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工夫と芸術

 町田康の短編小説に「工夫の減さん」という好きな一編がある。2003年刊行の『権現の踊り子』に収録されている初期作品だ。話の主人公である減さんはしみったれた工夫で失敗ばかりしているおっさんである。工夫と言っても大したものではない。外食は高いので好きな料理を自作するが、通常とは違う安価な食材で代用するので思ったものが出来上がらない。散髪代を節約するために美容学校の生徒の練習台となって、いつも珍妙な髪形をしている。結婚式を安上がりに済まそうと工夫した結果、相手に見限られて結婚自体がご破算になる。そんなセコい工夫とセコい失敗ばかりしているのだ。減さんが工夫に凝るのにはいちおう理由があって、将来ミュージックバー的な店をオープンするという夢のために貯蓄をしているのだという。しかし節約のための工夫は、その失敗の憂さを晴らすための浪費に繋がり、かえって工夫のために貧窮しているようなていたらくだ。工夫によって貧乏し、女にも逃げられ、言ってみれば減さんは「工夫で人生を失敗した人」なのである。

 しかし話の語り手である「俺」が描写する減さんの生活には、一片の暗さもない。むしろ楽しく生き生きと暮らしているように見える。それというのも減さんにとって工夫とは、それ自体が楽しいものだからだ。「店を開くための貯蓄」などというのも、むしろ工夫をするためのお題目に過ぎないのだろう。減さんは工夫がしたいから工夫をするのであって、その成否は二の次なのだ。だから工夫の結果が失敗続きでも、工夫をしている限り減さんの人生は楽しみに満ちている。この工夫の純粋性こそが、減さんを減さんたらしめている最大の特徴である。

 自分にとって減さんは芸術家のプロトタイプのような人間だ。実際、減さんの工夫は実用的な分野におけるものだけではなく、ゴミ捨て場からガラクタを拾ってきて部屋を装飾するといったアートで趣味的な側面のものもある(その結果、住居がゴミ屋敷のような惨状になってしまっているのだが…)。減さんは“自称”フォトグラファーだが、それが「自称」にとどまりプロフェッショナルとして生計を立てられるところまで行かないのも、やはり工夫が原因だった。「俺」によるその説明が痛烈である。

しかしフォトグラフを習い覚え始めた際、減さんはまともにフォトグラフを練習しないでもっぱら様々な工夫をすることによってフォトグラフを撮れるようになってしまったので減さんのフォトグラフはフェイクだった。そして一度そういう癖がついてしまうとこれを矯正するのは甚だもって難しく、まったくの初心者が一から練習を始めるよりも困難なのである。そんな風ななまじな工夫をしてしまったために減さんはフォトグラフにおいてある一定の水準よりうえ、すなわちフォトグラファーとして定収入を得るところまでは進めないでいたのである。

まるで真っ当な絵画の学習法を無視して自己流の工夫ばかりで絵を描いてきた自分のことを言われているようで、耳が痛い。的を射た批評である。結果として減さんは種々のアルバイトによって生活を賄っているのだが、それも時間給の貰えるデザイン事務所での安定した仕事よりも、自作の楽器をフリーマーケットで売るといった工夫的ニュアンスのある不安定な仕事に傾きがちで、結局いつも貧乏している。つまり工夫のせいでアーティスト、クリエーターとしても失敗者となっているのだ。

 そんな減さんが、なぜ芸術家のプロトタイプなのか? それは工夫と芸術の関係に拠る。芸術はその内実だけ見れば一から十まで工夫でできている。着想から技巧の細部まで大小さまざまな工夫の集積によって芸術は成り立っているのだ。その工夫の独自性が芸術としての価値を左右するのである。工夫のないところに芸術はない。マニュアル通りに作っただけでは芸術にはならないのだ。厳格な型を継承する伝統芸術でも事情は変わらない。伝統を受け継いでいく個々の表現者による独自の工夫なしには、そのジャンルは形骸化し廃れてしまうからである。工夫こそが芸術における命の源であり、芸術そのものであるとさえ言ってもいいかもしれない。

 しかし芸術における工夫は、それ以外の、つまり一般的な工夫とは大きく違った点が一つある。それは芸術表現としての効果を除けば、それらの工夫がその他にはなんの役にも立たないということだ。一般の常識からすると、工夫とは役に立って初めて意味を持つものである。なにかを便利にしたり、生産性をアップしたりしてこそ工夫なのであり、なんの役にも立たない工夫はそもそも工夫として認識されないのだ。しかし芸術における工夫は、便利さや生産性の向上を求めて行われるものではない。それは芸術表現として、その工夫自体を楽しむためにこそ存在するのである。

