僕は中学生の頃から明確に自分の人生を『作品』として認識したように思う。 だから僕は13.14歳くらいから常に自分を客体として捉え、こうあるべきという美的観念の上に自分を演じ、創り、過ごしてきたのだろう。 主観の情熱を芸術に注ぎ、自らの人生を客体として創る これからもそうだ
文学者にとってなにより大事な資質というのは、どれだけ好き勝手に生きていても何故か周りに人がいて、不思議と好かれる星にあるということだと思う。
【歴史と芸術】 古人の残して行った幾多の芸術は、新しいという、または、古いという、時間的生命に支配されることはない。 そこには時間と共に亡び去ることのない、永遠の生命が躍動している。 〔九條武子 著『無憂華』1927(昭和2)年 より〕
数字がすべてと人は言う。 文章作品などの芸術分野には当てはまらないと思う。 芸術作品を数字で評価するとする。 それは一面的な不完全なものしかならない。 作品のすべての価値を数値に表すことは、これからも不可能に違いない。 芸術は人の心に働きかけるものだ。 数字では表せない。