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私の経験からの芸術論



パンクロッカーの井下斗和です。


昨日はこまち夏祭りでスタッフとして、ヨーヨーづくり体験と釣りを担当しました。太陽が容赦なく照りつける中で、体力的には相当しんどかったです。でも、その分、やりがいがあったし、たくさんの子どもたちが楽しんでくれたのを見て、疲れも吹き飛びました。

さて、今日は少し私の「芸術論」について語りたいと思います。
私の芸術との出会いは、小学生の頃に通った絵画教室から始まりました。その後、中学生になって美術部に入り、ある時期には漫画家を目指していたこともあります。芸術に対する情熱はずっと持っていたけれど、いつも心の中で引っかかっていた疑問がありました。それは、「なぜ、上手い絵だけが褒められて、下手な絵は評価されないのか?」ということです。上手い、下手という基準自体が曖昧だし、そもそも芸術って、そんなに堅苦しいものじゃないはず。自由に、自分の感じるままに表現すること、それこそが芸術の本質なんじゃないかと、ずっと思っていました。

だからこそ、絵画教室や美術部の「型」にとらわれた雰囲気が、どうしても自分に合わないと感じていたのかもしれません。もちろん、そこで出会った仲間との時間はかけがえのないものですが、自分にとっては一人で自由に、感情のままに描く方がずっと自然で、自分らしくいられました。

この考え方は、音楽にも通じています。私がライブで歌うとき、ただ大暴れしているわけではありません。パンクロッカーとして、心の中にある感情をそのままぶつけているのです。それが結果的に、音程がぐちゃぐちゃになったり、激しくなることもありますが、それも含めて私の表現なんです。プロや音楽好きの目から見れば、「何だこの騒がしい音楽は?」と感じる人もいるかもしれません。実際に、そういった批判を受けたこともあります。でも、これが私の芸術なんです。

結局、私にとっての芸術とは何でもありなんです。すべてが自由で、自分自身を表現する手段だと思っています。芸術なんて、本来、生きていく上で必要なものではありません。でも、だからこそ、あったら楽しいよねって感じです。それが、私の信じる芸術です。だからこそ、私はこれからも、自分を自由に爆発させるような音楽や絵を、思う存分創り続けていきたいと思います。

井下斗和でした。



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