樋口裕介 YuusukeHiguti

1992年東京都出身。京都の畳店で修行。京都畳競技会2011年度・2012年度・201…

樋口裕介 YuusukeHiguti

1992年東京都出身。京都の畳店で修行。京都畳競技会2011年度・2012年度・2013年度・2014年度京都府知事賞最優秀賞。江戸川高校前「樋口畳商店」代表 ブログ→https://phkkoomde.com/

記事一覧

最後の投稿

太平洋戦争終結後、知識人の思想や哲学はひっくり返った。国粋主義者たちは民主主義者に変わり、戦争賛美していた者たちは反戦平和を唱えるようになった。 その光景を目撃…

【くま紋合わせ】コの字綴じ

初めてのYouTubeショートを投稿してみました。

職人の美徳

ものづくり産業も多くの場面で機械化が進んだ。独創性より生産性、技術よりも単価、人件費より機械の設備費。 「自分は本当の職人ではない」と嘆き、ひ弱になる職人も増え…

文化が人間性をつくる

千利休が侘び茶を大成させる前、茶の湯は下品なものだった。人をもてなすことは一切せず、お茶を飲んで勝敗を競い合い金品を賭ける。くだらないゲームこそが茶道の起源であ…

時間

歴史とは、過ぎ去った時間。物語のこと。 物語は人々が織りなす事件を教訓とし、現代に生きる我々を考えさせる。ときに姿を変え寓話や絵画になり、ときに姿を失い音楽にな…

畳コースターの作り方

練馬工業高校の講演会では時間が足りず、中途半端なところで終わってしまった畳コースター作り。続きを見たい!という声があったので、動画撮影してYouTubeに投稿しました…

畳の隙間を埋める

▼詳しくはこちら:https://phkkoomde.com/profile/gap-trashed/

畳床修理

▼畳床修理サービスについて:https://phkkoomde.com/profile/toko-repair/

過去のブログ

三年前に書いた畳のブログ記事。今見直すと、本当に恥ずかしくなるほど浅いことを書いている。 畳の歴史にしても、畳の技術にしても、い草の効能にしても、上っ面を学んだ…

【個人的に】京都を感じた通り

1.石堀小路 2.白川筋 3.先斗町通 4.花見小路通 5.ねねの道 6.上七軒通 7.渡月橋の通り(通りの名はわからない) 8.木屋町通(夜)

女房と畳は新しい方が良い

畳替えをして綺麗になった畳。今まで使っていた畳表を見てお客様は言う。 「汚い。触りたくない」 ほんの数分前まで、お客様が使っていた畳だ。さっきまで普通に素足で歩…

好きを超越した音楽、私にとって必要不可欠な一曲

中学生になった四月、私は急に眠れなくなった。足元が熱く感じる。目を瞑っても意識が途絶えない。気がつくと天井を眺めていた。 そんな日が何週間か続き、中学校は休みが…

信じているもの

職人は何を信じているのか。私は経験だと思う。 経験とは、日々の積み重ね、弛まない努力の先にある希望であり、足元を照らしてくれる光である。 自分で手を動かし、物を…

物とは?

奈良県正倉院で展示されている約1200年前の畳。それは畳の歴史を知る上で、貴重な事物である。 しかし、この畳は現在使われていない。歴史的価値のある物として、展示…

世界の崩壊を望んでいる

「人間は誰しも、心のどこかで世界の崩壊を望んでいる」みたいな文言を何かの本で読んだことがある。 世界の崩壊。それは大震災による破壊か、核戦争による荒廃か、大洪水…

初めての大学

19歳の頃、友達がよく話していた。「大学生が一番楽しい」と。 私は高校卒業後、京都の畳屋に修行に行った。友達も知り合いもいない環境で初めは一人ボッチだったけど、…

最後の投稿

最後の投稿

太平洋戦争終結後、知識人の思想や哲学はひっくり返った。国粋主義者たちは民主主義者に変わり、戦争賛美していた者たちは反戦平和を唱えるようになった。

その光景を目撃した多くの日本人は、自分の信じるものなど簡単に壊れてしまうことを知った。

私は生まれてから現在に至るまで、二度大きな衝撃を受けた体験をした。ひとつは東日本大震災。街が津波で流され、たくさんの人が亡くなったあの震災。原発事故はモニター越し

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職人の美徳

職人の美徳

ものづくり産業も多くの場面で機械化が進んだ。独創性より生産性、技術よりも単価、人件費より機械の設備費。

「自分は本当の職人ではない」と嘆き、ひ弱になる職人も増えた。終いには「職人は謙虚さが大事だ」なんて言い出す。

謙虚さは人間においての美徳であるが、職人においての美徳じゃない。職人においての美徳は高慢さだ。

自分の技術こそ日本一であり、これから先も自分が一番であり続ける。そうインプットさせる

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文化が人間性をつくる

文化が人間性をつくる

千利休が侘び茶を大成させる前、茶の湯は下品なものだった。人をもてなすことは一切せず、お茶を飲んで勝敗を競い合い金品を賭ける。くだらないゲームこそが茶道の起源である。

