ササマユウコ(音楽・サウンドスケープ・社会福祉)

3.11を機に「オンガクする私」を編み直す「ことば探し」をしてきました。芸術教育デザイ…

ササマユウコ(音楽・サウンドスケープ・社会福祉)

3.11を機に「オンガクする私」を編み直す「ことば探し」をしてきました。芸術教育デザイン室CONNECT代表。アートミーツケア学会(理事)。日本音楽即興学会奨励賞(2023年度)。 https://yukosasama-web.jimdosite.com

最近の記事

美術手帖10月号『AIと創造性』を読んで

 現在発売中の美術手帖9月『AIと創造性』には、今年コネクト通信でもご紹介した、たんぽぽの家プロジェクト・Art for Well-being『表現とケアとテクノロジーのこれから』にも関わる徳井直生さんが監修を務めています。この号は美術だけではなく音楽領域にも必読と感じてご紹介しました。  まるでSF小説のような内容ですが、ここに書かれている内容は思考実験ではなく、既に始まっているリアルな問題です。特に作曲行為や著作権問題は、アカデミック/商業に関わらず現場にダイレクトに関係

    • 空耳図書館のおんがくしつ〈キノコの時間〉

       20世紀の偉大な音楽家ジョン・ケージは〈キノコマニア〉としても知られています。彼は著書『サイレンス』のなかで以下のように述べています。 『音楽愛好家たちの野外採集の友』 キノコに熱中することによって、音楽について多くを学ぶことができる。 私はそういう結論に達した。  『サイレンス』ジョン・ケージ著 柿沼敏江訳 水声社 1996より  私が主宰している本×オンガクの空耳図書館で、コロナ直前に〈キノコの時間〉と名付けた〈音楽×哲学散歩〉を開催しました。空耳メンバーと共にこっ

      • 〈耳の哲学〉『存在と睡眠』

         ある高齢者施設のドキュメンタリーで、ソファに眠ったまま静かに亡くなっていく男性の最期を見た。それは〈老衰〉であり、ひとつの〈オンガク〉の終わりである。カメラはまるで自然の風景を眺めるように、その〈死の瞬間〉を定点で静かに捉えていた。周囲のスタッフさんにとっては日常の風景なのだろう、彼らはまったく慌てていない。同じ部屋で思い思いに過ごす高齢者たちには事態が正しく認知できない人もいるのだろう。やはり特別に驚いた様子もなく、みんなで静かにお別れを告げている。高齢者たちが暮らすその

        • モノフォニー・コンソート第8回公演〈ひびきのノスタルジアへ〉

           8月25日に両国門天ホールで開催された〈モノフォニー・コンソート〉第8回公演に伺いました。この演奏会は作曲家・藤枝守さんが1997年に立ち上げて現在も音楽監督を務めています。結成から10年目にあたった2007年には活動が一旦休止されましたが、〈音律〉がもつ可能性を次世代の演奏家たちに伝える目的で今回再スタートとなりました。演奏会の詳細はこちらの専用ページ、そして〈音律〉についてはぜひ藤枝さん著書『響きの考古学』をお読みください。私が始めてこの本を読んだのは30年近く前になり

          クリエイティブ・ミュージック・フェスティバル2024のご案内

           若尾裕先生は臨床音楽学や〈サスティナブル・ミュージック〉をはじめ、日本の音楽領域に常に新しい視座を投げかけ、数多くの興味深い著書を執筆されている音楽家です。何よりもサウンドスケープを日本に紹介したR.M.シェーファーの著書『世界の調律』の翻訳者のひとりで、現在も日本音楽即興学会をはじめ、私も折に触れて大変お世話になっています。2016年には下北沢B&Bにて、体奏家の新井英夫さんと3人で若尾先生の著書を読む座談会『生きることは即興である それはまるでヘタクソな音楽のように』も

