阿久沢牟礼

奇談を書きます。 以下の作家等が好きな方には恐らく楽しめる話となる、と思います。 星新…

阿久沢牟礼

奇談を書きます。 以下の作家等が好きな方には恐らく楽しめる話となる、と思います。 星新一、時雨沢恵一、内田百閒、ラファティ、ボルヘス、カフカ、コルタサル、コッパード、ペソア、クルジジャノフスキィ、円城塔、ウィトゲンシュタイン、永井均、寓話、民話。

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  • 試論

    書評でも小説でも身辺雑記でもないもの、主に哲学思想系の試論を載せます。

  • 芥川賞を読む

    芥川賞受賞作を読み、論じます。

  • 書評

    書評をまとめます。以前記事を書いていた「シミルボン」のサイト閉鎖につき、しばらくは過去記事の再掲作業になりそうです。

  • 掌編集

    以下の作家等が好きな人には恐らく楽しめる内容です。 星新一、岸本佐知子、時雨沢恵一、円城塔、カフカ、ボルヘス、コルタサル、ラファティ、永井均、西田幾多郎、ウィトゲンシュタイン

  • 可能的民話集成

    可能世界から蒐集した民話。

最近の記事

滝口悠生「死んでいない者」

【死んでいない者:滝口悠生:文藝春秋:2016:第154回芥川賞受賞作】  お通夜の話。  山間の旧街道沿いにある広い一軒家に、誰とも知れない親類縁者がわらわら集まって、二階に安置された故人の顔を覗いては去り、覗いては去る。近所の人が集まり出し、弔問客に振る舞う料理などを誰彼となく作り始める。遠方からの親類のためあちらこちらに布団が敷かれ、敷かれた布団の上には避難してきた猫が寝ている。まだ小さい子どもたちは自由に室内を走り回り、犬たちは柱に繋がれ悲しげに鳴いている。  大き

    • 古川真人「背高泡立草」

      【背高泡立草:古川真人:2020:集英社:第162回芥川賞受賞作】  そうだな。セイタカアワダチソウにまつわる自分の記憶、何かあっただろうか。空港へ向かうモノレールの車窓から見える臨海都市の倉庫脇とか、飛行機の窓から見える滑走路の向こうの草地とか、そういうところに生えているようなイメージがある。もしかしたら実際に見たわけではなく、観念の産物かもしれない。ググってみたところ、特別潮風の強い環境に堪えるというわけでもなく、河川敷などにもよく生えているらしい。根から毒素を出して他

      • 羽田圭介「スクラップ・アンド・ビルド」

        【スクラップ・アンド・ビルド:羽田圭介:2015:第153回芥川賞受賞作】  筋肉をつけると性格が変わるという話をどこかで聞いたことがある。ホルモンの影響で明るくなるとか何とか。そう言われてみればボディビルダーのような体格なのに性格は後ろ向き、などという人間はちょっと想像しにくい。ムキムキの太宰治など想像してみようにも像を結ばず、肉体ゴリゴリの男が「恥の多い生涯を送ってきました」などと呟いたところで真実味がない。恥の多い生涯のなかでいかにしてその見事な身体を作り込んだのかと

        • 又吉直樹「火花」

          【火花:又吉直樹:文藝春秋:2015】  笑いたくなるような物事というのは、一般性から外れたところにある。あるいはむしろ、一般性からの逸脱行為そのものが鑑賞者に笑いを催させる、と言ったほうが正確かもしれない。漫才でもコントでも、そこで語られていることが単なる日常の、よくありそうな一コマに過ぎないとしたら、笑いは起こらないだろう。逆に、一般性からあまりに離れると、そもそも伝わらないか、最悪笑いを通り越して嫌悪や恐怖を催させることになる。  だから意図的に他人を笑わせるためには

        滝口悠生「死んでいない者」

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          黒田夏子「abサンゴ」

          【abさんご:黒田夏子:文藝春秋:2013:第148回芥川賞受賞作】  子どもの頃住んでいたマンションの駐車場の前に、森があった。正しくは森の残骸、切れ端といったところで、畑や住宅に囲まれたなかにぽつんとそこだけ取り残されたように森があった、往事はそのような雑木林が辺り一帯を占めていたのだろう。マンションに住む子どもにとって良い遊び場となっていた。切られ横たえられた木に腰かけ、羽化したてのクリーム色のセミを眺めてみたり、ヤマゴボウの実で手を紫色に染めてみたり。ただ走り回って

          黒田夏子「abサンゴ」

          動物にまつわる考察 ―山括弧塾オンライン講義の感想にかえて―

           持続について 「しかなさが本質的に持続しない」とはどういうことなのか  しかなさは持続しない、と。なんだろうな。自分は永井と違う想像をしているような気がする。いや、それともただ単に自分がとらえきれていない(整理しきれていない)所為なのか。「しかなさ」というのが私において経験されるには、なんにせよそれが経験として認識されなければならない。しかし、なんにせよ認識されるということは、ある程度の時間的幅のもとに出来事が統合されるということを意味しているので、そこに「持続」が無い

          動物にまつわる考察 ―山括弧塾オンライン講義の感想にかえて―

          98 繰り延べられる町

           一方の端がどこにあるのかもわからない長大な城塞の、もう一方の端は今なお繰り延べられている。勅令を与えた当の皇帝はすでに世を去って久しいが、その履行者たる「町」の者は幾世代を経てなお建設を続けている。  気の長いこの作業の終着点は、未だにその影も見えない遠方の山脈のふもとと言われており、また向こう岸も見えない大河のほとりとも言われており、また底が見えないほど深く刻まれた谷の端とも言われており、「町」の者にとってなかば伝説のように扱われている。  工期に制限はないが年に一度、

