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【美術館レポート】鎌鼬美術館および旧長谷山邸

 母の実家に久々に遊びに来た折、どこか面白そうなところはないかとグーグルマップを見ていたところ、見つけた。

「鎌鼬(かまいたち)美術館」

 どうも土方巽(ひじかたたつみ)なる舞踏家が当地を訪れ、現地の人々を巻き込んでほとんど奇行と紙一重の踊りを踊ったそうで、その様子の撮影された写真集「鎌鼬」は日本国内に留まらず、海外にも名をとどろかせることになった、という経緯があるらしい。

 当館はその「鎌鼬」を記念したもので、なかには「鎌鼬」所収の写真や、初版本、関連の品などが収められている。――のみならず、美術館そのものが写真集に登場する建物であり、豪農「長谷山家」の歴史的建造物となっている。

 秋田県は県南の、ぽつりぽつりと集落が点在するような山あいの道を進んでゆく。道中食事のとれる店さえ無いなか、この先に美術館などという文化的施設が存在するとは(失礼ながら)あまり想像できなかった。

 横手や本荘ならいざしらず、羽後町田代である(失礼ながら)。
 どんなものかと行ってみると、まずその威容に驚いた。

 画像左が鎌鼬美術館のある旧長谷山邸の蔵となっている。
 画像右は母屋で、こちらは農家キッチン「あるもんで」となっている(後述)。
 また、この旧長谷山邸自体見学することができ、見ごたえがある(後述)。


 鎌鼬美術館

 NPO法人「鎌鼬の会」事務局長、阿部さんの案内を受ける。同行の叔母とひとしきり地元トークを繰り広げた後、阿部さんの話を聞きながら館内の展示物を見て回る。

 土方巽の生い立ち。
 写真集「鎌鼬」の反響。
 土方と羽後町田代との縁。
「鎌鼬美術館」設立のエピソード。
 世界中から訪れた舞踏家の話。
 阿部さん自身の話。
 等々、様々な話を聞くことができた。

 面白い。
「鎌鼬」そのものは1965年の9月末に土方巽が写真家、細江英公を伴って当地を訪れたわずか二日の出来事ではあるが、まさに鎌鼬の名の通り、美術館が出来るくらい当地に爪痕を残したらしい。

 写真については詳しくないものの、ぱっと見て惹かれるところがある。
 土方自身の姿はもとより、田代の人々の姿が素晴らしい。踊り手がいてそれを観客が観るという構図はあまりなく、ほとんど住民自体も踊りの一部と化している。

 ……踊り、と言えるのだろうか。
 何が踊りなのか、という概念そのものが揺らいでくるようなところは確かにある。
 例えば、

 ①人の家に上がり込んで、障子を破る。
 ②農家の休憩中にふと現れて、下半身を露出する。
 ③寝ていた赤ちゃんを抱きかかえて、田んぼの真ん中で踊り狂う。

 といった場面を収めた写真がある。

 ①の写真では、トンカチを持った妖しい表情の土方が縁側に腰掛け、両脇の障子が破られている(それも一つ二つではなく、かなり派手に)。

 ②の写真では、着流しの前をパッと一瞬はだけた後の土方が、これもまた妖しい表情で座っており、その回りを農作業の男女が囲み、笑っている。
 米を干すためのはしご状の木組みをハサと言うが、ハサに寄りかかって恥ずかしそうに口許を抑えている少女がこの場面をよく物語っている。

 ③の写真では、片手に赤ちゃんを抱え、もう片方の手を広げ、足を大きく踏み出した土方の躍動的な姿がある。

 どの写真にも共通していることは、動き、ないしは物語が感じられることだろう。おおむね言えることは、土方が何かしらやらかしたこと、だろうか。

 土方の表情がまた面白い。
 ①の土方の表情など、まさに「障子を破ってやったぞ」というような、したり顔に見える。②のしかめっ面にはおどけがあるし、③の差し迫った表情は天に向かって祈りを捧げているように見える。

 当時動画撮影の技術がないわけではなかっただろうに、なぜ写真という媒体を選んだのか、という点が個人的な疑問だった。考えてみると、スタティックなメディアであればこそ、そこにダイナミズムを込めることができた、とは言えるのかもしれない。
 つまり、動画となると何をどう撮っても動的にならざるをえず、むしろ踊りとしての動性や物語性を象徴的に表現しづらい、という事情があるのかもしれない、と。

 そうした写真に込められたダイナミズムが、阿部さんの詳しい説明とともに有機的に立ち上がってくるのもまた面白い。

「写真のこの人はどこそこの人で……」
「この人は北海道の血筋だから顔が濃くて……」
「土方がサルのようにするするとハサを登っていって……」
「この子は後にインタビューを受けたのだけど話したがらなくて……」

 といったエピソードトークから、当時の空気感や土地の繋がりが感じられてくる。

 館内鑑賞&食事の後、当地に移り住んだ若い踊り手の踊りを実際に観る幸運にも恵まれたのだが、これは「踊りの概念」に関する考察とともに後述する。


 農家キッチン「あるもんで」

 ご飯である。
 旧長谷山邸の母屋の方に、農家キッチン「あるもんで」がある。
 当初からそこで食事をとるつもりでいたのだが、後に伺ったところ「予約推奨」とのこと。
 今回は阿部さんからレストラン側へ融通してもらったのでスムーズに事が運んだ(なので、急な来訪の際はいったん食事の旨を伝えたのち、ゆっくり美術鑑賞するのもアリだろう。もちろん、食事だけの利用も可能)。

