みどりのゆび日記④薔薇の行方
コロナ禍のステイホーム中に、高齢の父が手に負えなくなったバラたちを半ば強制的に受け継いで早3年目の春となった。毎年見事にアーチを咲かせていた父はバラ名人だと思っていたが、そもそもバラ自身に驚くような生命力があることもわかってきた。写真の赤いバラは樹齢40年近いはずだが今年も大きな蕾を沢山つけて真っ先に咲き始めた。そもそもこのバラと出会った父が単に幸運だったのだろうとも考えていたが、父もバラも若い頃から丁寧に肥料をあげ、根っこそのものを丈夫にしてあると聞いて納得した。
しかし2021年当時は、いよいよ父が手に負えなくなった古い枝たちは伸び放題、絶望的な数のカイガラムシに覆われていた。その惨状を見るに見かねて、バラ仕事を引き継いだのだ。2021年の春は花を諦め、早朝からの剪定や虫の駆除が続いた。ステイホーム中だったので良い気晴らしになったと思えなくもないが、夜ベッドで目を閉じると白い虫の大群が瞼の裏に蘇るくらいには気が滅入った。その頃はバラ専用の革手袋もなく、軍手やシャツを突き破る鋭い棘で傷だらけになった指や腕を見つめながら、早朝の庭で文字通りひとり涙する日もあった。一体これは何の修行なのだろうか、と。
もともと趣味の違いもあって、申し訳ないくらい父の庭には興味が持てずにいた。だから実家のバラのことは何も知らなかった。もともとラベンダーやローズマリー等のハーブは好きだったが、艶やかすぎるバラは手もかかるし、面倒な花という認識しかなかった。ブッシュ型(木立タイプ)、つるバラ、半つるバラの3種類があることも、車のように毎年品種改良された新作が発表されていることも、四季咲きがあることも、何より「廃盤」があることも世話を始めてから始めて知って驚いた。
そして父の庭のバラたちも、どうやらこの3種類に分けられることがわかってきた。
例えば、つるバラは横に伸ばすことで蕾が沢山つくし、ブッシュ型は自分の背の高さほどに縦に伸ばしていけばいい。逆にいえば、バラが希望しているのとは違う方向に枝を伸ばそうとすると、花どころか蕾もつかない。これはもはや人生論や芸術論にも置き換えられると思う。置かれた場所に咲きなさいと言われても、そのバラが本来向かうべき方向に進まないと蕾さえつけられないのだ。
今年も、それまでの縦方向から横方向に変えたことで、蕾がついたバラがある。特に砂漠に落ちた夕日のような色をした「サハラ」という名前のバラは、バラの中で唯一知っていた品種だったのだが、これが苗を手に入れて庭に植えて見たものの、2年立ってもうまく蕾がつかなかった。今年は写真のように横に伸ばしたことで沢山の蕾をつけている。本当はこの蕾も《間引く》方が見事な花になるのは解っているが、その西洋的な合理主義とはまだ折り合いがついていない。
いずれにせよ、最初は父のバラの世話が目的だったが、気づけばすっかりバラ仕事も生活の一部になってきた。音楽だけでなく薔薇とともに生活しているなんて、まるで貴族みたいだと思うが(苦笑)、貴族は自分のゆびを棘で傷だらけにしたり害虫を駆除することなど無いだろう。それは庭師の仕事だからだ。ならば自分は庭師になりたいと思う。
重曹とお酢とローズマリーチンキの自家製虫除けスプレー、冬には先手を打ったカイガラムシ防止のマシン油塗布も済ませてある。いよいよ来週からはバラの季節が始まるだろう。そして四季咲きのバラは、次期のために未練なく選定することも大事になるのだが、この西洋的な園芸ロジックがやはり自分の性格にはなかなかなじまない。もやもやしながら指を動かしている。
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