明応4年(1495)9月18日は応仁の乱で西軍主力だった大内政弘が死去した日。直前の8月に「喧嘩御定法事」を含む「大内家壁書」が制定。喧嘩は自力救済が常識で集団紛争から社会的混乱を招いた。大名権力による成敗が定められやがて喧嘩両成敗に。ルールが決まり当たり前が変わるのでしょうか。
もう二十年近く、 テレビのない生活をしてる。 でも、国会がスタンディングオベーションした画像は、ネットで見た。 喧嘩両成敗ではないのか? 片方だけに肩入れしてる気がするのは、テレビがないから?
みんな大好きゼレンスキーが「枕」になったよ。毎晩、演説してくれるかも?! ・・・こんなもん買う奴、大丈夫かい?