二世帯住宅の悲劇
前々回に続いて、バートランド・ラッセルのエッセイからの引用です。
これは、今の日本で「ジイジ」とか「バアバ」とか呼ばれて孫を眼球の中に押し込んで猫可愛ガリガリしている高齢者の方々には、とても耳の痛い話じゃないかと存じますが、いかがでしょうか。
ラッセルも言う通り、我が子や孫のためにおもちゃを買ってやったり、要求されるがままにカネを出しているのは、ちょうどキャバクラでおねいさんたちにチヤホヤされるためにお金を出してるのとそんなに大差はないんじゃないか(とまでは言ってないか?w)
孫子(「そんし」じゃなくて「まごこ」ね)の側でもそれをよく見抜いていて、結局のところそういう祖父母には、心からの信頼感も持ってないし、尊敬もしてないし、本心では懐いてさえいない。
その辺はジジイやババアご本人たちは気づいてなくても、傍目にはよくわかるから痛いよね。
これに関連して今の日本で大きな話題になっているのは、2世帯住宅(3世代住宅)問題。
不動産業者諸氏によると、只今2世帯住宅の賃貸物件が急増しているとか。
なぜかと言うと、ルンルン気分で二世帯住宅を建てたものの、いざ親世帯&子世帯で住み始めてみると劇的に親子関係が破綻して一緒に居られなくなり、どちらもそれぞれ別の賃貸住宅に移住するというケースが増えてるためだとか。
なので近頃では、一旦独立して家庭を持った子から「一緒に住もうよ」とか「孫の世話をしてくれると助かるんだけど」とか「親父の家、増築しない? 俺たちも住んでやったら老後も安心だろ?」とか言われたら、悪魔のささやきだと思わなきゃダメよとの警告が一旦独立した子を持つ高齢者の間で広まっているそうです。
しかしながら、この問題が勃発するまでは、むしろ親の側が経済的にかなり無理して(退職金全額叩いて尚且つローンみたいな)でも二世帯住宅を建てて子家族を同居させるというケースが一般的だった。
子の側も、最初はオイシイ話だと思ってホイホイと乗ってた。
けれど、いざとなるとライフスタイルも全然違うし、いろんな習慣とか細々とした(でもすごく気にしている)決め事がそれぞれにあって、非常に厄介なことになる。
例えばキッチンはそれぞれでも風呂は共同なんて構造だと、もう初日から悲劇というか暗黙の冷戦が始まりかねない。
だったら、完全に別々の生活ができるよう完全分離した構造ならいいかというと、やっぱりすぐ隣に親が住んでいると完無視はできないし、親の側も何かと(余計な)親切心を発揮してくるのでいちいち面倒臭い。
最悪なのが、孫がいると、その育て方にまで(孫の将来未来のために)イチャモンつけてくるし、衛生面とか栄養面で問題があるようなものを食べさせたり、親の教育方針を平気でバイオレイトするので子供(孫)が混乱したり反抗的になったり⋯⋯とにかく細かいことで(特にお嫁様には)イライラが募りまくる。
それでいて、親の側はあくまでも善意だし、孫子のためを思ってやってることで、私利私欲からやってることじゃないから、文句言う方がおかしいとか思ってるし、またそれをあからさまに口にしたり態度に出すババア、いやバアバも多いらしい。
お分かりでしょうか?
そう、ジジイやババア、いやジイジやバアバは孫子を自分たちの人生の空虚の埋め草ぐらいにしか思ってないわけです、半ば無意識のうちにしても。
ラッセルも言う通り、親は親自身の生きがいや趣味を持って、あたり一帯に無言のゆったりとした充実感オーラを漂わせているぐらいでないと、一緒にいても楽しくもなんともない。
ちっとやそっとの物質的なサービスやお小遣いといった餌ぐらいで、退屈でウザいジジイやババアと一緒にいる苦痛を我慢しないといけないなんて、、、(他人事ながら)確かに監獄ロックかも。
でも、最近では老父・老母の側が、そのカラクリに気づき始めた訳で、その点では先行き見通しは改善されつつあるのかもしれない。
とは言うものの、「私利私欲に囚われず自分に向いた活動にいそしむ」ことが出来ている高齢者は一体どれぐらいいらっしゃることだろう?
ちなみに、これはもちろん前世紀前半のイギリスでの話ですが、第二次世界大戦後急激に大家族制度が崩壊してきた日本にも通じるところが大きいからこそ、こうして引用してもリアルな実感があるんだと思う。
そして、核家族という制度の完成形を身をもって実行してきた今のジジイやババアには、いまさら日本古来の大家族を復活させてその真似事をするノウハウも能力もないわけだし。
もし例外がいらっしゃるとすれば、千葉や栃木なんかの一部田園地帯のように、広大な敷地に数軒の家屋を建てて数世代が住むというスタイルを維持している希少な大家族のメンバーだけかも。
ということで、今回も原文を添えておきますね。
To be continued
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