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芸術の感想を書きづらい原因

私は4月から半年間の契約で、NHKのテレビモニターをやっている。

月に12本感想を書くと、15000円もらえる。

2か月ごとの担当番組が決まっていて、4・5月はそれなりに楽しく視聴できたが、今月の担当番組があまりにもつまらない😂

普通なら見なきゃいいだけの話だから、わざわざアンチの感想をもらうスタッフが気の毒(でも仕事なので仕方ない)。

で、また、感想が書きづらいのだ。

クラシックコンサートでも言えることだが、感想の書きやすさはおそらくこの順番になる。

①期待していて、期待はずれだった
②期待していて、期待通りだった
③期待してなかったが、案外よかった
④期待してなくて、やっぱりよくなかった

なぜ①が書きやすいかというと、別に悪口の方が筆がよく乗るわけではなく、「ギャップが生じる」からである。

期待しているということは、例えば久石譲のマーラーなら、こういう演奏を聴きたいと頭の中でイメージを膨らませてコンサートに行っているのである。

それが期待はずれだった場合、その落差について書けばいいのだからわかりやすい。

一番書きにくいのは④。だってつまらないと思ってて実際その通りなんだから、何の意外性もドラマもない。ただの確認作業である。

いまそれをNHKのモニターでやってるわけである。何と不毛なことか……😭

その番組のファンはいるんだろうから(それなりに長寿番組)、ファンが推してるなら別にいいと思うのだが。

例えば私は「チコちゃんに叱られる!」も苦手なのだが、人気番組なんだからわざわざ苦手な人が感想寄せるのってどうなんだろう(まあそれがモニターの意義なんだろうけど)。

翻って、クラシックの評論家なんてレーベルからタダで送られてくるCD聴いて寸評書けばいいんだから身銭削らないでいい身分だねと昔は思っていたが、身銭を削るとなると自分が期待する演奏家しか買わなくなるのである。

だから当然、偏りが生じてしまう。好みに関係なく満遍なく論評するには、タダで聴いてもらう仕組みが大事なのだろう。

私がロマン派よりバロックや古典派の演奏の方が感想を書きやすいのも、バロックや古典派の方が理想の演奏が頭の中にあるからに違いない。
それと比較して論じているのである。

そう思うと、何かを期待して芸術に接する方が感想は書きやすいのかもしれない。

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