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フェドセーエフN響代役事件が突きつける「ダメな朝比奈」問題

フェドセーエフだから買った。

それだけのことなのに、

指揮研究員を侮辱してるだのなんだの、見当違いの言説がわんさか😓

わざと言ってます?😅

この問題は芸術鑑賞において根深いと思うので、続編を書きます。

前回の記事はこちら。↓


まず、大前提として「公演中止の場合を除き、払い戻しはしません」という契約事項は理解してますよ。

だから、N響事務局の行為が犯罪相当と言ってるわけではありません。

ただ、フェドセーエフの代役として広上淳一を起用した広島交響楽団とは対応が雲泥の差に感じます。

広上さんはラフマニノフが得意なイメージがあります。
これはこれで面白そうなコンサート。曲に合った人選と感じます。

とはいえ、目当てのアーティストじゃなくなるのなら、払い戻ししてほしいというのがファンの本音でしょう。

「その人」が聴きたくて買ったのですから。

ただ、それだと興行が成り立たないので、代役システムがあるのは納得しています。

先月のブロムシュテットはA定期B定期を買っていました。

ブルックナー5番のA定期は公演中止で払い戻し。
B定期は尾高忠明に変更でした(ちなみにC定期は高関健に変更)。

こちらも「ブロムシュテットだから買った」という人が多かったでしょうから、がっかりされた方は多かったのではないでしょうか。

しかし尾高忠明はN響の正指揮者ですから、代役起用するのは誠意を感じます。

高関健は高関健でN響定期は久々の登場だったでしょうから、話題性や面白さがありました。

先月のこれらの代役ではそこまでブーイングは起きなかったのでは?
私も「仕方ないかぁ」と思ったくらいですから。

今回の代役に文句を言ってる人たちがあたかも「指揮研究員の指揮する音楽なんてお金払って聴く価値がない」と言ってるかのように非難するのはどうかと思いますね。

91歳のフェドセーエフより新鋭の指揮研究員の方が「いい演奏」をすることだってあるでしょう。

老巨匠は腕を大きく動かせなくなり、結果として音楽が弛緩することはよくあります。

でも、それでいいんです😅

いい演奏が聴ければよし、じゃないんです。

私は朝比奈隆の晩年3、4年間、都内の公演に通いつめました。
演奏がイマイチなときだってあったと思います。

でも、みんな朝比奈のファンと化していました。
「今日も元気に振ってくれてありがとう!」みたいな空気が醸成され、毎回の一般参賀にもなっていました。

みんなが聴きたいのは「誰かが振る凄いブルックナー」ではなく、「朝比奈が振るブルックナー」でした。

それが仮に「ダメな朝比奈」でもよかったのです。

それが朝比奈であるならば。

ここが理解されていない。

例え話をします。

天ぷらの名人が引退するというので、初めて店に食べに行った。

半年待ちの予約が何とか取れた。

食べてみたら、期待したほど美味しくなかった。

後でレビューを読んだら、数年前に怪我をして腕が落ちたらしい。

食べた3か月後に名人は亡くなってしまった。

現役バリバリの職人さんの方が美味しい天ぷら揚げてくれると思いますよ。

でも腕が劣えていたとしても、伝説の名人の天ぷらが食べられたというのは一生の思い出なわけです。

人に自慢したい人もいるでしょう。

「あのクライバーを聴いた」「あのチェリビダッケを聴いた」、クラシックはそんな人ばかりです。

その体験にどれだけお金を払えるかってことではないでしょうか。

ダメな朝比奈、ダメなフェドセーエフでもいいんです。

名演を期待してるんじゃない。

その人を生で聴いた。

そこに価値があるのです。

今回のフェドセーエフは最後の来日だったかもしれないし、めちゃくちゃ価値があるものだったわけでしょう。

私はペトレンコ/ベルリン・フィルやソヒエフ/ウィーン・フィルよりはるかに聴きたかったです。

そういうオタも多いのでは?

そんなある意味プライスレスな体験だからこそ大金払ってた人もいるのに、今後いくらでも聴く機会がありそうな人が振るのならそれはプライスレスと言えるでしょうか。

こんな書き方をすると指揮研究員を下に見てると言われそうなので、また例え話をします。

ある指揮研究員が海外のユースオケの来日公演でマーラーの9番を振る公演が半年先にあったとします(非現実的ですが、あくまで例えです)。

その公演は彼にとって間違いなく指揮者人生のターニングポイントになるばかりでなく、クラシック界のエポックメイキングにもなりうるかもしれない。

「あの小澤のデビュー公演を聴いたよ!」みたいに、後世に語り継がれるイベントになるかもしれないものでした。

しかし公演前日に指揮研究員が倒れ、代わりに有名な巨匠が振ったとしたら、皆さん喜びますかね。

「思いがけず巨匠が聴けた! ラッキー!」ってなります?

その新鋭が聴きたくて買ってるのだとしたら、がっかりするのではありませんか?

芸術家は代えが利かないのです。

しかし、代役システムがあるのは興行上、仕方のないこと。

それなら、その公演の価値を極力変えてはいけないと思うのです。

96歳の最高齢指揮者ブロムシュテットの代役なんて、本来は誰にも務まらないです。

尾高さんですら無理です。

でも、正指揮者が代役を務めるのは納得できます。

91歳フェドセーエフの最後かもしれない来日公演なんて、プライスレスもいいとこ。

ホテル代や飛行機代まで払ってた人がいてもおかしくありません。

素晴らしいチャイコフスキーが聴ければ誰でもいいわけじゃないんです。

フェドセーエフだから買ったんです。

ダメな演奏でもいいんです。

「やっと念願のフェドセーエフ聴けたけど、全然よくなかった」

仮にそんな感想になったとしても、一生の思い出なんです。

いつからクラシックは一期一会の特別なものではなくなってしまったのでしょうか。

フェドセーエフは1997年にモスクワ放送響で聴いたので、26年ぶりでした。

今まで何度も聴いてきた人、今回初めて聴く人、いろんな人の期待がつまった公演だったのです。

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