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創造性は不幸をきっかけに。そして必ずその先を

 とかく人は不幸やマイナスに目を向けがちだから、それらは芸術の契機になる。良くないこと、そして悪くなっていくことは創造的なのだ。なぜならば人はその状態をどうにかして良くしようと創意工夫したくなるからである。
 即ち、創造性を刺激するということだ。
 不幸やマイナスな出来事と出会った時に、脳は創造的になる。なぜなら、そこから未来を切り開くために何かを作り出したり、改善したり、誰かと協力したりするからだ。その行為は明らかにクリエイティビティに溢れている。だから人は苦難や困難を創作と繋げる。不幸や死を創造性のきっかけにする。

 もちろん、それはその先に幸福があるからこそ、そうするのである。どれだけ頑張っても報われないのであれば、芸術など見出す余裕はない。正直なところ、どれだけ不幸を愛でようが死を愛そうが、それそのものが芸術だなどと言えるはずはない。本当に求めているのは幸福であり生である。
 その裏返しとしての事象を天邪鬼のように好んでも、人という生き物は絶対に拒否せねばならないものそのものを本気で愛することはありえない。それは本能が否定するから。

 重要なのは、人が不幸やマイナスに目を向けてしまうのはそれがいやなものだからこそである。そして、その改善を目指そうとする意思の中に創造性を見出している。そのためクリエイティブはよく、破壊と創造と言われることになる。あるいは不幸の先に幸福があり、カタルシスが生まれると言われることになる。
 それは、マイナスありきではない。プラスを信じるからこそ、マイナスに着目してしまうのということだ。どこまでいっても創造性とは、そのために破壊を踏み台にすることである。もし、悪しきことにとらわれるあまりにその未来を見失ってしまっているのなら、そこに創造はない。
 そして創造性のかけらもなくしてしまうこととは、不幸や死やマイナスの出来事ばかりに固執して、その先を何も描けないことにある。
 不幸を芸術の契機にするのは良い。でもそれに飲み込まれてはいけない。

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