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論考【 障害者アートのマンネリ化を考える】

 今回は ちょっとシビアな話をします。

この前 たんぽぽの家の「障害とアートの相談室」へ相談に行ったとき 相談役の岡部さんにお話いただいた内容を再考しました。

 近年 「障がい者アート」と呼ばれる絵はどんどんパターン化されていて 昔のようになんだコレは?!な絵じゃなくなってきてる気がします。あぁこの形式の絵なら他にも見たことあるなぁ みたいにあんまり驚きがなくなってきた。

 なんでだろう?と自分なりに考えてみたんですが それはまぁ当然の成り行きではあって 発想が頭打ちになってるんですね。

 障害者アートというジャンルが発掘された当時は とてもセンセーショナルで、そのどれもが目を見張る「なんだコレは?!」に溢れてた。

 けれども今は情報が流布しすぎて そのどれもが「あれ?これどこかでみたことある絵だな」というパターン認識が勝手に脳内処理されてしまう。クオリティーだけなんですね これより先に良い絵になる可能性というのは。

 健常者にとってもネタ切れ頭打ちは同じ悩みのタネでしょうが、障がいをお持ちの方は、障がいの特性上 パターンに当てはまってしまうのは致し方ないことなのかもしれません。

 でもだからこそ支援者という立場のわれわれが、それを指摘し、創意工夫を施さないことには 新しい表現は生まれにくいのではないでしょうか。

 もちろんアートをセラピーとして活用するだけが目的ならば何も問題はないと思います。けれども世界に羽ばたく新しいアート表現を目指すという壮大な夢をお持ちでしたら、やはりパートナーである我々がしっかりサポートしていかなくては この先、障害者アートはどんどん飽きられてしまって ただの形骸化した面白みのない「憐れみの創作物」に成り下がってしまう可能性は十分あります。

 気づいてほしいと思います。その絵が福祉のレッテルで売られる絵なのか、それなくして高い評価が得られる絵なのか 。

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