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高村光太郎『緑色の太陽』

光太郎の残した数多くの秀抜な評論・随筆から,テーマを彫刻・書・詩の三つにしぼって三○篇余を精選,新たに一書を編んだ.芸術家の自由を宣言した評論「緑色の太陽」をはじめ,これら美に関する散文を貫くのは,実作者のみのもちえる精緻な分析の眼と,語らずにはいられなかった芸術家の熱情である.

土方定一『日本の近代美術』の中で、“日本の「印象派」宣言”として何度か言及されていた一冊。

高村光太郎と印象派というのがよく重ならなかったので―高村光太郎って印象派の彫刻家なの?印象派な彫刻って、どんな?―読んでみた。

この一冊は、高村の芸術に関して書かれた散文を編んだもので、「緑色の太陽」以外にもバラエティに富んだ内容になっている。

上に引用した出版社による梗概には“テーマを彫刻・書・詩の三つにしぼっ”たと書いてあるけれど、それ以外にも自伝的回想や、他の芸術家について述べたものもある。

表題にも採られている「緑色の太陽」は、大きく二つの論点を持っている。

一つは、

人が「緑色の太陽」を画いても僕はこれを非なりとは言わないつもりである。僕にもそう見えることがあるかも知れないからである。

という、作家の主観の絶対的擁護。これが、“印象派宣言”と捉えられているのだろう。

しかし読んでみると、むしろ主要な論点は別にあって、そのように個人的主観に絶対的に立脚して創造活動を行うしかないのに、不思議なことに、“地方色”という、いわば作家の属する文化的なローカルのコードが、滲み出てくる、という。

日本人の作品に自ら日本の地方色とも見るべきものがある。仏国人の作、英国人の作、皆然りである。
日本人の手になったものは結局日本的である
。日本的になるのである。日本的にしようとせずともなるのである。し方のない腐れ縁なのである。

このような、作家の主観を超越した文化的コードが抜き難くある、という一方で、そのようなコードから逃れて創作をしたい、という想い。

作家をして、日本人たる事を忘れさせたい。日本の自然を写しているという観念を全く取らせてしまいたい。そして、自由に、放埒に、我儘に、その見た自然の情調をそのまま画布に表わさせたい。

このような、個人的主観と文化的コードのせめぎ合いは、結局後者の勝利とならざるを得ない。

MONET[モネ]は仏蘭西の地方色を出そうと力めたのではない。自然を写そうとしたのである。勿論、世間から仏蘭西の色彩とはみとめられなかったのである。仏蘭西の色彩と認められないどころか、自然の色彩とも認められなかったのである。空色の樹の葉を画いたといっては罵られていたのである。しかるに、今日見ればやはり外の国の人には画けない仏蘭西の香りがする。

僕は日本の芸術家が、日本を見ずして自然を見、定理にされた地方色を顧みずして更に計算し直した色調を勝手次第に表現せん事を熱望している。
どんな気儘をしても、僕らが死ねば、跡に日本人でなければ出来ぬ作品しか残りはしないのである。

この、作家個人の主観を超えて滲み出る“日本の色”を、否定的側面と肯定的な観点と、両面から見てみたのがこの論考の主たるテーマのように僕には思える。単純に個人主義万能とも言えない規範的コードの存在、しかし個人主義的でありたいという願い、その桎梏。

「緑色の太陽を否定しない」という言葉には、そこに確かにある作家の個人主義への信頼と、にも関わらずそれはより大きな文化的規範から逃れられないという苛立ちのような諦めのような想い。

I章に収められた「自伝」「父との関係」は、高村が自らの半生を顧みて語るエッセイ。

短い「自伝」では、自己を創作家として屹立させる意思の勁さが真っすぐに突き刺さるのに対し、やや分量のある「父との関係」においては、もう少し自省的に、大きな存在である父との葛藤や愛情が、微妙な陰影を生んでいて、非常に印象深い。

IV章では、ミケランジェロ、ロダン、荻原碌山、大きな影響を受けた他のアーティストについて語る。どれも高村の熱い想いが籠もった文章で読ませる。

その他、詩論、書論、彫刻の鑑賞法、などなど、芸術を巡る論考はどれも面白くて、編者の眼の確かさに依って、高村光太郎の散文の魅力が横溢した作品集となっている。

美術好き、詩が好きな読書子ならば、座右において損はない名著。岩波は是非復刻して欲しい。

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