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#今こんな気分
「帰属意識」と「自分自身」と
「自分が何者であるか」というのは、 別に、必ずしも他者が介在していなくてもいい。
つまり、自分自身で認識していれば基本的に成り立つ話なのに。
――「何かに属していないと」 「誰かに認めてもらわないと」 どうしても「自分が自分でなくなる」と、なってしまう人って、 結構多いのかもしれない。
「誰かに認められる」「ほめられる」「仲間になる」ってのは、あくまで「結果」つまり「オマケ」であって。
――それ
ホントに損している?
うっかり人と比べて、人より得してなかったとしても。
それは別に「=損している」という事ではないのだろう。
「別に何も損はしてません。」
と、思っておいた方が、かえって精神的にお得だと思うのだが。
(――っていうのも、まあそうか、これもまた個人の価値観か。笑)
たとえこの世のほとんど全てが、終わりを迎え死に絶えたとしても。
何か食べたい炭水化物と、何か飲みたいお茶と、何か読みたい本とさえあ
自分のいる世界くらいは上機嫌に、どんな手を使ってでも(笑)
「自分本位」というと聞こえが悪いのだが。
しかし、「自分の人生本位」「自分の時間本位」で、人というものは本来いいのではないか、と、私は思っている。
いや、「他者本位」でも、もしもそこに全く不満が湧かないというのなら、それは素晴らしいことだし、いいのだが。
――しかし、私はやはり、自分で心から望んでそうする場合以外には、「100%のそれ」を延々と続けていても不満が全く湧かない、というようには、どう
「静める」そして「美しいものを眺める」
自分なりに何とか、自分の気持ちくらい自分で、「明るく楽しく爽やかに!」なんて心掛けてやっていこうとしているというのに。
外側からいろいろと――そう、次から次へと、「鬱々としたこと」が入ってくるのである。
「仕方ないこと」もあれば。
「仕方なくない!ということ」(つまり「人為的なこと」と言えばいいのか)もあって。
――そっちについては、わざわざこちらも怖い顔を作ってファイティングポーズをとらなく