          98 繰り延べられる町

          97 願いを叶える

           長い歳月と、筆舌に尽くしがたい艱難辛苦を経て、ある男がついに上位存在のもとへたどり着いた。 「長旅ごくろうさまでした。それではあなたの願いを一つ、叶えましょう」  と、上位存在は言った。 「何でも叶えてくださる、というのは本当でしょうか」 「ええ、何でも叶えて差し上げます」 「すると例えば、願いを叶えてもらえる回数を無限に増やしてください、というお願いも?」 「半分可能、半分不可能、と言っておきましょう」 「と、言いますと」 「例えばあなたが不老不死を願ったとします。そ

          97 願いを叶える

          95 理性と倫理

           自転車でたまたま通りかかった公園で、遊んでいた父と子がいた。  子のほうはまだ三歳前後だろうか、特にどこと場所を定めることなく、ズボンを下げて珍故をつまみ、放尿する姿勢だった。父は「お父さん怒るよ」と述べていた。  ただそれだけの場面だが、あまり遭遇しそうにない状況だったので少々脳裏に残ったのだった。自転車を漕ぎながらその場面を思い返すと、どことなく混乱を覚えた。実際ああいう場面で子どもにどう接するべきなのか、改めて考えるとわからない。  公衆の面前で放尿をするのはい

          95 理性と倫理

          94 衣裳哲学

           スーツが仕事に出掛けてから、寝間着は布団に入って二度寝を始めた。  部屋着は身支度を整え、やがてウォークインクローゼットのなかへ自らを収納した。  代わって普段着がそこから姿をあらわし、自らのしわを伸ばし、少し身震いしてホコリを落とすと、財布がポケットに舞い込み、かばんが肩に掛かった。  そこへ犬の首輪が現れ、普段着のズボンの裾にまとわりつく。  すると犬の紐がするすると伸びてきて犬の首輪までその先端を伸ばした。  もう一方の端、つまり輪になった持ち手は普段着の左手の

          94 衣裳哲学

          92 これはパイプではない

           エレベーターに乗ってすぐ、下の階で止まった。  乗り込んできた住民は犬を連れている。  ペット可のマンションとはいえ、この都会の手狭な部屋で犬を飼う人というのもそれほどいるわけではない。しかもチワワやトイプードルといった小型犬ではなく、柴犬だ。飼い主に抱きかかえられて、顔だけがこちらを向いている。興味ありげに鼻をひくひくさせながら、うるんだ瞳で見つめてくる。  実にかわいらしい。 「かわいい犬ですね」  と、つい声をかけると、飼い主の男性は振り向きもせず言った。 「犬

          92 これはパイプではない

          91 人の一生

           人の一生が機械に置き換えられてから、人の一生は人の一生が置き換えられた機械を観察することに費やされた。そうして人は、人の一生がいかなるものかを一生掛けて学んだ。  次には当然、人の一生が置き換えられた機械を観察することが機械に置き換えられた。これにより人の一生は、人の一生が置き換えられた機械を観察する機械を観察することに費やされた。そうして人は、人の一生を観察することを観察することがいかなるものかを一生掛けて学んだ。  次には当然、人の一生が置き換えられた機械を観察する

          91 人の一生

          89 旅館の絵

           絵は初め、階段の踊り場に掛けられていた。  チェックインを済ませ、荷物を下ろし、浴衣に着替え、さっそく一風呂浴びようかと浴場へ向かう途中で目にしたのだが、どこか惹かれるところがあった。  半身がフレームの外に見切れている鹿の尻を追うようにして、右手から子どもが駆けている様子が描かれている。  その子どもの表情がなんとも言えない。笑顔ではあるのだがどことなくまぶしそうな、恍惚としたところもあり、見方によっては悲しそうにも見える。うっすらと身体の輪郭が透けるようなワンピース

          89 旅館の絵

          独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きえないのか―終章40を考える―

           はじめに  本文は、以下に引用する永井均著「独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか 哲学探究3」の終章40に対する考察です。  永井哲学用語を説明抜きに用いており、恐らく永井哲学徒でないと意味の取れない内容となっています。ご了承ください。  1 「になる想定」とは何なのか  最後の最後にすごいこと言い出した、と思ったのだが、どういうことなのだろうこれは。 「分裂後、なぜか〈私〉であった側がわずか数時間かせいぜい数日で死ぬ場合を想定したとき、〈私〉は、〈私〉でなかった

          独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きえないのか―終章40を考える―

          88 魚道

           自転車でたまの遠出に普段行かないような山奥を目指したのだが、谷合のゆるやかなのぼり坂をしばらく走っていると、道の脇にそこそこ広い駐車場と何かの施設らしきものが現われる。  のぼりも立っている。  何があるのかと近づいて見てみると、魚道だという。  魚道というとあの、堰の脇に設けられた、魚がのぼるためのゆるやかなスロープ状の、あの魚道のことを思い浮かべたのだが、それが駐車場付きの観光スポットと化しているのは想像しがたい。しっかり受付のような施設もあるが、入場無料とのこと。

          88 魚道

          87 絶滅文化論Ⅲ「笑い」 序論

           失われたわれわれの風習の一つに「笑い」がある。この概念にまつわる具体的なイメージを想起することのできる者さえ、一部の研究者を除いては皆無となった現在、「笑い」は完全な形でわれわれの文化から姿を消したと言えるだろう。文献及び動画資料については、笑いが機能を失う以前のものを含めて割合豊富に見いだされる。よって少し調べてみればわかるだろうが、旧来笑いの持つ社会的意義というものは、無視できないほど大きかったように思われる。  それではなぜ、現在のわれわれは笑いを失ったのか。そして

          87 絶滅文化論Ⅲ「笑い」 序論