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「都会的で上品な味」の意味

 幼なじみのA子ちゃんは、長い間東京で暮らしていたが、退職を機に故郷へ帰ってきた。料理が趣味のひとつであり、都会ふうでおしゃれな料理をたくさん知っている。

 自慢の料理を作ると、A子ちゃん共通の友人である私とB夫くんにひと皿程度、味見と称して持ってくる。
 料理以上におしゃべりが好きなA子ちゃんは、料理を持ってくるたびに、「これはね、なにそれとあれこれをどうしてこうして、ああしてそうして作ったのよ。食べてみて」などとまくしたててから置いていく。もちろん、B夫くんのところでも同じだ。

 料理にはあまり関心のない私にしてみれば、いくらA子ちゃんが力説しても、まるで外国語を聞いているような感じで、ほとんど理解していない。だから、一応返事をしたり相づちを打ったりするけど、実質的には空返事だ。これまた、B夫くんも同じ状況だ。

 さて、A子ちゃんには気の毒だが、私もB夫くんも、いただいた料理の味はイマイチと感じている。料理をもらうたびに、ありがたいような、そうでないような、妙な気持ちになっていたのだった。
 かつてB夫くんは私に、「旨かったなんて言えばまた持ってくるし、そうかと言って、まずいからもういいよとも言えないし、まったくまいっちゃうよな」などと言っていた。

 ところが、ある日B夫くんはA子ちゃんに、「おれは田舎者だからさ、A子ちゃんの料理のような都会的で上品な味は合わないや」と、ついに覚悟のひと言を放ったという。まずいと言わず、〝口に合わない〟というきわどい表現だ。穏やかに否定するときの常套句だが、その後、A子ちゃんは料理を持っていかなくなったそうだ。
 A子ちゃんが「都会的で上品な味」をどう解釈したかは謎のままだ。

 私のところはどうかというと、回数は減ったがいまだに持ってくる。ただし、家人は食べるが私は食べない。
 都会的で上品な味というのは、なかなか食えない代物かもしれない。

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