 具体的な例で説明しよう。小説「工夫の減さん」を作り上げている町田康の文章は、まさに工夫のかたまりによって出来ている。単語の使い方など文章の細かな点に到るまで独自の工夫に満ちていて、それが町田文学の真髄であるあの独特の文体を実現しているのだ。しかしその工夫に汎用性はない。ただ町田康の文学を成立させるという、その効果のためだけの工夫なのである。この対極にあるものとして、たとえば「より多くの人にnoteが読まれるようになるための文章術」といったものを想定してみよう。そうした指南記事はよく見かけるし、そこでは購読者数を増やすための作文上の様々な工夫が紹介されている。町田康の文章とは違って、それらの工夫には汎用性がある。汎用性がなければそもそも意味をなさないからだ。つまり「役に立つ工夫」である。しかし町田康の文章とnoteの購読者数を増やすための文章と、そのどちらに芸術性があるかと言えば、これは考えるまでもない。町田康の文章の工夫は、その工夫自体が面白いのである。工夫自体に芸術性があるのだ。つまり成果と工夫が一体になっていて、工夫それ自体が独自の価値を持つ。それに対して購読者数を増やすための文章術の工夫は、あくまで「記事がよく読まれるようになる」という成果に繋がってこそ意味を持つのであり、それを果たさなければまったくの無価値となる。

 つまり工夫には二種類ある。汎用性のある工夫とない工夫である。役に立つ工夫と立たない工夫だ。芸術における工夫や減さんの工夫は、その後者なのである。この二つのうち、役に立つ工夫の意義については説明の必要はないだろう。そもそも工夫は文明の素である。工夫がなければ文明は起こらないし、その発達もない。人類の発展のためには、役立つ工夫を考案し続けることが不可欠だ。故に工夫の有用性は集団の利益への寄与の規模によって量られる。人類の発展に資する工夫(イノベーション!)こそが最大限に価値付けられる。

 では、役に立たない工夫のほうはどうか? こちらは人類の発展には繋がらない。汎用性のない工夫は集団の益とはならないからだ。しかし工夫は集団のためだけではなく、個々の人間の生にとっても必要不可欠な要素なのである。学習にしろ、労働にしろ、工夫の余地があるほどやりがいが生まれる。逆に工夫の余地を奪われると人間は疎外される。つまり工夫の自由は人に「自分の意志によって生きている」という実感を与えるのだ。しかし役に立つ工夫は便利さを生むが、その便利さは工夫の余地を狭めることにも繋がる。故にテクノロジーが発達することによって人間が疎外され、生き辛さを覚えるようになるという皮肉な現象も発生する。ここに工夫の矛盾がある。それに対して役に立たない工夫は、役に立たないことによってその陥穽から逃れ得る。つまり役に立たないことにこそ意味があるのだ。

 役に立たない工夫を楽しむことは、自己が集団に吸収され、見失われてしまうことへの抵抗でもある。そもそも工夫とは既存のやり方とは違った方法を独自に考案することであり、その時点で集団や慣習による拘束の外に出ている。役に立つ工夫の考案は集団における自身の存在価値を確信させるが、集団への貢献度によって人間の存在価値が決定されると、そこに生のヒエラルキーが生まれてしまう。それに対して役に立たない工夫は、生の価値を集団内における相対的なものから個々の生に基づく絶対的なものへと引き戻すベクトルを持つ。集団の利益となる役に立つ工夫を考案できる人間は限られるが、その価値条件から有用性を除外すれば工夫はすべての人に対して開かれるからだ。有用性の枠から逃れることによって、それは生への賛歌となるのである。

 しかし世間は役に立たないことに対して厳しい。役に立たない工夫によって成り立っている芸術さえも、自身の価値をアピールしなければ共同体のなかに居場所がなくなってしまう。そもそも「芸術」という価値概念の創出自体がその始めだろう。「工夫」では駄目なのである。共同体においては役に立たないものは工夫とは見なされないからだ。故に「芸術のための芸術」は許されても、「工夫のための芸術」とは誰も言わない。それでは開き直りすぎなのだ。しかし制作衝動の源を突き詰めていけば、芸術家がもっともやりたいのは制作上の工夫という場合が大半なのではないだろうか。芸術の制作にあたっては、古典的な「美の追求」から流行りの「社会的な問題の提起」まで様々な「理由」が謳われるが、その大半は減さんの「店を開くための貯蓄」のようなものなのではないか。共同体内で必要とされるため、あるいは自分自身を納得させるためにお題目的な理由が必要となるのだ。人間はどこまでも意味を求める生きものであり、意味を持たないものは共同体では認められないからである。

