たまに私の記事に対して「アナタまだそんなこと言ってるの?」「私はもう達観したわよ?」みたいにコメントをくださる方がいらっしゃるんだけど…虐待の消化ってスピードも人それぞれだし「ありがた迷惑」。「アナタはそう思うのね」と見守る余裕までは持ち合わせてないのだろうね。
1963年3月、東京大学第17代総長・茅誠司は卒業式の告辞で「小さな親切」の重要性を説いた。 その話題は社会の共感を集め、同年6月13日に『社団法人「小さな親切」運動本部』設立、茅が初代代表に就任した。 時には「ありがた迷惑」と言われるかもしれない。それでも親切を続けよう。
友達や職場で仲良い子は、今までと同じ接し方でもあるけど心配もしてくれてる感じ。ただどうにも上の方々の気持ちはありがたいけど、正直的外れというのか、逆に心重くなるというか。とりあえず、距離置きたいって言ってるから、そっとしてて欲しいし、4月から復帰かな?とかやめて。考えてないから。
知人から動画の感想をいただくつもりが、訳のわからないことを言われ、要約すると貴方の活動は、お金にならん、無償の奉仕じゃないと言われ、 ポカンとした。 時差でショックだったけどいつかぶん見返してやろうと思いました。 私が聞きたかったイメージ→こんな企画は?とか⚪︎のダンスは?みたいな
好きな人のことは心配だし、間違っていたら意見もしてきた。 でもそれは相手にとってありがた迷惑なおせっかいでしかない。 だから私はそっと離れる。 おかしな方向に拗らせてるなぁと思っても無言で遠くから見守っている。 時間は有限! 私は私を必要としてくれる人にだけ容赦ない愛を捧げる😌
余計な一言の余計な部分は、言ってから気付いて後悔したり。有り難迷惑は、その時は感謝の気持で受け取ったとしても、後々モヤモヤした気持ちになったり。伝え方も断り方も相手との距離感も難しい。ラインや合図が見えたら良いのにな、と思ってしまうけれど。不器用なりにやるしかないとも思う。