物とは?
奈良県正倉院で展示されている約1200年前の畳。それは畳の歴史を知る上で、貴重な事物である。
しかし、この畳は現在使われていない。歴史的価値のある物として、展示されたり、歴史的な資料として研究対象(文化財保存会)になっているだけで、畳としての価値は皆無である。
物は生れながらにして必ず意味をもっている。椅子は人が座るために作られたものだし、机は人が字や絵を描くために作られたもの。もちろん畳も人が寝たり、座ったり、寛いだり、和むために作られたものである。物は使われてはじめて価値が生まれる。
では、使われない物には価値がないのか。
無論そんなことはない。奈良県正倉院にある畳のように、使われなくても価値が生まれる物がある。他にも作り手の望んだ使い方とは違った使い方で、価値が生まれることもある(一例を紹介すると、応仁の乱などでは、館内で斬り合いになった際、刀が刃こぼれして太刀筋が悪くなることを予見して、替えの刀を何本か畳に刺して斬り合いをしていたらしい。畳職人としては望んだ使い方ではないが、畳としては別の価値が生まれたことになる。とはいえ、本当かどうか定かではないが)。
であれば、私たちは物を理解しているのだろうか。理解することはできるのだろうか。
職人になってずっと考えることがある。私は何を作っているのかと。価値のある物とは何なのかと。
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