 しかし役に立たない工夫は、その無意味さにこそ意味があるのだ。だから「芸術」ですらないただの工夫に耽る減さんは、芸術家以上に芸術の本源に迫る生き方をしていると言えなくもないのである。しかし当然それに対する世間の風当たりは厳しい。語り手の「俺」は減さんの飲み友達なのだが、作中に楽器のシタールを買いに行くエピソードがあることからもわかるように、おそらく芸術に対しては理解のある人間として設定されている。それもあってか減さんの工夫好きに呆れつつも、心のどこかでそれを面白がっているようでもある。しかしそんな「俺」をしても、減さんの工夫好きから来るいい加減な生活態度には次第に苛立ちを募らせるようになる。そして減さんが拾ってきた猫の手術代を借財して返さないまま、性懲りもなく餌代が賄えないので猫を貰ってくれないかと電話をかけてきたとき、ついに「俺」はキレる。

「減さんはそうやって工夫ばかりしてるけどその工夫っていったいなんだ? ただの工夫じゃねぇか」腹がたって興奮しているのでなにをいってるのかよく分からない。そのことにも俺は興奮して、
「いい加減に工夫をしないでまっとうにていうか通常にやったらどうなんだ? シャマスの餌だって、なんだ、三キロ四千八百円かそれくらい、真面目にデザイン事務所の雑用に行けば買える金額じゃないか。それをしないで工夫ばかりして楽器作ったりそんなことばかりしているから減さんは駄目なんだよ。(中略)そんなんだから写真だってうまくなんねぇんだよ。工夫する前にちゃんとピント合わせろっつーんだよ。調子こいて工夫ばっかりしてんじゃねぇよ、たこっ」

 使われている単語が「工夫」なので笑える文章になっているが、これを「芸術」や「アート」に置き換えると、なかなか笑うに笑えない痛烈な批判である。「まっとうにていうか通常にやったらどうなんだ?」の一言がキビシイ。これはほとんど減さんの存在自体を否定するような言葉である。しかも全て正論であるから、減さんが受けるダメージは甚大だろう。こんなことを言われてしまっては「役に立たない工夫」に耽っているものとしては返す言葉がない。

 「俺」も薄々そのことに気付いていたのではないだろうか。それからしばらくして「俺」のもとに減さんが死んだという知らせが入る。しかも死因は自殺らしい。自分が言ったことが原因なのではないかと動揺した「俺」は真相を確認するため、飲み仲間たちが開いた「偲ぶ会」に参加する。そこで判明したのは、白いタイツを穿いただけの上半身裸の姿でカメラを手に感電死していたという減さんの珍妙な死に様だった。どうやら自殺でも、自分のせいでもないらしいと安心した「俺」は、減さんがまたなにか工夫をしていて、それが原因で命を落としたのではないかと推理する。減さんは工夫をしているときは実に楽しげだった、その報われぬ生涯の最後の瞬間に減さんは希望に溢れていたんだと「俺」は自身を慰める。そしてそのことを人に伝えたくなる。

 このことを誰かに話したい。そう思っていると連中の中に見覚えのあるぽかんとした顔をした女がいた。俺はグラスを持って女に近づいていき、
「それにつけても減さんは工夫の好きなやつだったよねぇ」と話しかけた。
 女は俺の顔を見て、「そうだったっけ」と言って首を傾げた。俺は、
「けっこうそうだったよ」と小さい声で言って麦酒を飲んで噎せた。

 最後の「けっこうそうだったよ」の一言が最高に振るっている。この「ぽかんとした顔をした女」は一時期減さんと同棲していたことがあるという女性で、減さんは別れた後も未練がましく二人の写真を部屋に飾っていたのだ。「俺」から見ると減さんにとっての工夫は減さんを減さんたらしめている掛け替えのないアイデンティティなのだが、親密な間柄にあった人間にさえそのことが認識されていなかったという悲しくも笑えるオチなのである。

 減さんの工夫の純粋性はここに極まっている。それは名前を与えられることもなく、理解されることはおろか、多くの人には気付かれることさえないほどまでに「何でもないもの」なのである。それが何でもないものであるのは、意味や理由を超越しているからに他ならない。意味に支配された世界で意味のなさに徹することは、孤独で厳しい生き方である。しかもその孤独に崇高さは微塵もない。あるのは減さんの人生のようなショーモナさだけなのだ。しかし、この馬鹿馬鹿しいまでの「何でもなさ」にこそ、自分は芸術が本来あるべき嘘偽りのない姿を見てしまい、どこか清々しいような気持ちにもなってくるのである。そして、自分も最後は誰かに「けっこうそうだったよ」と言ってもらえるようになりたいと、小さな希望を抱くのだ。

※この文章を自身の作家としてのステートメントとして書いた。


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