 素朴にして絢爛。
「うわー」と、思わず感嘆。
 土地から生まれた食事という感がありとても良く、それを土地の歴史的な建物で頂くのはまた格別の味わいがある。

 裏山で鳴き交わすヒグラシの音がある。

 しばらくすると、雨が降りしきる。

 縁側の外延部、軒先の少し手前に何枚も引き戸が設けられている作りとなっており、周囲の音響を程よく取り込み、耳に心地が良い(これは雪国特有のものなのだろうか?)。


 旧長谷山邸

 食事の後は旧長谷山邸を見て回った。

 木材フェチにとってはよだれが出るような空間が広がっている。
 ケヤキの大木が贅沢に使われた梁。
 幅広の無垢材が惜しげもなく敷かれた床。
 極めつけは黒柿の床框で、木目が非常に良い。

 また、家の作りが込み入っている。
「この蔵には三階がある」と、美術館で阿部さんに聞かされたのだが、その時点では何のことなのかわからなかった。
 母屋の二階から渡り廊下を伝っていくと、ようやく事情が飲み込めた。

 蔵まるごとを、建物が覆っている――ということらしい。
 室内に室外があり、室外が室内にある。
 とんでもない奇想建築である。
(これに関しては実際に目の当たりにしたほうが感動が大きいので、画像は敢えて載せず)

 三階は切れ目のない長い畳が敷かれた大広間になっており、今後結婚式など挙げる予定があるらしい。


 若い踊り手の踊り

 前記したように、田代へ移り住んだ若い踊り手が美術館二階で踊るとのことで、そちらへ向かった。

 向かったときには、われわれを待つでもなくすでに踊りが始まっており、ほどよく狭く、薄暗い蔵の二階の空間は独特の空気に包まれていた。
 Fly me to the moonから始まり、全体的にはアンニュイな印象の楽曲が多かった。

 踊りに決められた型はなく、踊り手は楽曲に没入するように思い思いの仕方で身体を動かしてゆく。

 人が踊っているところをこれほど間近で観たのは初めてだが、「変だ」、と素朴に思った。

「異様」と言ってもいい。

 人が日常しない動きをするという点でも当然「変」なのではある。
 それに加えて、バレエとかブレイクダンスとか社交ダンスとか、あるいはアイドルなどが踊っている踊りとか、その種の「世のなか的に認知された動き」や「単純に美麗な動き」とも異なる動きをする。

 例えば、急にひざまずいたり、飛んだり、走ったり、といったように。

 しかし他方で、集中して見ていると楽曲と踊り手の振る舞いがリンクしてきて、こちらの身体性をも喚起してくるところがある(あるいは彼女の動きを真似してみれば、この感覚をもっと強く味わうことができるかもしれない)。
 そういう意味では、自然な踊りとも言えるだろう。

 このような踊りを踊る踊り手の意図や感覚が気になり、二、三質問した。
 曰く、彼女は特に誰に見せるわけでもなく、ただ踊りたいから時折この蔵の二階を借りて延々踊っている、とのことだった。
 踊りの最中われわれが現れても、人の眼を気にするような素振りは一切見られなかった。

 自己目的的な踊り。

 これをどう表現すればいいだろう? 
「祈りのような踊り」と言うとルサンチマンが臭うから、もっと素朴に「純粋な踊り」と言うべきだろうか。

 それこそ最も尊い踊りではないか?

 結びに

 土方巽は、何を思って当地を訪れ、踊ったのだろう。

 そしてそもそも、踊りとは何なのか。

 振る舞いや動きは何でも踊りであると定義して、われわれは生まれてから死ぬまで一つの長い踊りを踊っているのだ、と結論することもできるだろう。

 しかしこれまでの文脈から考えると、「変であること/異様さ」というものが、ここでの(つまり土方や若い踊り手の)踊りの核心にありそうだ。

 見慣れた日常の振る舞いから外れた、異様な動きを見たり行なったりすることで、固着した身体性が、ひいては現実が、清新なものに感じられる。
 そのためには「異様さ」こそ必要だ、と。

 今回若い踊り手の踊りを見て、子どもの動きに類比的なところがあるのではないか、とふと思った。踊りの洗練度は措いて、飛んだり跳ねたりするところは子どものそれに近い。
 嬉しかったらぴょんぴょん跳ねたり、くやしかったら地団太を踏んだり、唐突に走り出したり……といったことを子どもは行いがちだ。

 では、大人はなぜ、飛んだり跳ねたりしないのだろうか。
 ……モラル、常識、恥といった観念が邪魔をするからだろう。
 それは逆に言うと、そうした観念がわれわれの自由で自然な動きを妨げている、という可能性を示唆している。

 だから土方は、ある種子どもの自由さをとどめた大人だった(もしくは敢えてそのように振る舞った)、と言えるのかもしれない。
 人の家の障子を破ったり、人前で下半身を露出したりなど、少なくとも成人した大人が簡単に出来るような振る舞いではない。

 そんな滅茶苦茶な土方に住民もさぞ困惑しただろうが、映っている人々の表情はおおむね和やかなもので、器の大きさが知れる(時期的には米農家が最も忙しい収穫期でもある)。和やかな瞬間だけを切り取ったのだとしても、その表情にこわばりはなく、屈託がない。

 おどけたり、羽目を外したりといったトリックスター的な人間を受け入れる土壌が、田代にはあるのかもしれない。

 ――出来事、作品、土地、人々、食、すべてが有機的に結びついて特異な空間が出来上がっている、ちょっと他にはありえないような美術館だった。この場所にあることに意義があり、足を運ぶことにこそ意義がある、というような。

 面白く鑑賞した。



 補遺

 鎌鼬博物館は土曜、日曜、祝日開館(冬季休業)
 農家キッチン「あるもんで」は土曜、日曜営業(冬季休業)
 とのことなので要注意(2024年7月現在)。


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