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小説

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短編/中編小説をまとめました。。長くないのでサッと読めます。
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#感情

辺りを見渡す雪蛍 1

辺りを見渡す雪蛍 1

 灰色に濁った曇天の空を、いまさら感傷的な面持ちで見上げるほど、僕は人間臭くはない。視界の端には忌々しき木造校舎、昨日積もった雪だろうか ──いや、昨日は久しくみた晴天であり、用務員の天狗爺がわざわざグラウンドに出て、日々の雪かきから賜る霜焼けた両手を、太陽に見せびらかせていたのだった……。
 とにかく、いつ頃降り出し、またいつ頃降り止んだかさえ分からぬ平らな雪の塊が、軋んだ木造校舎の屋根、そのな

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余韻

余韻

「なんだか、急に寒くなってしまったみたい」窓を閉めながら言う彼女は、鼻声になりながらもその冷静さを欠くことはなかった。或いは、彼女に対してその様な印象を持ち続けてきた、僕の偏見であったのかもしれない。
窓が閉まる直前に、隙間風が駆け込んできた。高い音を鳴らして吹き込むそれは、本棚に放置されたチラシ数枚を宙に浮かべた後、満足した面持ちで空気に溶け込んでいく。ごく自然に。静かに座る我々を残したまま──

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大背徳時代

大背徳時代

 兄の義之とは、長らく疎遠であった。彼が兼ねてより心の拠り所としていた相馬先生の娘、雪子との交際を終えた後、私がその可憐な少女をもてあそぶが如くの扱いをしたことも、原因の一つだと思う。
 決して名前負けをしていないあの色白の肌、声を噛み殺していながら、時折耳に触れる生暖かい吐息、振動に合わせて感じる背中に立てられた爪の痛み......男の独占欲とはいつの世も争いの源となり得るが、それを以てでしか彼

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夏の子ら

夏の子ら

「教鞭を取って三十幾年、私が想像もしない様な時代になったと、日々感じ入る次第ではありますが、まさかこんな事態となるとは......」

 八月も下旬に差し掛かろうとしていた。夏は年々その色を濃くするように、気温と時季を増長させ、各々のシャツを侵した染みが、暑さと連動して幅を広げて行った。
 喫茶店の冷房はぜいぜいと息切れた音を出すのみで、正面に座ったK先生を除けば、手を扇ぎ生温い風に頼る客がその大

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乾いた音色は注ぐに継ぐ

乾いた音色は注ぐに継ぐ

 ここまで揃いの良い親戚を持つというのは、十代の思春期を迎えた当時の私にとって、不幸以外の何物でもない様に思えた。

 GWや夏休み、本来であれば友人や彼女との淡い思い出を作るべく、右に左にと奔走していただろう、かけがえのない時間。携帯のメール受信音を認めれば、嫌でも浮き足立つ我が心。だが喜びを噛み締める暇もなく、私を失望の淵に突き落とすのは、決まって母の一言だった。

「GW(お盆)の三日間、岡

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14歳

14歳

過去の焦り、葛藤。誰かを想えば、伸ばした手よりすり抜けた感触。嫉妬、卑屈。そして、振り返って見えるそんな光景は、お前の心に深い爪痕を残して去った。

 若者よ、若者よ。何を考え、何に嫌気が差すのだ。何を拾い上げ、何を捨てるというのだ。お前が大事そうに抱いた優美な魂、その胸の内に秘めたる我儘な自尊心、一点の曇りなき眼差しは、未来の自分をこんなところにまで連れて来てしまったのだぞ。
 そうだ、若

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美しき夏、未だ変わらぬ父の姿

美しき夏、未だ変わらぬ父の姿

 例年に比べて半月遅れの夏が、ようやく顔を覗かしたともなれば、居ても立ってもいられぬのが、畳に寝転がる息子、庭先の土に潜む蝉の幼虫たちである。
干上がってしまいそうな小池の隅、マンホールほどの水溜まりに、哀れ裏向きになって果てた蛙の姿を認めると、この猛暑のなか何かを考える事すら馬鹿馬鹿しく思えて、それでいて蛙君の身体は近所の野良猫に持って行かれてしまったのだから、こちらもお手上げであった。

 関

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坂道はなお

坂道はなお

 シャキっとしてよ。情けないなぁ、もう。
当時、まだ十歳にも届かない僕の背中を、世話を焼くようにして何度も叩いていた彼女。今でもなお、僕はどこか頼りなく見えるらしい。

 年齢など大して役に立たない子供特有の世界において、僕が君の二つ下だったという事実に気がついたのは、見慣れたシャツとスカートを捨てて、中学校の制服に身を纏い歩く、そんな君の姿を見かけてからだった。
小学校の前、うねった坂道で友人と

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ユリの束をそっと握れば

ユリの束をそっと握れば

 右手に持った数本のユリを見せると、先程までそっぽを向く様にしていじけていた妹も、かつての幼い笑みを以て、私にその心中を覗かせるのであった。
静寂が覆った殺風景な広場。もう少しすれば人の出入りも増えるであろうこの場所において、彼女と束の間の会話を楽しむ私は、そんな幻影に身を委ねている時でさえ、僅かな悲哀を携えて駆け寄ってくる未だ幼い妹に、胸の内を抉られていた。痛め付けられていた。

「ゆっくり、握

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