にくる文章は自分にとって
超強力で
めちゃくちゃ後の文章の印象が強くなる。

と、思ってる。

私が嫌いな引き寄せの法則おばさん
(YouTubeで引き寄せの法則を強く連呼している人たち)
達がよく話している
「ない方を見てたらそれが現実になるから
"ある方"をみて良いものをイメージする。
そうすると良い現実が起きて叶ってる...!」

みたいなことを言いたいんじゃなくて

(とはいえ、ダニエル・ウェグナーのシロクマ実験で有名な「シロクマの事を考えないで」と言うとシロクマを考えちゃう。というのもあるからあながち間違いではない)

「でも」って接続詞を付けると
前半部分が記憶喪失になって
後の事しか覚えられない、という
お馬鹿な私にはよく効く裏技。

「でも」「だって」は良くないというけど
案外よい。

要は、

●●だけど▽▽。という文章。
人は▽▽の部分を印象的に覚える。

●●の部分は記憶から抹消。

「今日は体重減ってた。だけど食べ過ぎた。」
と唱えると自分の中で体重が減っていたことよりも
食べ過ぎた、が重要事件になる。




「今日は仕事中の集中力が続かなかった
だけど
マイペースにやったから夜でも体力が残っている」
だと、体力がある。というのが
自分の中で印象が強くなる。


これが病んでいた時には
今日は全然生産的なことできなかった。
なんでこんな自分ダメなんだろう
本当に回復できるのかな…


で悪循環を生み出す。

「でも」「だって」の後ろに
付ける言葉を思いつけるようになったのも
いろんな人にあって
自分にとって都合の良いことを
選択するのは悪くないと思えるようになった
おかげだと、そんな気がする。

だから自分の中の
"当たり前"を会社の人にしないことと
自分が仕事で力を出し切らないで
他に力を注ぎたいことがあることが
本当に大切だと最近思う。


今日は仕事で失敗をした。
でも減給されないから来月のライブ代は稼げた。

今日はめっちゃ疲れた。
でも全力を出せた。

今日は人に本音を言えなかった。
でも自分のパーソナルスペース死守した。

的な。


今日も大人のわがままで生きよう。


ちなみに、
私がたくさんの人と出会えた場所であり、
自分のやりたいことを見つけて
「今日は仕事休んじゃった。でも料理の勉強ができた
と、わがままを言えるようになったのは
つながりの学校という所なので
元から恵まれた環境でなんとなく回復★したわけではないので
ご安心を。

今日も弊社と戦ってます。

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