銀閣寺の書院造りが出来上がり、畳が敷かれ和室が完成すると、人々は和室の中で空間と精神が一体化するのを感じた。自然がそれに呼応する。虫の声や風の音、鳥の鳴き声に耳を澄ますように、私たちは静寂さを求めはじめた。

いつしか勝った負けたの

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時間

時間

歴史とは、過ぎ去った時間。物語のこと。

物語は人々が織りなす事件を教訓とし、現代に生きる我々を考えさせる。ときに姿を変え寓話や絵画になり、ときに姿を失い音楽になる。

過ぎ去ったはずの時間が、再び現代に蘇り私たちの時間を生きていく。

時間とは何だろうか。

かつて時間は円環と考えられていた。朝が来て、夜が来て、また朝が来る。春になって、夏になって、秋になって、冬になる。そしてまた春がやってくる

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畳コースターの作り方

練馬工業高校の講演会では時間が足りず、中途半端なところで終わってしまった畳コースター作り。続きを見たい!という声があったので、動画撮影してYouTubeに投稿しました。

過去のブログ

過去のブログ

三年前に書いた畳のブログ記事。今見直すと、本当に恥ずかしくなるほど浅いことを書いている。

畳の歴史にしても、畳の技術にしても、い草の効能にしても、上っ面を学んだだけの知識。そして拙い文章。誤字脱字も多い。この程度でよく世間に発信していたなと違う意味で泣けてくる。

ただ、ポジティブに考えると、それは悪いことではない。三年前の知識が浅いと感じるということは、知識量が増えている証拠だし、文章が拙いと

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【個人的に】京都を感じた通り

【個人的に】京都を感じた通り

1.石堀小路
2.白川筋
3.先斗町通
4.花見小路通
5.ねねの道
6.上七軒通
7.渡月橋の通り(通りの名はわからない)
8.木屋町通(夜)

女房と畳は新しい方が良い

女房と畳は新しい方が良い

畳替えをして綺麗になった畳。今まで使っていた畳表を見てお客様は言う。

「汚い。触りたくない」

ほんの数分前まで、お客様が使っていた畳だ。さっきまで普通に素足で歩いていたし、きっと仰向けになって寛いだこともあるだろう。

綺麗な畳に畳替えした途端、触りたくないほど軽蔑するのは、一体なぜなのだろうか。

話は変わるが先日、スマホを新しくした。買ったばかりの新品のスマホを箱から取り出すと、当たり前だ

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好きを超越した音楽、私にとって必要不可欠な一曲

好きを超越した音楽、私にとって必要不可欠な一曲

中学生になった四月、私は急に眠れなくなった。足元が熱く感じる。目を瞑っても意識が途絶えない。気がつくと天井を眺めていた。

そんな日が何週間か続き、中学校は休みがちになった。学校に行っても先生の話が子守唄のように聞こえて、授業中は夢の中に入り浸る。

そうした行いを担任の先生はよく思わない。

先生から直接注意された事がきっかけとなり、私は夜眠れないことを親に相談した。親は病院の先生に診てもらおう

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信じているもの

信じているもの

職人は何を信じているのか。私は経験だと思う。

経験とは、日々の積み重ね、弛まない努力の先にある希望であり、足元を照らしてくれる光である。

自分で手を動かし、物を触り、何度も失敗を重ねないと本当の技能も、技術も、知識も得られないと私は思う。本や動画で学ぶのも結構なことだが、それらは入り口のきっかけに過ぎず、それだけでは不十分である。

とはいえ、経験だって危ういことはある。経験が豊富ゆえに判断を

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物とは?

物とは?

奈良県正倉院で展示されている約1200年前の畳。それは畳の歴史を知る上で、貴重な事物である。

しかし、この畳は現在使われていない。歴史的価値のある物として、展示されたり、歴史的な資料として研究対象(文化財保存会)になっているだけで、畳としての価値は皆無である。

物は生れながらにして必ず意味をもっている。椅子は人が座るために作られたものだし、机は人が字や絵を描くために作られたもの。もちろん畳も人

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世界の崩壊を望んでいる

世界の崩壊を望んでいる

「人間は誰しも、心のどこかで世界の崩壊を望んでいる」みたいな文言を何かの本で読んだことがある。

世界の崩壊。それは大震災による破壊か、核戦争による荒廃か、大洪水による水没か、もしくはコロナウイルスのような凶悪な細菌による人類滅亡か。

少し考えただけでも恐ろしい。

とはいえ、本当に世界の崩壊を望んでいる人はいるのかもしれない。

退屈な日々、同じことが繰り返される毎日、道徳や倫理観が押し付けら

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初めての大学

初めての大学

19歳の頃、友達がよく話していた。「大学生が一番楽しい」と。

私は高校卒業後、京都の畳屋に修行に行った。友達も知り合いもいない環境で初めは一人ボッチだったけど、夜学(畳の学校)にも通ったことで、同期が出来たし、先輩方とも仲良くなれた。

それからは仕事が終わればパチンコに誘われ、休日の前日には畳職人が一同に集まって大宴会をした。木屋町と祇園の大人の楽園を遊び歩いた。本当に、楽しい日々だった。

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