樋口裕介 YuusukeHiguti

1992年東京都出身。京都の畳店で修行。京都畳競技会2011年度・2012年度・201…

樋口裕介 YuusukeHiguti

1992年東京都出身。京都の畳店で修行。京都畳競技会2011年度・2012年度・2013年度・2014年度京都府知事賞最優秀賞。江戸川高校前「樋口畳商店」代表 ブログ→https://phkkoomde.com/

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最後の投稿

太平洋戦争終結後、知識人の思想や哲学はひっくり返った。国粋主義者たちは民主主義者に変わり、戦争賛美していた者たちは反戦平和を唱えるようになった。 その光景を目撃した多くの日本人は、自分の信じるものなど簡単に壊れてしまうことを知った。 私は生まれてから現在に至るまで、二度大きな衝撃を受けた体験をした。ひとつは東日本大震災。街が津波で流され、たくさんの人が亡くなったあの震災。原発事故はモニター越しでも衝撃的だった。 もうひとつはコロナ禍。何気ない日常が一変した。人が集まる場

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      【くま紋合わせ】コの字綴じ

      初めてのYouTubeショートを投稿してみました。

      • 職人の美徳

        ものづくり産業も多くの場面で機械化が進んだ。独創性より生産性、技術よりも単価、人件費より機械の設備費。 「自分は本当の職人ではない」と嘆き、ひ弱になる職人も増えた。終いには「職人は謙虚さが大事だ」なんて言い出す。 謙虚さは人間においての美徳であるが、職人においての美徳じゃない。職人においての美徳は高慢さだ。 自分の技術こそ日本一であり、これから先も自分が一番であり続ける。そうインプットさせるからこそ修練し、新しいモノづくりに挑戦できる。 職人が技術に対して自信を失った

        • 文化が人間性をつくる

          千利休が侘び茶を大成させる前、茶の湯は下品なものだった。人をもてなすことは一切せず、お茶を飲んで勝敗を競い合い金品を賭ける。くだらないゲームこそが茶道の起源である。 銀閣寺の書院造りが出来上がり、畳が敷かれ和室が完成すると、人々は和室の中で空間と精神が一体化するのを感じた。自然がそれに呼応する。虫の声や風の音、鳥の鳴き声に耳を澄ますように、私たちは静寂さを求めはじめた。 いつしか勝った負けたの笑い声より、時間を共にする相客を愛し、不器用なほどに美しい自然の営みを愛するよう

          時間

          歴史とは、過ぎ去った時間。物語のこと。 物語は人々が織りなす事件を教訓とし、現代に生きる我々を考えさせる。ときに姿を変え寓話や絵画になり、ときに姿を失い音楽になる。 過ぎ去ったはずの時間が、再び現代に蘇り私たちの時間を生きていく。 時間とは何だろうか。 かつて時間は円環と考えられていた。朝が来て、夜が来て、また朝が来る。春になって、夏になって、秋になって、冬になる。そしてまた春がやってくる。 終わることのない永遠の螺旋。昔の人は世界に絶望した。死後の世界まで輪廻する

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          畳コースターの作り方

          練馬工業高校の講演会では時間が足りず、中途半端なところで終わってしまった畳コースター作り。続きを見たい!という声があったので、動画撮影してYouTubeに投稿しました。

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          畳の隙間を埋める

          ▼詳しくはこちら:https://phkkoomde.com/profile/gap-trashed/

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          畳床修理

          ▼畳床修理サービスについて:https://phkkoomde.com/profile/toko-repair/

          過去のブログ

          三年前に書いた畳のブログ記事。今見直すと、本当に恥ずかしくなるほど浅いことを書いている。 畳の歴史にしても、畳の技術にしても、い草の効能にしても、上っ面を学んだだけの知識。そして拙い文章。誤字脱字も多い。この程度でよく世間に発信していたなと違う意味で泣けてくる。 ただ、ポジティブに考えると、それは悪いことではない。三年前の知識が浅いと感じるということは、知識量が増えている証拠だし、文章が拙いと感じるということは、文章力が上がった証拠である。 一番良くないのは、何年か前の