          クリエイティブ・ミュージック・フェスティバル2024のご案内

          〈おすすめ展覧会〉『大地に耳をすます 気配と手ざわり』@東京都美術館  

           不忍池の蓮が薫り始める頃、東京はお盆の季節を迎えます。上野の杜周辺は寺院も多く、古くから住む人たちはご先祖様の記憶と対話するようにお線香を焚き、静かに祈りを捧げます。7月の東京は過去と未来が交差する特別な季節。昨年のこの時期には、旧友の美術家でN.Y.在住の荒木珠奈さんが自身の東京ルーツを紐解きながら音風景と共に〈上野の底〉のインスタレーションを展示しました。今年は同じ場所で画家・絵本作家のミロコマチコさんが奄美大島のコスモロジーを展示しています。彼女とは年に一度、横浜の地

          〈おすすめ展覧会〉『大地に耳をすます 気配と手ざわり』@東京都美術館  

          〈耳をすます〉とは何か?〜音楽・サウンドスケープ・社会福祉

           7日(日曜日)まで東京都現代美術館で開催中の『翻訳できないわたしの言葉』に出展している新井英夫さんブースのテーマは『カラダの声に耳を澄ます』です。さらに20日から東京都美術館で始まるミロコマチコさんを含む5人の作家の展覧会タイトルは『大地に耳をすます』。カプカプ・ファミリー、耳をすます。  私は2011年の東日本大震災を機に弘前大の今田匡彦研究室にて、音楽ワークショップや市民講座を企画する社会人としてサウンドスケープ哲学の実践研究を始めました。同世代の今田先生の研究は以前か

          〈耳をすます〉とは何か?〜音楽・サウンドスケープ・社会福祉

          映画コラム『関心領域』~内と外のサウンドスケープ

           第96回アカデミー賞音響賞を受賞し、現在公開中の映画『関心領域』を鑑賞しました。このnoteでは〈音〉に特化してお話しますので、映画の内容や詳細については是非こちらのオフィシャルサイトをご覧ください。  その前に〈私と映画〉の出会いを少しだけ説明します。私は今から40年近く前の大学卒業後に欧米アート系映画の配給会社に就職しました。男女雇用機会均等法一期の総合職として、主にバイヤーと言われる仕入れ業務、ファンクラブ会報誌の編集やライティング、翻訳者との字幕制作、そして第1回東

          映画コラム『関心領域』~内と外のサウンドスケープ

          私を編み直すサウンドスケープとは何か⑤変わらない世界

          東日本大震災以前に住んでいた神楽坂界隈の記録写真を動画にして、偶然にも震災直前に3本だけアップロードしていた。久しぶりに視聴すると、中には懐かしい「新宿の目」も写っている。子育て中に通った新宿御苑や代々木公園の長閑な風景は、原発事故後に「失われてしまった時間」の記録だとも思うが、自分が知覚した世界のサウンドスケープはその後の気付けば13年の実践研究を経ても結局何も変わっていないと驚いた。編み直したのは「言葉」だけで、世界はずっと変わらない。  2000年代はまだスマホが無か

          私を編み直すサウンドスケープとは何か⑤変わらない世界

          薔薇と豆苗とドクダミ 

           長時間のピアノ練習があったので、子どもの頃からずっと《芸術と生活》をどう繋げるか?という課題と向き合ってきた。60年近く生きてきたひとつの答えとして、結局は「薔薇と豆苗」や「薔薇とドクダミ」みたいだなと、早朝に庭仕事をしながらひとり腑に落ちている。  薔薇を《アート》、食用の豆苗や薬用のドクダミを《ケア》と捉えると、自分の場合は圧倒的に《アートの中にケアがある》タイプだと気づく。育児や介護といった人生の《ケア》も自分の芸術活動として位置付けてきたようなところがある。これは

