内浦穂高
僕がこれまで生きてきた中で培った体験や知見に基づく対人関係法を記していきます。 『知に不誠実』であったり『表面的な人間の捉え方』を勧めたくないため、よくある対人啓発などとは多少異なるものになると思いますが、ご一読いただければ幸いです✨
留めておきたい感銘を受けた論説や随筆を保管させていただいております!! 皆様いつも素敵な作品をありがとうございます。
心やこころを揺さぶってくれた、素敵な言葉の宝箱。 いつも素敵な言葉を紡いでくださってありがとうございます。
酒以外でこの言葉を用いるのはおかしいかもしれないけれども『淡麗』の一言に尽きるようなラーメンだった。 「つるつる」という擬音がこの上なく似合う滑らかな麺に天然水かと錯覚する程に軽やかな口当たりのスープ。 薄く切られているにも関わらず確かな弾力があり、噛むほどに柔らかく広がるチャーシューの香ばしさ。 ラーメンを食べてこんなに感動をしたのは久しぶりだ。 「啜る」というよりも「流し込む」という表現が最もしっくりくる麺であり、モチモチとした新鮮な歯応えを持ちつつも、一度口に運
創作は神聖なものだなと思った。 絵でも、詩でも、音楽でも 誰が作ったものであっても、創作物は神聖なものであって決して踏み躙られてはいけないし、雑に扱ってはいけないなと感じた。 人が創り出したものが愛おしく感じる。 不思議な感覚だ。
!!!!! 金がなさ過ぎて本当に困る! 芸術活動だけではなかなか金は稼げない しかし思ってもいないことや自分の美学に反する金の稼ぎ方はしたくない…… と悩みに悩む生活をもう5ヶ月ほど重ねていたが、つい先ほど一発逆転の方法が電流のように身体を駆け抜けた。 『知に対しての不誠実さ』をなるべく取り除いた対人関係のメソッドを書けば、美学に反することなくお金にもつながるかもしれない!! そう思いついて早速そのプロジェクトにタイトルを仮に名付けてみた。 その名も 『対人法
焦りすぎず 急ぎすぎず 広がる香りと戯れる 深呼吸をするように味わって 名残惜しさの余韻に浸る 夕暮れの別れような静けさで
《短歌》 【一首目】 人生の短さについて考える セネカは僕になんと言うだろう 【ニ首目】 現実とお見合いしても気は合わず 夢の世界と駆け落ちをする 【三首目】 若鷲の歌をうたって夏を駆ける 汗に混ざって正気は溶けゆく 【四首目】 滅び行く全てのものに祝福を さぁ太陽に突撃しよう! 【五首目】 金をくれ 嫌なら嫌でしょうがない イエスと頷く 美を創るのみ 【六首目】 病院に向かう電車に乗ったまま 温泉街へ旅立ちたい 《詩》 【冬の向日葵】 彼女は冬に咲く向日葵だ
『誇る文豪田山花袋』 我々群馬県民にとっては上毛かるたで誰もが一度は耳にするその名前。 田山花袋は明治時代に群馬県の館林(当時の館林は栃木県に属す)に生まれた日本自然主義文学の体現者である。 自然主義文学は写実主義文学(リアリズム文学)の発展により生まれた文学であり『真実』を描くことを一つの目的としている。 19世紀の後半フランスに端を発したこの自然主義文学は、1900年代の日本においてロマン派からの脱却を目指す日本の文学者達を大いに葛藤させることとなった。 「美化
歌詞よりもまず作詞家が出てしまう さながら沙翁 名をば畑亜貴
蒲団と田山花袋についてのエッセイ書き終えた〜!! ちょうど12時だけれども、推敲もしたいから今日の18時頃に公開しよーっと!! なかなか面白く書けたと思いますので、ぜひよろしければご覧ください🙏
蝉の音と熱気の混じった夕立が 我を笑えど雨粒を抱く
雨上がり 住宅街に笑い声 我に語りかけるは虫の音
自分が作るものにお洒落感があまりない理由がわかった。 あまりにもメンタルも生命力もタフすぎるからだ。 病弱さがないんだな。 ベルセルクとか進撃の巨人に近い世界観なんだきっと。 自分はたぶん大剣じゃなくてペンを手に取って命を燃やしてるガッツみたいなもんなんだろうな。
僕はいわゆる自己啓発とかモテるための動画みたいな『成功するためのメソッド』が羅列される話が好きじゃない。 なぜなら『成功』への捉え方があまりにも資本主義的な世界観すぎるためそこに『意志の力強さ』を感じられないからだ。 ここで僕が言う『意志の力強さ』とは『欲求に対する意志の力強さで』はなく『世界に対する意志の力強さ』のことである。 金があればそれはないよりもいいだろう。 モテるということもモテないよりも気持ち良いものだろう。 それはそれでよいことであるし、僕自身もそれ
『成功すること』とか『モテること』が跋扈する現在。 胡散臭い方々とそれに乗っかってしまい泣く羽目になる方々の哀しいやりとりを見て感じたことをエッセイにしましたので、今夜19時くらいに発表したいと思います。 休み時間に書いたら3000字を超えた。 過去最速かもしれない。