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自分が他者を「正す」ことはできないと思うので

タイトルについて――いや、先に誤解のないように言っておくが。

他者の「間違い」を、だから「全面的に受け入れろ」とか、「全部に目を瞑って諦めろ」とか、そんなことを言いたいわけではない。

「それは人として間違っていると思いますよ?」
「自分はそれを正しいとは感じられませんが?」
ということは、そう思い感じるならばその相手に、伝えるだけ伝えたり、説明を試みたりは、したほうがいいとは思う。

――のであるが。

それを聞いたその「他者」が、「そうかそうか、この人がそこまで言うなら、一度は自分の行いや考えが正しいかどうか、ちょっと検討くらいはしてみないとな」となるかどうかはわからず。
――そして、「そうならなかった場合」に、それをその相手に「強制する」ということまではできない(こちらではどうもしようがない)ということを、私は言いたいわけである。

つまり、もう少し踏み込んで話すなら、「そうならない他者」というのは、一定の割合で、この世に存在するみたいだな、というのが、だんだん、私にもわかってきた、ということを言いたいのだ。


とはいえ。

「間違い」であろうと、その人の脳の中や心の中に、「(その人から見て)他者である自分が手を突っ込んで」つまり「外からの力で」それを変えにいくことは、できないし、しようとしてもいけない気がするのだ。

つまり「正そう」という意識は、いつだった誰だって「他者から」ではなく、「自発」でないといけないし、そうでなければ結局意味がない。


世の中には、「他者のことなんか知るか!」という、「完全自分本位」な人も実はいる。
――って、おや?――これは、もしかして?!

昨日の記事の私の事ではないか?!?!――って、いやいや、ちがーう!!ちがーーう!!(笑)


昨日の記事で私は、「完全・自分の人生本位」というものを、確かに提唱した。
が、しかし。
そもそも私は、「(精神・身体共に)意図して他者に振るう暴力」とか、「他者を陥れ欺くための嘘」とか、もともとそういう「(価値観は人それぞれだという前提に立ったしても)誰がどう考えたって人として間違ってるだろ!」系のものは、自分自身が「反吐が出るほど(失礼)大嫌い」なのである。
――そして、そう、多くの人もまた、そういうことは、フツーに「嫌い」なのではないかな?
(他者からされるのはもちろんだけど、自分でだって「そういうことはしたくない」「そうはなりたくない」と、考える人のほうが圧倒的に多いのではないかな?)

ちょっとした目先の損得勘定で小賢しく動くことくらいはあっても(私はよくある。笑)、「そんなことはさすがにしないし、できない」というラインは、「多くの人には」あると思う。

但し。

それはあくまで「多くの人には」であって、「全員」ではない。
つまり、「そういうライン」を持たぬ、例えば「間違ったことなんか知るか!自分が得すりゃまずはなんでもいいんだ!」というものの考え方(その強さに程度の差こそあれど)の人は、少数ではあっても存在はしていて、で、そういう人は、他者から間違いを指摘されたくらいでは、多分、変わらない。
(それで変わってたら、とっくにそういう人にはなっていなかったと思う。笑)
もしかすると、その人にとっての「正しい」は、「弱肉強食――暴力を使ってでも他者から奪うことは正しい」かもしれないし(戦争をしようとする人は概してこういう考え方なんじゃない?)、「全部の嘘を自分に都合よく方便――嘘もシラッとつき通せば全部本当であるかのようにすることができる」かもしれないし(そういう面の皮の厚い政治家、昨今特に多くなりましたね。笑)。


そんなこんなで。
どんなに間違ったことであろうとも、「何故かその間違いのほうが結果的に罷り通る世界」は、確実に存在しており。

そういう世界に迷い込んでしまった場合は、「正しさ」を声高に叫んだところで、多分、それは、「貴重なご意見」とかに変えられてしまうだろう。(「正しさ」は本来「意見」の前に「正しさ」でありましょう。)


「天国」も「地獄」も、人の頭や心の中にあるものなのだから、その実態は、「あっちの世ではなく、この世の中に存在しているもの」。
――というのが、常々私が述べている「自論」であるが。(いろんな考え方があっていいと思われます。)

つまり、この世は、「天国」「地獄」が交互に隣り合っているような「混沌」の中にあるのだ。

そして、我々はそんな「この世」にしか、生きていく場所はない。(これを「現世で」読んでくださっている方はきっと全員そうでしょう!笑)

――「この世界」の「替え」はない。
間違いも、理不尽も、非情も冷酷も人非人も、隣り合わせで存在しているようなこの世界に、生きていくしかないのである。

その大前提を踏まえて。
それでも「自分の認識する世界」を、守っていくにはどうしたらいいだろう?
――私は前回より「自分の世界は、いかなる場合でも最終的には、自分で責任をもって守れ」を主張しているので、生きていく上で何よりそれを最優先していい気がしているし、自分がそれをしなくて誰がしてくれる?というふうにも、最近頓に思っている。

と、こういう次第なのである。


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