          みどりのゆび日記~薔薇の行方②

           品種改良された新しい薔薇は昭和生まれに比べると病気や害虫に強く、驚くほどさっさと目をつけて花を咲かせ、わりと早めに散っていく(そしてまた次の花芽の準備に入る)。手入れの仕方も、品種によっては「八分程度に咲きはじめた時点で切る」場合もあって、薔薇の時間も現代人の生活サイクルに合わせて忙しなくなっているのかもしれないと思う。  車のように新作や廃番があって、有名なブランドや作家もいる。農薬や肥料がスポンサーのようにセットで紹介される。やはり薔薇とはナチュラルではなく、人の手が生

          私を編み直す『サウンドスケープ』とは何か④~《音のない世界》をきく

          オンガクと美術のあいだ 今回は写真を使ったワークショップ形式で、《サウンドスケープ》の核にある《きく》とは何かを考えてみましょう。ちなみに提唱者であるカナダの作曲家R.M.シェーファーの著書『世界の調律』から彼の思想を探っていくと、最終章に《Silence 邦訳:沈黙》が登場します。世界の音に耳をひらいていくと《音のない世界をきく》にたどり着くのです。これはとても興味深いことです。  そもそもシェーファーは音のない音楽『4分33秒』や著書『Silence』でも有名なアメリカ

          私を編み直す『サウンドスケープ』とは何か④~《音のない世界》をきく

          私を編み直す『サウンドスケープ』とは何か③~音楽の内と外

          ・第1回 自己紹介 第2回 R.M.シェーファーの目と耳 ピアノの内と外  今から半世紀前の昭和時代のお話です。10歳になった頃にピアノの教室を移り、毎日3時間の練習が必須となりました。それまでに習っていた先生の勧めもありましたが、音大ピアノ科の受験が視野に入ったからです。もともとピアノを弾くのは好きだったので特に苦ではありませんでしたが、それまで郊外の空き地を走り回っていた《外あそび》の放課後が強制終了されたことは、やはりその後の人生観にも大きく影響したと思います。高

          私を編み直す『サウンドスケープ』とは何か③~音楽の内と外

          みどりのゆび日記④薔薇の行方

           コロナ禍のステイホーム中に、高齢の父が手に負えなくなったバラたちを半ば強制的に受け継いで早3年目の春となった。毎年見事にアーチを咲かせていた父はバラ名人だと思っていたが、そもそもバラ自身に驚くような生命力があることもわかってきた。写真の赤いバラは樹齢40年近いはずだが今年も大きな蕾を沢山つけて真っ先に咲き始めた。そもそもこのバラと出会った父が単に幸運だったのだろうとも考えていたが、父もバラも若い頃から丁寧に肥料をあげ、根っこそのものを丈夫にしてあると聞いて納得した。  しか

          私を編み直す『サウンドスケープ』とは何か②シェーファーの目と耳

          前回の記事 ①自己紹介 《サウンドスケープ》を翻訳する  今では音楽領域のみならず日常でも使われていますが、あらためて《サウンドスケープ》という言葉は何を表しているでしょう。学術的な訳語には《音風景》や《音環境》が使われますが、一般的には詩的な《音の風景》が人気ですし、もちろんこれも間違いではありません。  ただ今回は、《サウンドスケープ》という考え方には《サウンド・オブ・スケープ/風景の音》だけでなく、もっと大きな視点があることをお伝えしたいと思っています。なぜならこ

          私を編み直す『サウンドスケープ』とは何か②シェーファーの目と耳

          私を編み直す「サウンドスケープ」とは何か①自己紹介

           去る3月23日にアートミーツケア学会研究会『現場のことば、研究のことば』@大阪大学COデザインセンターが開催され、『現場のことば+研究のことば=アートのことば』と題して20分間の話題提供をさせて頂きました。ちなみに昨年度から2年間、この理事も務めさせて頂いています。    2011年東日本大震災を機に始まった「音楽、サウンドスケープ、社会福祉」の実践と研究は、今ふりかえると自分の「語りなおし、編みなおし」だったとあらためて感じています。原発事故後の不安と混乱の社会の中で、「

          私を編み直す「サウンドスケープ」とは何か①自己紹介