          【個人的に】京都を感じた通り

          1.石堀小路 2.白川筋 3.先斗町通 4.花見小路通 5.ねねの道 6.上七軒通 7.渡月橋の通り(通りの名はわからない) 8.木屋町通(夜)

          【個人的に】京都を感じた通り

          女房と畳は新しい方が良い

          畳替えをして綺麗になった畳。今まで使っていた畳表を見てお客様は言う。 「汚い。触りたくない」 ほんの数分前まで、お客様が使っていた畳だ。さっきまで普通に素足で歩いていたし、きっと仰向けになって寛いだこともあるだろう。 綺麗な畳に畳替えした途端、触りたくないほど軽蔑するのは、一体なぜなのだろうか。 話は変わるが先日、スマホを新しくした。買ったばかりの新品のスマホを箱から取り出すと、当たり前だが指紋はおろか微小の埃さえも付着していない綺麗な状態だった。 すると不思議なこ

          女房と畳は新しい方が良い

          好きを超越した音楽、私にとって必要不可欠な一曲

          中学生になった四月、私は急に眠れなくなった。足元が熱く感じる。目を瞑っても意識が途絶えない。気がつくと天井を眺めていた。 そんな日が何週間か続き、中学校は休みがちになった。学校に行っても先生の話が子守唄のように聞こえて、授業中は夢の中に入り浸る。 そうした行いを担任の先生はよく思わない。 先生から直接注意された事がきっかけとなり、私は夜眠れないことを親に相談した。親は病院の先生に診てもらおうと言い、新小岩の診療所に私を連れて行った。 病院の先生は私の話を聞いて、私に言

          好きを超越した音楽、私にとって必要不可欠な一曲

          信じているもの

          職人は何を信じているのか。私は経験だと思う。 経験とは、日々の積み重ね、弛まない努力の先にある希望であり、足元を照らしてくれる光である。 自分で手を動かし、物を触り、何度も失敗を重ねないと本当の技能も、技術も、知識も得られないと私は思う。本や動画で学ぶのも結構なことだが、それらは入り口のきっかけに過ぎず、それだけでは不十分である。 とはいえ、経験だって危ういことはある。経験が豊富ゆえに判断を誤ること、間違えることは多々ある。だから過信してはいけない。経験豊富で優れた職人

          信じているもの

          物とは?

          奈良県正倉院で展示されている約1200年前の畳。それは畳の歴史を知る上で、貴重な事物である。 しかし、この畳は現在使われていない。歴史的価値のある物として、展示されたり、歴史的な資料として研究対象(文化財保存会)になっているだけで、畳としての価値は皆無である。 物は生れながらにして必ず意味をもっている。椅子は人が座るために作られたものだし、机は人が字や絵を描くために作られたもの。もちろん畳も人が寝たり、座ったり、寛いだり、和むために作られたものである。物は使われてはじめて

          世界の崩壊を望んでいる

          「人間は誰しも、心のどこかで世界の崩壊を望んでいる」みたいな文言を何かの本で読んだことがある。 世界の崩壊。それは大震災による破壊か、核戦争による荒廃か、大洪水による水没か、もしくはコロナウイルスのような凶悪な細菌による人類滅亡か。 少し考えただけでも恐ろしい。 とはいえ、本当に世界の崩壊を望んでいる人はいるのかもしれない。 退屈な日々、同じことが繰り返される毎日、道徳や倫理観が押し付けられ、他人から生き方を問われる。もしかしたら、そうした日常に辟易としている人、苦し

          世界の崩壊を望んでいる

          初めての大学

          19歳の頃、友達がよく話していた。「大学生が一番楽しい」と。 私は高校卒業後、京都の畳屋に修行に行った。友達も知り合いもいない環境で初めは一人ボッチだったけど、夜学(畳の学校)にも通ったことで、同期が出来たし、先輩方とも仲良くなれた。 それからは仕事が終わればパチンコに誘われ、休日の前日には畳職人が一同に集まって大宴会をした。木屋町と祇園の大人の楽園を遊び歩いた。本当に、楽しい日々だった。 とはいえ、地元に帰ると友達は言う。「大学は本当に楽しいよ。お前、もったいないな。